2021-04-27 第204回国会 参議院 厚生労働委員会 第12号
○参考人(中原のり子君) やはり私は、労働時間というところで、過労死ラインというのが私はどうしても引っかかります。特に、やはり医師の場合は、先ほども申しましたけれども、例えば脳・心臓疾患に関しても認定率が非常に悪いということで、余り医師労働を理解されていないんだなということを痛感しております。
○参考人(中原のり子君) やはり私は、労働時間というところで、過労死ラインというのが私はどうしても引っかかります。特に、やはり医師の場合は、先ほども申しましたけれども、例えば脳・心臓疾患に関しても認定率が非常に悪いということで、余り医師労働を理解されていないんだなということを痛感しております。
○参考人(中原のり子君) 今、主治医制に相対する言葉でチーム医療という言葉もあるかと思いますけれども、やはりこの主治医制にすると、やっぱり一人、ある一人の限界というか、そういったところに偏りが出てきてしまうのかなというような思いはあります。できれば本当に、チーム医療、たくさんの人たちがいろんな手当てをする、そういったシステムが必要だと思います。
○参考人(中原のり子君) 私は、常々、医療と教育は本当に公共のものである、そして平等であるべきというふうに思っております。 そのためにはやはり、今、今まで私もちょっとお話しさせていただきましたけれども、やはり個人のそういう頑張りだけではもうとても無理なので、やはり財政面としてきちっと手当てが必要かと思います。
小児科勤務医だった夫を過労の末に自死で失い、東京過労死を考える遺族の会の会長として医師の過労死問題と向き合い続ける中原のり子さんは、政府の医師の働き方改革に関する検討会での有識者ヒアリングにおいて、過労死は人災であり、システムエラーであると述べられています。
小児科医である夫を過労死で亡くした中原のり子さんは、医師の働き方改革に関するヒアリングで、一部の医者だけ取りあえず千八百六十時間というのは、取りあえず誰か死んでも仕方ないのかと批判しています。この訴えにどう答えるのですか。 全国医師ユニオンは、年間約六十人もの医師が過労死ラインを超えた労働で突然死や自死している可能性を指摘しています。
それは、私自身も大変思いが強い領域でありますが、是非、小児科で過労死で亡くなられた中原ドクターの奥様、中原のり子さんを始めとする遺族の方々の御意見をもう一度聞いていただけないかというふうに考えております。
今御指摘いただきました働き方改革に関する検討会におきましては、東京過労死を考える遺族の会の代表の中原のり子さんから、これは平成二十九年の十二月の二十二日でございましたが、第五回の検討会で御意見を伺っております。
大臣も、昨日、我が党の倉林委員の質問に答えて、中原のり子さんの話を間接的には聞いたんだと、こう伺いました。医師の働き方改革というなら、この認識に立った規制とするべきではありませんか。
昨年、予算委員会に公述人として来られた中原のり子さんの夫の中原利郎さんは、小児科医として勤務されていた二十年前に四十四歳で自ら命を絶ちました。労災を認めた東京地裁の二〇〇七年三月十四日の判決は、中原医師が亡くなる前の業務の過重性についてどのように認定をしていますか。
その上で、医師の働き方改革に関する検討会においては、平成二十九年十二月二十二日に行われた第五回委員会で、東京過労死を考える遺族の会の代表の中原のり子さんからヒアリングを行っていて、私も担当部局からその内容は報告を受けております。
資料の5を見ていただきたいんですが、これは東京新聞の八月二十二日付の、この委員会でも御存じの方は多いと思いますが、東京過労死家族の会の代表をしている中原のり子さんのインタビューです。 まさに、私、この事例がぴったりだ、本当にそのとおりだなと思うんですが、中原さんの夫さんであった利郎さんは、一九九九年八月、四十四歳の若さで、勤務している病院から飛びおり自殺をしました。
特に、私が小児科医であるということから、小児科医で過労死認定を受けられました中原利郎先生のこと、そして亡くなられた後に奥様の中原のり子さんが中心となって始められた過労死をこれ以上繰り返してほしくないという活動には、大変感じるところが多いものでございます。
東京過労死家族の会の代表であります中原のり子さんは、夫は高度プロフェッショナル労働制の先取りで過労死したということをおっしゃっておられます。 結局、自律的に働くとか言えば言うほど、過労死しても労災認定がおりなくなる。
随行席の全国家族の会東京代表の中原のり子さんは、一九九九年に小児科医だった御主人を四十四歳で過労死で亡くされました。 勤務状況は、月に五回から八回の当直と救急患者、入院患者の対応をし、眠る間もなくそのまま日勤をこなし、三十二時間連続勤務という疲労こんぱい、過重労働の末に過労死されました。
五ページ目、過労死を考える家族の会東京代表の中原のり子さん、御主人がすばらしい小児科医であられましたけれども、残念ながら過労死をしてしまわれました。しかし、中原のり子さんがおっしゃるには、ここの記事にもありますように、まさに今回の高プロのような、労働時間規制を取っ払って青天井にする、そういう制度によって過労死をしたと。 次のページをお願いします。
