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62件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2014-02-19 第186回国会 参議院 国の統治機構に関する調査会 第1号

そして、田中先生の友人に紹介されて田中先生にお会いをして、自来、三十二歳で郵政大臣をおやりになりましたときにも自分の町の郵便局の建て替えをお願いをしたり、そういう中から度々お宅を訪問する機会を得て、結果的に、京都で二議席の、前尾、谷垣先生がお亡くなりになりまして補欠選挙が行われたときに、くしくも谷垣先生の御令息今法務大臣の谷垣禎一さんと私が、ちょうど京都の副知事を一期で辞めさせていただいた直後でありましたので

野中廣務

2000-04-18 第147回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第5号

しかし、昭和新山の場合も、この間御令息の三松さんという方にお目にかかりましたが、麦畑が突然四百メートルばかりの山になった。そうなりますのに六カ月ぐらいかかっておるようでございますから、その意味で、有珠山の火山活動の今後の見通しを現段階で判断するのは大変難しいと思いますけれども、政府といたしましても、この噴火が長期化することを視野に入れて対応する必要は先生の御指摘のとおりでございます。  

中山正暉

1994-06-02 第129回国会 衆議院 予算委員会 第15号

そしてその中で、棚橋前次官の令息選挙に出るときの箔づけ人事という、これがけしからぬと書いてございました。牧野官房長が私に申しました第一点の、大事についておかしなことはなかったというのは、通産省の中で調べてみたところ、その大事については不正不当はなかったんだ、だからもうおさまつたことだ、だから質問はやめてほしい、こういう趣旨でございました。  

大塚和彦

1993-03-26 第126回国会 参議院 大蔵委員会 第3号

○国務大臣(林義郎君) 山田委員は同じ山口県の出身でありまして、大変平素から御厄介になっておりますが、御尊父時代から、御尊父大蔵委員であられましたし、御令息もまた大蔵委員会をやっていただきまして、本当にありがたいことだと思って感謝をいたしておるところでございます。  今景気の認識をどうだと、こういうふうなお話がございました。

林義郎

1992-11-26 第125回国会 衆議院 予算委員会 第4号

そこでお伺いをいたしたいのでございますが、金丸元副総裁東京佐川急便社長の渡邉氏から五億円の政治献金を受けて、規制された額を超えたということで略式命令で二十万円の罰金の刑に服されたのでございますが、竹下証人お嬢様金丸元副総裁の御令息のお嫁さんに行っておられる、御親戚ということでありますし、政治的にも長い長いおつき合いで、親友であられて、同志であられる。

中山正暉

1992-02-25 第123回国会 衆議院 予算委員会 第8号

中野委員 それから後に、例えば御令息が御出席をされました釜石工場落成式のこと、そしてまた麹町倶楽部のこと、福岡工場落成式のこと等々と、こうおつき合いがつながっていったと思うのでございますが、その中でこの森口元副社長、共和の創業者の息子ということでございますけれども、正体といいますのは、けさほども塩崎さんにお尋ねしたのでありますが、この森口社長というのは、昭和六十二年、青森県三沢市長の収賄事件

中野寛成

1991-11-14 第122回国会 衆議院 予算委員会 第2号

掃海艇部隊のまた指揮官の落合さん、あの人が何と沖縄最後海軍こうの中で自殺をされた大田少将の御令息だそうでございますね。私はくしき因縁だな、後世沖縄に特別の配慮を。沖縄開発庁長官がこの間特別措置法がもう切れるので何とかしたい、これも今ついでのことに申し上げておきますが、この間テレビでお話を伺わせていただきました。

中山正暉

1988-08-02 第113回国会 衆議院 本会議 第5号

今ごろは、はるか天国先生は若き奥様と四十有余年ぶりに再会し、来し方を振り返りつつ、御令息信彦君が御遺志を受け継ぐ決意をされたことや、靖子さん初めお孫さんの話に花を咲かせておられることでありましょう。  先生は、なすべきことはすべてやり抜いたという満足感からか、穏やかな表情で永遠の眠りにつかれたそうであります。その死は、激動の戦後政治の一つの終わりを告げるものと申せましょう。

山口鶴男

1984-05-17 第101回国会 参議院 法務委員会 第8号

私どもも中学の後輩に与謝野晶子さんの御令息与謝野アウギュストという人がおった。昔でもやはり尊敬する芸術家のお名前を借りて子供につけるというようなことはあった。これからは氏を外国人の夫の氏にすると、これは当然英語で書くわけにはいかぬのでしょうね。あるいはフランス語で書くわけにはいかぬ。やはり日本語に直して片仮名で書くということになるんでしょう。

寺田熊雄

1984-02-09 第101回国会 衆議院 本会議 第5号

先生の御令息莞爾君は、先生を追悼して次のように歌われております。   いつも、勇気と茫然とした姿勢をもてといっ    た。   いつも、民衆のはかり知れない力を信じると    いった。   いつも、この土地と日本民族のことを考えろ    といった。   いつも、あいまいな妥協は決してするなと    いった。   いつかお前は俺とけんかをしながら俗を越え    てゆけといった。 と。

渡辺三郎

1981-04-07 第94回国会 衆議院 本会議 第16号

(拍手)  川口君が御逝去されましたのは午前十時三十分と承っておりますが、私が、その知らせを得て病院に到着いたしましたのは十一時三十分、御遺体はまだ霊安室に移されず、奥様、御令息御近親に守られながら、闘病のベッドの上に白布をかけられて安置されてありました。

石田博英