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26件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1973-06-14 第71回国会 参議院 外務委員会 第12号

ということは、あれだけ深くベトナム問題を外務省の中で担当し、しかも、北ベトナムに二回にわたって行かれて、人間関係といいますか、ベトナム問題については、外務省の中ではもちろん最も具体的に勉強しておられた三宅課長が、この時期に、いま交渉が始まろうというこの時期にかわられたということは、ちょっと常識では奇異なんですが、逆に考えれば、ジュネーブというところが舞台になる前提だと、こういうふうにも考えられないこともないのですが

田英夫

1973-06-14 第71回国会 参議院 外務委員会 第12号

田英夫君 そこで、交渉姿勢といいますか、内容という重要な問題になってくるわけですけれども、まあはっきり申し上げて、三宅課長が帰られてからの報告も含めて、あるいはこの委員会における大臣の御答弁を、従来の御答弁を聞いておりまして、国交正常化への道を非常に私は甘く考えられているのじゃないだろうか、こういうふうに考えられてならないのでありますが、案の定と申しますか、ここに星野さんもおられますけれども、社会党

田英夫

1973-06-14 第71回国会 参議院 外務委員会 第12号

田英夫君 これは実は南ベトナム臨時革命政府に対する政府姿勢というものは、すでに外務大臣からしばしばここで表明をされ、いまもはっきりと言われたように、これを承認するつもりはないというふうに言っておられるわけですけれどもこの姿勢で、たとえば三宅課長北ベトナムとずっと接触をした結果、そういう姿勢でも北ベトナムとの国交樹立は可能であるというふうに判断されておると、こう考えてよろしゅうございますか。

田英夫

1973-06-13 第71回国会 衆議院 逓信委員会 第21号

しかしながら、これは外務省所管事項でございますが、先般外務省三宅課長北ベトナムを訪問せられました際に、ぜひ北ベトナムとの間に直通回線を設けたいというような意向が申し述べられたやに私は聞いております。これに対して外務省から当方にも連絡がございましたので、郵政省といたしましてもこれを希望する旨申し上げておきました。

久野忠治

1973-06-05 第71回国会 参議院 外務委員会 第10号

政府委員(御巫清尚君) 北ベトナムの場合、三宅課長に対しまして、御指摘のような、質問と申しますか、あれがございましたことは私も報告を受けておりますが、日本は、これに対しまして、三宅課長の一行は何ら返事をする立場になかったということも事実でございますが、わが国が、過去におきまして、あるいは今後もでございましょうが、援助をやってまいります上で、そういう援助の総要請額が先にきまって、その中で援助の金額といいますか

御巫清尚

1973-05-30 第71回国会 衆議院 外務委員会 第18号

○金子(満)委員 そこで、ベトナム側は、どういうメンバーが三宅課長にお会いしたかということが一つと、もう一つは、いま、これから交渉するんだからいろいろということで、内容に入らないわけですが、実は私の質問はその内容を知りたいわけです。この内容——想像というのはだれだってするわけです。

金子満広

1973-05-30 第71回国会 衆議院 外務委員会 第18号

そういう中で、これはもう天下周知のように、この協定が締結された以後、外務省三宅課長ベトナム民主共和国を訪問した。そして、内容は、私、知りませんけれども、ベトナム側と一定の接触を持った、これはもう知らない人がないほど報道されているわけですが、この中で、三宅課長は、ベトナム民主共和国のどのような機関の招待で行ったのか、これが一つ。それからまた訪越の目的は何であったのか。

金子満広

1973-04-09 第71回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第4号

それから北越政府に対してでございますが、昨年の二月、外務省三宅課長ハノイを訪問いたしました際、並びに昨年四月北越経済視察団が来日いたしましたときに、同様に行くえ不明のリストを手渡しまして調査を依頼いたしました。先方の反応は、カンボジア王国民族連合政府大使館を通じて要望を伝える旨約束をされました。  

