2002-11-12 第155回国会 衆議院 法務委員会 第6号
だから、そういう意味ではもっと、しかも今の教員養成系の大学においても、そんなに社会経験がないままみんな学校の先生になっていくわけですから、私は、こんなことを言っちゃったら、中教審路線で何か迎合するのかと言われて、どこかから弾が飛んできそうですが、やはり資格を取るまでの過程においてさまざまな社会経験をする。
だから、そういう意味ではもっと、しかも今の教員養成系の大学においても、そんなに社会経験がないままみんな学校の先生になっていくわけですから、私は、こんなことを言っちゃったら、中教審路線で何か迎合するのかと言われて、どこかから弾が飛んできそうですが、やはり資格を取るまでの過程においてさまざまな社会経験をする。
〔委員長退席、理事松村龍二君着席〕 その中教審報告というのを、これは実はかつて日教組と文部省が激しく対立したときには、中教審路線粉砕というようなことを日教組運動の旗印に掲げたこともあったんですね。
日教組は運動方針にすぐ中教審路線粉砕とかなんとか書いて、言葉だけ粉砕で中身はやらないんですが、文部省の方も何か知らないけれども中教審というものをにしきの御旗にして一生懸命やっている。それで空中戦をやって、結局、現場の教育というものはなおざりにされるという感じがしてならなかったわけです。 そこへもってきて、私がちょうど国会に出たそのときに一番の問題が臨教審です。
そして、今までの中教審路線が臨教審路線に変えられていって、ここから主導権が握られて、今までの文部省の延長線上がここで転換しやせぬかという不安を持つ。そういう意味で、文部省の内部にも臨教審に対してかなり警戒的な時期があったと僕は思う。現に僕はかなりのトップの人たちから聞いています。
特に大学審との関係で言いますと、臨教審の「審議経過の概要(その三)」でも示しておりますが、現在の教育改革は第三の教育改革だ――これは中教審の改革以来言っているわけですが、中教審の改革は理念がなかったと、今度は理念を入れるんだということを強調されておりますが、理念の問題をここでもって論ずる余裕はありませんけれども、この中教審路線以来の大学改革の問題として忘れてならないのは、筑波大学の問題だと思うんです
ただ、今日まで行われてきております、先生御指摘では、いわゆる中教審路線に沿って国立大学の授業料等値上げをやってきたのは、まさにその路線に沿ったのではないかという御指摘でございますけれども、私ども、もちろん四十六年答申というものについても十分意味のあるものとして受けとめておりますが、しかしながら、それ以降の学費の値上げ、特に国立大学の授業料等について引き上げを図っておりますものは、もちろん、そのときそのときの
しかも、昭和二十七年以来中央教育審議会は、我々は中教審路線といって厳しい批判を持っているけれども、よかれあしかれ日本の教育の問題をどうすべきかについて真剣に議論をされ答申をされ、そして政府はそれを受けて法案になるべきものは出してこられる、そういう問題については、我々社会党の場合で言えば、教科書法案の問題にしろ、あるいは教育委員会の従来の公選制から任命制に切りかえる問題にせよ、その他各般の問題について
〔委員長退席、深谷委員長代理着席〕 私は一昨日、中曽根総理と、いわば戦後平和、民主教育の原点というふうなものに基本を置いて、政府・自民党が戦後三十八年にわたってやってまいりました教育改革の路線というものは――中教審が今日までやってまいりました点についても、高村先生、大切なお客さんでありまして、あそこで中教審路線の厳しい批判を前提にしてお聞きするわけにいきませんから、礼を尽くして私の聞きたい数点についてお
したがって、中教審路線を含めて今日考えようとしておることは、財界要請に基づく教育改革の方向が大きな流れとして出ておる、そういうふうに私は思うのでありますが、教育改革の基本を教育基本法、憲法が示すように平和、民主教育に置いて、体の強い子も弱い子も、いわゆるできる子もできない子も含めて公民として立派に社会で、国際的にも活躍していくような、そういうものを全体として育てていく、これがやはり教育改革の基本に流
しかし一方、文部省あるいは中教審は外来種の教育の問題を部分的にいろいろやってきたのであって、これではいかないといったような、文部省の行き方に対するいわば批判的ともとれる言動、あるいは総体として中教審路線について我々と違った意味における批判というものも持っておられるりじゃないか。 一部報道では、四十六年答申についても哲学と理念がないとも言ったと伝えられておる。
我々は、中教審路線という一つの言葉でその中身について一定の見解を持っております。きょうは総理も出席のもとの議論でありますので、それは文部大臣との関係の中で触れていくとして、今のように総理直属の審議機関をつくるという提案をされる際に、中央教育審議会はこれは休眠状態にする、つまり第十四期の中央教育審議会はこれはスタートさせたい。文部省は教育の問題について多くの審議会を持っておる。