これ検討会でプレゼンテーションを行いました中原のり子さん、働き方改革でもおいでいただいたようですけれども、小児科医の御主人を一九九九年に亡くされております。享年四十四歳。三十二時間連続勤務の当直が月八回、こういう激務の中で、病院の屋上から身を投げたという過労死、自殺でありました。
しいただいているんですけれども、私はぜひ当事者の淵上教育課程担当課長にお越しいただきたいと思っているんですけれども、お越しいただいておりまして、なぜお越しいただいているかといいますと、この後も取り上げますし、きょうは過労死家族会の寺西代表を始め、あるいは先日、渡邉美樹参議院議員の、本当に私は、遺族会の皆さんに対して、本当に逆なでをする大変な暴言だったと思いますけれども、議事録削除、その公聴会にお越しになられた中原のり子
中原のり子東京過労死家族会の代表が、参議院で先日、意見陳述をされました。私もその場で傍聴しておりましたけれども、本当に、長時間労働が過労死をふやすということで、御自分の御主人も、高度プロフェッショナルを先取りしたような制度で亡くなったということを切々と訴えられました。 しかし、それを聞いて質問したのが渡邉美樹議員。
そして、まさに三月十三日、参議院予算委員会公聴会で、きょうお越しの過労死家族会の中原のり子さん、本当に、渡邉美樹さんの御発言、私も拝見しましたけれども、週休七日で幸せなのかという、全く文脈にも関係ない。 しかも、きょう、二十六歳でお亡くなりになった森さんの御両親、十年前に愛する社員を亡くしている経営者と言って、私たちの娘について愛すると軽々しく言ってほしくありませんと。
○公述人(中原のり子君) はい。
○公述人(中原のり子君) 私は、やはり労働に関しては、先ほどのマーくんの詩ではないんですけれども、やはり仕事は、仕事と命と比べたらやはり命を大切に、その命を守るための仕事であるというふうに私は考えます。
○公述人(中原のり子君) 私も山田先生と同じ意見です。 やはり人が死なないそういう働き方を、やっぱりせめて私たちのこういう被災した遺族も納得できるような、そんな働き方改革であってほしいというふうに思います。
今日もお見えになっていますけれども、過労死家族の会の皆さんが声を寄せていて、夫である小児科医を過労自死で失った中原のり子さんは、今日手紙をいただきました。働き方改革という名の下に人の命を奪う、過労死を増やす法律を強行するのは絶対やめてほしい、これは、高プロも上限設定も白紙撤回すべきだと。私たち遺族は三十年も前からこの声を上げ続けています、どれほど犠牲者が出たら政府は分かってくれるのでしょうかと。
私も、約十年前から厚生労働委員会でこの過労死の問題、特に、きょうも傍聴に来られておられますが、東京過労死家族の会の代表の中原のり子さんにもお話をお聞きしながら、医師の方々の過労死の問題を始め、十年ぐらい取り組んでまいりました。 三年前には、過労死防止法を超党派で、安倍総理も賛成していただき、成立させ、私もこの間、数十人の過労死の御遺族の話、延べにすると百回以上お話をお聞きしてまいりました。
本日は、随行席には、全国過労死家族の会東京代表の中原のり子さんです。一九九九年に小児科医だった御主人を四十四歳で過労死で亡くされました。 勤務状況は、月に五回ないし八回の当直と救急患者、入院患者の対応をし、眠る間もなくそのまま日勤をこなし、三十二時間連続勤務という疲労こんぱいの過重労働の末の過労死でした。
○山井委員 それで、東京過労死を考える家族の会の、きょうもお越しをいただいています中原のり子代表は、この虚偽データ問題について、昨日のヒアリングの中でこうおっしゃっていました。本当に残念なことです、厚生労働省が出すデータに限っては間違いないものだと信じてきた、誠実な対応をしてほしい、きちんと実態調査をして、納得ができる形で法改正をしてほしい。当たり前ですよね。
昨年の十二月の働き方検討会議でもこうしたことがるる紹介をされて、御自身の夫さんが過労自殺で亡くなった中原のり子さん、もう二度とこういう思いをしないでいただきたいということを繰り返し言っているんです。だけれども、なぜそれを本格的に改善をしようとしないのか。私は、医師をふやすべきだと思うんですね。
特に、過労死等防止対策推進法、この制定に大きな役割を果たした当事者の奥様であります中原のり子さんという方がいらっしゃるわけですが、この方の亡くなられた御主人は東京都内の病院に勤務する小児科のお医者さんでありましたが、働き盛りの四十四歳で尊い命が失われたわけであります。
きょう、中原のり子さんもおられますが、御主人の利郎さんは、小児科医で、子供が大好きで、子供のため、子供のためということで、小児科医の現場でずっと働いておられて、結局、最終的に過労死されてしまうことになりました。また、西垣さんにおかれましては、私も先ほどのお話を聞いて改めて考えさせられたのは、すごく優秀だったわけですよね。