大平正芳

1973-04-03 第71回国会 参議院 外務委員会 第4号

北ベトナムとの接触と言えば、はやりことばのように三宅課長をやってサウンドさせるのだというふうなことばかり繰り返して、まだそれもなかなか実現の運びになってないようですが、大臣パリにおいでになるということであるならば、私はいい機会だと思うのであります。先方と十分な接触をはかられることが望ましいと思いますが、その御用意はございましょうか。

小谷守

1973-04-03 第71回国会 参議院 外務委員会 第4号

また、三宅課長が行くからということで——何も三宅課長が軽いというわけではありませんけれども、国交問題の接触ないしは復興援助の問題にいたしましても、そのクラスでいろいろな問題の進展は私はむずかしいのではないか。パリ大臣みずから北側の要人と接触をされる場があってもいいのではないか。いかがですか。

小谷守

1973-03-24 第71回国会 参議院 予算委員会 第10号

田英夫君 まあ、私の率直な気持ちを申し上げれば、日本政府は、あのアメリカ戦争協力をして、戦車は修理してやるわ、それを送るわ、あるいは沖繩基地その他本土の基地を含めて、直接間接にアメリカ戦争協力をしてきたという意味で、ベトナム国民に大きな責任を感ぜにゃいかぬ、こういう立場からすれば、たかだか十億円ぐらいのものを来年度用意しているということは非常に不満なんですけれども、ところで、外務省三宅課長

田英夫

1973-03-24 第71回国会 参議院 予算委員会 第10号

田英夫君 三宅課長派遣するということは最初の接触だというふうに受け取られるわけですけれども、三宅さんがどうのこうのということではなくて、一課長派遣して話が済む——いま大臣も、これは打診だという意味のことを言われたけれども、当然、そのあとに続く段取りというものがなければならない。アメリカの場合はキッシンジャー自身が行って話をしている。

田英夫

1973-03-17 第71回国会 参議院 予算委員会 第5号

前川旦君 衆議院で議題になりましたが、ベトナム民主共和国、いわゆる北越ですが、三宅課長さんの入国ができるようになったと新聞で拝見しました。この北ベトナムベトナム民主共和国に対する外務省としての、あるいは政府としての態度は、承認というもの、外交関係樹立というものを——これは同じことでしょうが、前提としての接触というふうに考えてよろしいですか。

前川旦

1973-03-08 第71回国会 参議院 外務委員会 第3号

まあ三宅課長行かれるなりしてそういう点をお確かめになるでしょうけれども。  もう一つ問題点は、解放戦線ですね。南ベトナム解放戦線、これは昨日伺ったところだと、アメリカニクソン大統領和平協定が結ばれた際の演説で、南ベトナムにおける唯一の合法政権は、グエン・バン・チュー政権であると、こういうことを言っているわけですね。

田英夫

1973-03-08 第71回国会 参議院 外務委員会 第3号

田英夫君 そうなりますと、三宅課長が行くのが皮切りで、北ベトナムとの国交回復——回復ではなくて、これは新しく結ぶわけでしょうけれども、ベトナム民主共和国国交を結ぶという方向に向かって、さらに三宅課長あと、モスクワなりパリなり、そういう場所で大使クラス接触があるというようなことも考えられますか。

田英夫

1973-03-07 第71回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

田英夫君 従来、三宅課長が行きましたのは、昨年の一月だったか二月だったか、初めだったと思いますけれども、それ以外にパリ和平会談が続行しておりまして、あそこに北ベトナム並び臨時革命政府代表がおりましたので、パリでの日本北ベトナム側の非公式の接触ということが可能であったように思いますけれども、今後は、北ベトナム側パリから引き揚げてしまいますと、そういうことがなくなりますけれども、その接触舞台

田英夫

1973-02-23 第71回国会 衆議院 外務委員会 第2号

これは私聞いておる話ですが、外務大臣はそうだとおっしゃらぬかもしれませんが、三宅課長が去年でございますか、行くときも、アメリカ方面からは何か非常に妨害というとどらですか、何か非常に行くことを歓迎しないというふうなことがあったというふうに、これは私は確かな方面から聞いておるのです。今度もまたキッシンジャーがまず行ってやってきて、それから今度はゆっくりわが日本政府課長をやって、そして接触をはかる。

