2016-02-25 第190回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第1号
その一方で、その子供たちも学校を卒業して、社会人となってくる時代になって、大変にうれしい限りではありますけれども、そうしますと、最初のころ手術された患者さんたちも、今、三十年、四十年たってきて、いよいよ私のような中年期を迎えておられることが多うございます。
その一方で、その子供たちも学校を卒業して、社会人となってくる時代になって、大変にうれしい限りではありますけれども、そうしますと、最初のころ手術された患者さんたちも、今、三十年、四十年たってきて、いよいよ私のような中年期を迎えておられることが多うございます。
彼女は泣く泣く帰ってきて、つまり自分の留学を途中放棄して親の介護に当たったわけですが、それも非常に長期の介護になりまして、結局、彼女は中年期の活動期に夫の親の介護に縛られたまま再就職の機会も逃しということで、非常に、貧しいと言っていいかどうか分からないけれども、人生の達成感を得ない、そういう人生を送らざるを得なかったという事例がございます。
認定者、受講者の方々は、こういう本格的な講座を待っていた、自分の子育て経験を地域に生かして仕事として認められるのがうれしい、中年期になって社会参加の機会に巡り合えた幸せを人生の集大成につなげたい等々、大変期待に胸を膨らませて多くの方々が参加を希望してくださり、受講態度は実に真剣です。
二点目は、実は今日、大川参考人からもありましたが、かなり中年期から長い間掛けて訓練をすべきであって、六十五歳からという話ではないだろうというふうに思うんですね、筋力トレーニングなどについて。そうしますと、私は今回の新予防給付はどうしても保険と税の関係をあいまいにしてしまうのではないか。
○政府参考人(中村秀一君) 委員御指摘のとおり、生涯を通じた健康づくり、それから健診にいたしましても生活習慣病予防、さらに生活習慣病予防を考えますと、例えば中年期からではなく若いときから、あるいは、さかのぼっていきますと子供のときからと、そういうふうな話になりますので、委員御指摘のとおり、人の一生を通じてどういう形で健康保持増進のシステムをつくっていくかということは厚生労働省の最大の課題の一つだと考
今後は、さらに、委員の御趣旨に沿って、それらの対象を中年期の職員にまで広げまして、現役時から準備を積み重ねた上で充実したセカンドライフを送ることができるよう、しっかりとした支援策を検討してまいりたいと考えております。
各生活周期におけるといいますのは、幼児期、それから就学期、それから若い就労期、それから中年期、それから高齢期というふうに、それぞれの人の各生活段階における生活上のリスクに対応する保障がきちっとできていなきゃいけないと。
○都村参考人 最初の、中年期、ちょうど四十代から五十代の両親の場合に、教育とか住宅ローンとか生活コストが集中して大変であるということは、先ほどお配りしました図表八、家計調査による年間収入五分位階級別に分けて、義務教育終了前の児童ですから、まさにおっしゃる小学生、中学生がいる家庭の子供がどういう所得階層に属するかというのを二十三年前と比較しているわけですけれども、この二十三年間に経済の状況も随分改善されて
世帯主の中年期には各種の生活コストが集中し、子どもの養育費・教育費は家計を圧迫する。」まさにそのとおりだと思うのです。そこが日本の子育てにあって一番大きな問題だと考えます。 小学校、中学校と、食べ盛りですし、教育費、塾その他、大変な負担を親にもたらしています。そういう中で、今回の措置は、昨年恒久的な減税政策の一環として出された扶養控除の特例をわずか一年で取り払ってしまう。
一番下に「住宅の広さと中年期死亡率」とありますが、中年期死亡率というのは三十五歳から五十四歳、要するに老衰によらない死亡なんです。標準化死亡比というのは、これは大阪府のデータですが、それぞれ人口が偏っていますから、ばらつきがありますから、それを同じ人口比に変えているわけです。それを見ますと、世帯当たり畳数と死亡率、中年期死亡の相関といいますか、極めて強い相関があるわけです。
その場合に大事なことは、千八百時間のお話が出ましたが、職業生涯のうち壮年期、中年期におきまして労働時間が集中する、高齢期において労働就業の時間、機会が寡少になる、こうした問題を一人の労働者から見た場合に、生涯を通じて労働時間を再配分することが大事であろうというふうに考えております。
障害老人の長期ケア施設、日本でいう特別養護老人ホームはデンマークではナーシングホームと呼ばれておりますが、サービス内容も日本のものに比べますと格段にすぐれておるのでありますが、決定的相違点の一つとして、この施設に青年期、中年期、初老期、老年期、あらゆる年齢層の重度の障害者がすべて入っております。
下に大きなグラフがありますが、これ私の研究室で統計をもとにつくってみたんですが、近畿圏で、世帯当たりの畳数、横軸には標準化死亡比と言いまして、これは中年期の三十歳から五十九歳の男性が、これ中年期死亡率と言いますが、これはいろいろ統計上の操作をして年齢階層が同じようになるようにしてあるわけですが、狭い家に住む人たちはこの中年期死亡率が非常に高いわけであります。見事に相関が出ているわけです。
また、小規模ながらも、開けゆく将来に希望をつないで農村に残り、懸命な努力を重ねた優秀な青年が、ついに志向する近代的農業への可能性が閉ざされ、中年期に至って、なれない賃金労働者へと変わっていかざるを得ないという多くの事例や、また、農業収入を補うため、妻子と別居して都市勤労者として働かなくてはならない、百万人をはるかにこえるといわれる農村の出稼ぎ労働者、あるいは、若者もいなくなった過疎地の老農夫が、廃屋
東北地方における脳卒中の死亡率が、四十歳並びに五十歳という中年期の、われわれにとって最も大切な時期に多数死亡しているという問題でございます。 それから第二の問題といたしましては、東北地方をさらに詳細に調べてみますと、町村単位で死亡率の高いところと低いところが入りまじっておるということでございます。
老視というのは少し言い過ぎかもしれませんが、もう中年期をある程度過ぎているかもしれませんけれども、日本の石炭資源としては非常に貴重なものであり、なおこの糟屋地区の石炭は、北九州地区としましては、相当今後適当な技術あるいは進歩した方法を加えますれば、まだ十分日本として開発する余力も残っているところであろうかと思いますので、そういう意味で、現在石炭鉱業を営んでおります側から見ますと、やはりこれは、できればおれがやってみたいというものが