昭和恐慌の折、浜口雄幸総理、井上準之助大蔵大臣は、男子の本懐と称して文字どおり自らの命を懸けてデフレ政策である金輸出解禁を強行しました。政治家の生きざまとしては尊敬すべきものがありますが、誤った経済政策によって日本経済がどん底にまで落ち込んだことは歴史に刻まれています。
関東大震災のときの事情をよくよく調べてみると、その際の財源確保、時の大蔵大臣を務めた井上準之助さんが「帝都復興秘録」というところでその内容を言っておりますけれども、増税によらずに歳出削減をして、そして余剰金を捻出して、そしてその余剰金を国債、新たな復興債の利払いに充てる、そういう努力もしているわけであります。 私は、財源確保、まずは歳出削減が王道だと思います。
ところが、井上準之助は旧平価でやってしまった。そのタイミングというのも悪かったんです。直前にウォール街での大暴落です。そして、この大暴落を甘く見たんです。これは世界恐慌になったわけだけれども、通常の景気循環の中のそういうことだろうというようなことで、全く対応を誤ってしまったわけですよ。 それで、混乱が続きまして、政権交代です。民政党から政友会。
この方と、それから日銀出身の井上準之助大蔵大臣、この二人の方がタイアップして昭和恐慌ということをして、財政を、思い切って、前年に比べて五%、一〇%削減しました。その左上のグラフで黄色になっていますね。一〇、一五と落ちています。これで落ち込んで、それで結局、その下を見てみますとマイナス三〇とありますでしょう。つまり、デフレが始まってからもう三〇%もデフレになった。
いっそ殺してしまったらと、若者たちは井上準之助を、高橋是清を、犬養毅を、その他大勢を殺した。古いことでお忘れなら、吉田茂首相を思い出していただく。彼ならまだ御記憶だろう。彼は歴代宰相のうち最も評判の悪い人だった。新聞は三百六十五日、彼の悪口を言った。しまいには犬畜生みたいに言ったと。 先ほども出ておりましたけれども、我が国の新聞は明治以来野党精神に立脚しているという。
時間も迫っておりますので、先ほどの副総裁のお示しになっている政策パッケージの話でありますが、副総裁は、まあ細かいことは申し上げませんが、井上準之助とか高橋是清大蔵大臣の時代の様々な政策パッケージをやれば日本は良くなるということを結論的には申しておられるわけですけれども、おっしゃっておられるわけですけれども、そうすると、そこまではっきり政策の方向性を示しておられれば、今後例えば国債の保有残高を増やすというようなこともひょっとしたら
それだと、正にあのときにそれを担当された政治家である方々、あるいは井上準之助さんなんかも含めて、正に命を懸けた、結果的に、残念なことですけれども、なったわけですけれども、それはいいとは言いません。だけれども、そうしたふうなことにつながるようなくらいの心掛けで今取り組む必要があるんじゃないかなという気がいたします。
この本の中だけではないんですが、この本の中で、小泉総理は不況のときにデフレ政策を強行した当時の井上準之助大蔵大臣あるいはその当時のアメリカのフーバー大統領とよく似ているという指摘があります。私もそう思いますね。総理はそういう指摘に対して、どう思われますか。
そのころの時代背景を見てみますと、浜口雄幸内閣から若槻内閣にかけて、井上準之助という人が大蔵大臣を務めておりましたね。そのときは非常に緊縮財政と金解禁を柱とする構造改革路線を進めたと、どこかで聞いたような話ですが、井上大蔵大臣は、不況期にあえてデフレ政策を採用して日本経済の構造改革を進めようとした。
私は、剛直な気質の浜口雄幸総理、また、明敏にして理詰めの政策展開を図られた井上準之助蔵相という大先輩を、人間として心から尊敬しています。しかし、その政策が結果として深刻な社会不安を引き起こし、お二人は非業の最期を遂げるに至りました。さらに、それが第二次世界大戦に日本が入っていった大きな経済的要因となったことは、識者のひとしく認めるところであります。
そういった中で、一九二九年に浜口雄幸内閣が誕生して、金解禁を訴えてきたあの井上準之助大蔵大臣がさらに緊縮財政を進めていく。その中に、この今回のマイナス勧告と同じように、公務員の、役人の給与の引き下げというのも、その緊縮財政のテーマの一つに入っていたわけでございます。
(拍手) 小泉首相、あなたに、私は、本物のライオン宰相とうたわれた浜口雄幸の盟友、大蔵大臣井上準之助が生前に好んだ句をここで差し上げます。 危うきに臨みて節を守り心改むる無し 死を忍び生を捐て志移さず これは、明の志士、夏桂州の詩です。私は、この志でなければこの国は滅ぶ、そう信じています。 ところが、何ですか、きょうのあなたは。
一九二七年に金融恐慌があり、その後、過って、グローバルスタンダードという形で金本位制に突っ込んで、井上準之助が濱口内閣のもとで大恐慌に突っ込んでいってしまったという展開と同じです。 ITの話になりましたが、あのときも、モータリゼーションとハイウエーの両者の連関の中でアメリカだけが最後に残って、そこにお金がラッシュのように入って、最後はクラッシュに行ったわけです。
戦前の大蔵大臣には、国の財政を守るために軍縮の断行を訴えた浜口雄幸、あるいは井上準之助、高橋是清といった、信念の方がいらっしゃったわけですが、平成の高橋是清とも言われております宮澤大蔵大臣の、この件に関してのお考えをお聞きしたいと思います。
宮澤大蔵大臣、かつて大蔵大臣の先輩には、軍縮の断行を訴えたがゆえに凶弾に倒れた浜口雄幸、井上準之助、高橋是清といった信念の方々もいらっしゃいます。大臣の決意のほどをお聞かせください。 今ヨーロッパでは、多くの国で社民政党が政権を獲得し、新たな社会民主主義の台頭という状況が生まれています。
かつて大変なときに、井上準之助という大変な財政家がいた、高橋是清という財政家がいた。今、本当に大変なときだ。こういうときこそ、私は、本気になって取り組める、財政政策を持った大蔵大臣でなければならないと思うんですよ。 私は、大蔵省がいろんな不祥事を起こした、そのために検事としてのあなたの能力が買われた、それはわかる。それ以上に財政家としての松永光の能力が買われたんならば、私はいいのです。
私はそのとき思い出したのでありますが、学生のころ聞いた、講義を受けた井上準之助と高橋是清。昭和のパニック、日本どこへ行くかという危機の中で井上準之助が金解禁をやり、いわゆる増税を盾とした財政再建を提唱しました。金解禁が破れて、四度目の蔵相として首相を経験した高橋是清さんがこれに当たると。言うなれば、ケインズを先取りいたしましたケインズ流の経済をやりました。
一九三〇年代を調べてみますと、有名な井上準之助さんという大蔵大臣が金本位制へ復帰して、そしてそのことで大変なデフレになっている。金本位制から離脱した後、そのマネーサプライを非常に自由にふやすようになって初めて物価も上がり景気も回復していると。こういう状況で、金融的な要素が非常に強いというふうに言われているわけです。
その他、相撲の双葉山とか音楽家の滝廉太郎とか、それから大蔵大臣、日銀総裁、大蔵大臣をしました井上準之助とか。不思議なことに大分県は日銀総裁をたくさん生んでおられるようでございまして、一万田さんから三重野さんも大分県出身だと。大変日銀に直結した地域だなと、このように思っております。総理ももちろんおられるわけでございますが、それに劣らず高崎山の猿も有名だと、このように思う次第でございます。