堂森芳夫

1973-02-22 第71回国会 参議院 外務委員会 第2号

具体的にいろいろこれからの折衝もされるでしょうし、すでにもう三宅課長派遣もされていると。そうした一連の行動を通じて、政府としても、これからなし得る方法というものをお考えになるだろうと思うが、先ほど答えの中に、受益国立場というものを十分尊重しながら、できるだけその要請に基づいた合理的なそういう援助方法をしたいというお話でございました。

渋谷邦彦

1972-05-23 第68回国会 参議院 外務委員会 第10号

同時に、そのためにはまあイデオロギーを越えていずれの国とも仲よくするという政策を推進する、こういう考え方、これをとっていきたいと思いますので、まあ三宅課長北ベトナム派遣した、いまの状態であれをまた推進するということは当面はむずかしゅうございますが、基本的な方向としてはそういう方向で事を進めていきたい、こういうふうに考えております。

福田赳夫

1972-05-23 第68回国会 参議院 外務委員会 第10号

じゃないとおっしゃるけれども、実際に日本国民の多くと、特にアジアベトナムやその他中国、朝鮮といった人たちからすれば、日本のやっていることは明らかにアメリカ寄りだと、こう思うのはむしろ当然じゃないかと、私なんかは思うんですが、そういう中で、実際ベトナムが一体どうなっているのか、これからどうなる見通しなのかということをどうつかんでおられるのか、これは間違っているんじゃないかという気がするんですが、これは三宅課長

田英夫

1972-05-23 第68回国会 参議院 外務委員会 第10号

田英夫君 どうも、羽生さんとのやりとりを伺っていると、福田さんがどういう姿勢外交を進めようとしているか、特にアジア外交を進めておられるか、さっぱりわからなくなったので、その問題からお伺いしたいんですが、いわゆる対中国、アヒルの水かきとか、あるいは現実にベトナムについていえば三宅課長派遣、非公式ながら派遣をされるというようなことで、ずっとアジアに対していわゆる緊張緩和方向政府も向かうのだと、

田英夫

1972-04-25 第68回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第3号

矢追秀彦君 で、三宅課長が行かれたときの北ベトナムに対する打診の中に、ハイフォン港の改修というような問題があったということが新聞記事で出ておりますが、先ほど医療援助だけと言われましたが、もし戦争が終結をしたならば、そういった工業あるいは経済にわたる援助もされるおつもりなのかどうか。

矢追秀彦

1972-04-25 第68回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第3号

矢追秀彦君 北ベトナムに対して、いま赤十字を通じてと言われましたが、先日来かなり政府三宅課長を通じ北ベトナムとの接触もされ、先日また代表団が参りましたが、北ベトナム日本に対してかなり柔軟な路線で臨もうとしておると、こういうことを私は聞いておるわけですが、その点の感触はいかがですか。

矢追秀彦

1972-04-10 第68回国会 参議院 予算委員会 第9号

さればこそ、西村先生もたいへん御心配になって、みずから北ベトナムにおもむかれましたが、政府においても三宅課長派遣すると、そういうような行動をとると、非常に積極的な行動をとってきたわけなんです。ところが、米中会談がことしになって行なわれる、そういう時点が来たわけであります。私はこの米中会談の成り行きを見ておりまして、非常に実は内心心配しておったんです。

福田赳夫

1972-04-07 第68回国会 衆議院 商工委員会 第10号

それから、北ベトナム輸銀使用について、前にもお聞きしたことがあるのですが、最近政府は、前に北ベトナムに行きました三宅課長を通じて、和平前でも輸銀使用を認めるというようなことを伝えたということを聞いておるわけでございますが、これについては通産省としてはどういう見解を持っておりますか。

近江巳記夫

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