2021-02-26 第204回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号
しかも、先ほど申し上げましたように、学校で殴る、蹴るといった暴行を受けたり、金品を巻き上げられたり、裸にされてそのまま廊下を歩かされたりといった犯罪被害に遭っているのに学校が対処してくれなかった、挙げ句の果てには、親御さんに、このまま黙っておいたら、問題を表沙汰にしないんだったら卒業させてあげるとまで言った、もう人間不信になってしまったというような悲惨な事例もあります。
しかも、先ほど申し上げましたように、学校で殴る、蹴るといった暴行を受けたり、金品を巻き上げられたり、裸にされてそのまま廊下を歩かされたりといった犯罪被害に遭っているのに学校が対処してくれなかった、挙げ句の果てには、親御さんに、このまま黙っておいたら、問題を表沙汰にしないんだったら卒業させてあげるとまで言った、もう人間不信になってしまったというような悲惨な事例もあります。
そういう一度生まれた人間不信は残念ながら簡単には払拭できず、その後の人との関わりを阻害して引きこもりになるものと推測されます。引きこもりの解消は簡単ではなく、そのためには適切な支援が必要になると思います。 国では、平成二十一年度よりひきこもり対策推進事業を推進していますが、この十年間でどのような成果を上げているのでしょうか。
場合によっては人間不信に陥っている場合だってあるわけで、そうした女性に寄り添ってお話を聞いて、その心を開いて信頼関係を築いて、初めて必要な支援につなげていくことができると、それが婦人相談員の役割なわけですけど、それが一会計年度ごと、場合によっては一年とか三年、五年などの短い期間で雇い止めとか解雇とかになってしまって、次々とその対応する相談員が替わってしまうということになれば、もうそのたびに信頼関係をつくり
それで、私も議員になって二十年ですけれども、化学の研究を大学院まで行ってやっていましたけれども、なぜ政治家を志したかという最大の理由は、母子寮、母子生活支援施設で、まさにDV被害、児童虐待の被害に遭っている子供たちの遊び相手を六年間、私は大学時代にさせていただきまして、その中で、人間不信、対人恐怖症、不登校、さまざまな苦しみを子供たちが背負っておられました。
といいますのが、私が六年間ボランティアをさせてもらっていた母子生活支援施設では、本当に子供たちが傷ついて、人間不信になり、特に、残念ながら、男性の大人への恐怖症。
まず、信頼していた友人に裏切られたという思いで人間不信となり、他人を信じる力を失いました。さらに、勧誘する側に回ってしまったということで、大切な友人関係を失いました。また、抜け出せない状況に陥る過程で、その自尊心までも失いました。 こうした深刻な精神的なダメージを回復することは大変な困難を伴います。今後、新たに人間関係を築いていく上でも大きな障害になりかねません。
それがいろいろなところで人間不信に陥ってしまって、その人間不信が新たな怒りを生んでまた誰かを傷つけたり罪を犯していくというような、そんなのが私なりのモチーフです。だから、非常に深い作品だなと思って私は読ませてもらったんですが、ぜひ機会があったら読んでいただければありがたいかな。
これもう人間不信になりますよ、こんなことになっていたら。 今回の横浜地裁の判決を踏まえて、こうした保護課長通知の規定の仕方、一方的ですよね。足りないものもあるんじゃないですか。削らなきゃいけないものもあるんじゃないですか。見直す必要があると思うんです。 見直す必要があると思う部分は三点、具体的に三点あります。
ここで拝見をすると、例えば親御さんが、信頼できる大人に会えた、行かなくて済むなら少年院には行かない方がいいけれども、体を張ってくださる先生方に人間不信から脱却できたといったアンケートを出されておりまして、子供たちも、人間を信じられなかったけど少年院の先生はそうじゃなかったとか、先生たち、すげえな、本気なんだなという、こうした思いが立ち直りの力になっているわけですよね。