この中教審答申は当時、中教審路線と言われ、一部の野党及び日教組から激しく指弾をされた答申でありました。しかし、このことは正しい選択であったわけでありますから、私どもはあなたとともにやり抜いてきた歴史があるわけであります。そういう意味で、この答申を踏まえ文部省も、蛮勇を振るったとは言いませんが、文部省らしい地道な努力をしてきたようにも思うのであります。
次に、共産党提出の修正案のうち、第十九条の三以外の部分については、教職員に対する手当の制度を改正することになっておりますが、中教審路線に基づき三次にわたる教職員に対する手当の増額措置は教育現場にさまざまの混乱を生んでいるばかりでなく、教職員の大部分が地方公務員であるために、地方公務員全体の給与制度に大きな混乱を生じており、このために抜本的な見直しを必要と考えており、その立場からこの修正案には賛意を表
それは、教員の管理統制を目的に発想された主任制度が現場の教員や国民世論の反撃を浴びると、「指導職である」と表現を変えて、中教審路線にまる教育反動化のてことして強行されていることに通じるのであります。
非常に苦しいときには個人立幼稚園に肩がわりさせながら、いわゆる中教審路線を明確にしていくときにおいてはその存続が無視されてしまう、そういうようなことについての非常な抵抗が適正配置という問題の中に含まれておるのではないか、このように考えますが、その辺のお考えを……。
私は、やはり六九年の中教審答申の中身が忠実に反映をしておって、そして、その中教審路線の主導のもとに今日の施策が大学協会を含めて履行されていっておる。その反映にほかならないと見るわけであります。
これは、教育をあくまでも経済繁栄の手段とみなして、教育画一主義を促進するいわゆる中教審路線の結果であると言わなければなりません。これでは人間の生きがいと生きる目的をゆがめ、国民の創造的エネルギーを枯らせてしまうという危機をもたらします。教育の原点は人間そのものであり、人間本位の教育をいかに創造していくかという理念が貫かれていなければなりません。この点についてまず総理の見解を承りたい。
ただ、そこで包括的に現在の教育をどうとらえるか、また、中教審がどうかということでございますが、私は実は中教審の答申というのはかなり厚いですから、いろいろなことが書いてございまして、中教審路線というほど一言で表現をいたしますと、やや把握の仕方として問題を生じてくるのではないかというふうに考えているわけでございます。
私どもが見るところでは、たとえば中教審路線ということを言うのですけれども、そういうところにもやはり問題があったのじゃないか。この中教審路線というのも、高度経済成長政策と同じような路線じゃないかと私は思うのです。それから次々に、その中の一環として教育課程の改定が三回ぐらい行われておりますね。
しかも、文部大臣になる前には中教審路線に含まれた主任制度には反対であったと聞くのであります。大臣になった今日、百八十度転換したことに対しても許しがたいものを感じまするが、そこまで大臣を追い込んだ自民党文教部会の政治姿勢と、文教部会に追い込まれておる文部省の行政姿勢、結論的には三木内閣の政治姿勢に許しがたい憤りを感ずるのでございます。
だんだんこういうふうなことで学校教育現場に階級制が出てくる、そういったことになりますと、やはり中教審路線のとおりになってきたなという感じがするわけですが、先ほど教育基本法を見ておりましたら、第六条の二ですね、「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。」
たとえば私はよく思うのですけれども、中教審路線粉砕というような言葉がありますね。私はどうも……(馬場委員「その話は一度もしていない」と呼ぶ)いや、しかし、いま粉砕というふうな言葉は使わない、批判というものがあればやったらいい。つまり私はいままでのことを考えて、に申し上げたいのは、要するに対立関係が起こるという場合に、どうも対立関係というのは一方だけからでなく双方の関係で起こる場合が多いと思います。
これに対しまして、しばしば問題とされておるわけでございますが、特に日教組は、いわゆる中教審路線に対してことごとく対決して闘うという運動方針を述べております。これらのことが静かであるべき学校に非常な混乱を起こしておることも無視できないと私は考えます。 大臣は、このような問題について、中教審路線が巻き起こしておる混乱、これをどのようにお考えになられるかということであります。
あなたは、中教審路線に対して批判的な立場をとり、教育委員の公選制に賛成し、大学公社論を提唱した水井氏を文相に起用して拍手を浴びたわけですが、ほんとうに永井文政をささえることができますか。もしこれをささえることができなかった暁には、あなたは、三木内閣のフレッシュPR用に永井道雄という人の顔と名前を利用しただけにすぎないと非難されることを覚悟すべきであります。