その子供たちは、自分の痛みを救われたことがない、誰にも相談できたことがない、その中で人間不信に陥っています。大人なんか信じられないと言います。そして、自分の苦悩を言葉で表現できない、聞いてもらったことがない、人の話も聞けない、自分の痛みを誰にも救ってもらったことがない、人の痛みがわからない、そういう子供たちでした。 被害者御自身が、厳罰化、厳しくと言うことを私は否定するものではありません。
○細野分科員 私も同じことを感じていまして、児童養護施設に入る子供の場合は、今は圧倒的に虐待が多いですから、本当に幼児期に親から否定をされるということになると、やはり人間不信、社会不信、ひいては何のために生まれてきたのかみたいなことを考えることも多いわけですよね。
、あなたは社会福祉協議会に行ってみたらどうかとか、あなたはこちらのNPOにまずは相談してみて本当に困ったらまた来てくださいということを言われますので、またそういった水際作戦と言われるような窓口がもう一つできてしまうことによって、これは、本当に生活保護は、まず早めに救済されるべき人がたらい回しされて、結果、最後に行き着くということが相次いでおりますので、そうなったときには問題が更にこんがらがって、人間不信
その後、本当にこの戦争が何だったのか、言わば人間不信に陥るような、そういう心の葛藤がやはり二十歳、二十一、そんな世代の若者たちの中にありました。 お立場によって、また育つ環境によっていろいろ考え方は変わってくると思うんですが、一人一人が親から受け止めた歴史、これが自分の歴史認識、他の大きな歴史の中でどういうふうに自分自身の歴史認識として育っていくのか、そのことは非常に私は重要だと思います。
疎開した先でかなりいじめに遭った経験をされた方が多いというのはよく聞くことなんですけれども、疎開先でいじめられて人間不信になったなんということ、そうやって大人になったなんということもよく心理学の世界ではあるんですけれども。
私自身、児童福祉施設でボランティアをしておりましたことが政治家になった一つのきっかけでありますので、特に虐待を受けた子どもたちというのは、外から見てわからない、心の中に大きな大きな傷と、人生における人間不信等の大きなハンディキャップを負っておられます。そのような子どもたちをケアしていくためには、今御指摘のように、専門性の高い職員や施設が必要だというふうに思っております。
人間不信だとか大人不信、あるいはゆがんだ男性観が形成されていくという問題です。これは、メールによる一種のカルティベーション効果じゃないかなというふうに私は思っています。
この中間報告を見て、人間不信にまで陥りました。どこまで自分たちは傷つかなければならないのか、何が世の中の正義なのか、失意のどん底に追い散りました。恐ろしいことは、この中間報告が個人名をアルファベットにしているとはいうものの、インターネットに流れていたことです。事実と違うものが世界に向けて発信されている状態が私は悔しいです。
殺された父親から、常々、人間はうそをついてはいけないと言われて育った中学二年の娘さんは、それを聞いて、大人はうそをつく、信用できないと言って深い人間不信に陥り、登校拒否すれすれまで行ったのでございました。
私は、このような状況を見るにつれ、子供たちが本当に人間不信に陥ってしまわないか、本当に暗い気持ちになって、いい、こういうことが起きているけど、でもまず人間に対する信頼感を失わないでねっていうことを子供たちに言いながら、接しております。
例えば、ある授業で、うそをつくなとか、あるいはまじめに生きようとか、せっかく教えているのに、翌日逮捕された人は非常にすばらしいと言われている人だったというようなことなんかは、まさに人間不信をみずからつくるようなものでございまして、そういう意味で、やはり大人社会がもっときちっとした生き方というのをそれぞれにやっていかないと、子供たちには必ずしもいい影響がないと思います。
これを全くほごにされて、もう人間不信ですよ。これから超党派の議連なんというのは、最後の最後ひっくり返されて、もう何の意味もないんだということになってしまうので、私は、そういった意味で、一言、これでいいんですかということをお聞かせいただきたいと思います。