1973-06-14 第71回国会 参議院 外務委員会 第12号
ということは、あれだけ深くベトナム問題を外務省の中で担当し、しかも、北ベトナムに二回にわたって行かれて、人間関係といいますか、ベトナム問題については、外務省の中ではもちろん最も具体的に勉強しておられた三宅課長が、この時期に、いま交渉が始まろうというこの時期にかわられたということは、ちょっと常識では奇異なんですが、逆に考えれば、ジュネーブというところが舞台になる前提だと、こういうふうにも考えられないこともないのですが
ということは、あれだけ深くベトナム問題を外務省の中で担当し、しかも、北ベトナムに二回にわたって行かれて、人間関係といいますか、ベトナム問題については、外務省の中ではもちろん最も具体的に勉強しておられた三宅課長が、この時期に、いま交渉が始まろうというこの時期にかわられたということは、ちょっと常識では奇異なんですが、逆に考えれば、ジュネーブというところが舞台になる前提だと、こういうふうにも考えられないこともないのですが
○田英夫君 そこで、交渉の姿勢といいますか、内容という重要な問題になってくるわけですけれども、まあはっきり申し上げて、三宅課長が帰られてからの報告も含めて、あるいはこの委員会における大臣の御答弁を、従来の御答弁を聞いておりまして、国交正常化への道を非常に私は甘く考えられているのじゃないだろうか、こういうふうに考えられてならないのでありますが、案の定と申しますか、ここに星野さんもおられますけれども、社会党
○田英夫君 これは実は南ベトナム臨時革命政府に対する政府の姿勢というものは、すでに外務大臣からしばしばここで表明をされ、いまもはっきりと言われたように、これを承認するつもりはないというふうに言っておられるわけですけれどもこの姿勢で、たとえば三宅課長が北ベトナムとずっと接触をした結果、そういう姿勢でも北ベトナムとの国交樹立は可能であるというふうに判断されておると、こう考えてよろしゅうございますか。
しかしながら、これは外務省の所管事項でございますが、先般外務省の三宅課長が北ベトナムを訪問せられました際に、ぜひ北ベトナムとの間に直通回線を設けたいというような意向が申し述べられたやに私は聞いております。これに対して外務省から当方にも連絡がございましたので、郵政省といたしましてもこれを希望する旨申し上げておきました。
そこで、三宅課長がハノイを訪問しまして、もちろん大臣に全部報告があったことは当然でありましょうが、三宅課長が行きまして、復興援助問題についていろいろと詳しい話し合いもあったのではないか。まだわれわれは報告を聞いていないと思うのです。
○政府委員(御巫清尚君) 北ベトナムの場合、三宅課長に対しまして、御指摘のような、質問と申しますか、あれがございましたことは私も報告を受けておりますが、日本は、これに対しまして、三宅課長の一行は何ら返事をする立場になかったということも事実でございますが、わが国が、過去におきまして、あるいは今後もでございましょうが、援助をやってまいります上で、そういう援助の総要請額が先にきまって、その中で援助の金額といいますか
○吉田(健)政府委員 三宅課長が北越を訪問いたしました資格でございますが、これは、まだ国交が正式に回復しておりませんので、双方の立場がありまして、先方は商業会議所の招待という形をとったわけでございます。これは昨年参りましたときもやはり同じような形をとってやったわけでございます。
○金子(満)委員 そこで、ベトナム側は、どういうメンバーが三宅課長にお会いしたかということが一つと、もう一つは、いま、これから交渉するんだからいろいろということで、内容に入らないわけですが、実は私の質問はその内容を知りたいわけです。この内容は——想像というのはだれだってするわけです。
そういう中で、これはもう天下周知のように、この協定が締結された以後、外務省の三宅課長がベトナム民主共和国を訪問した。そして、内容は、私、知りませんけれども、ベトナム側と一定の接触を持った、これはもう知らない人がないほど報道されているわけですが、この中で、三宅課長は、ベトナム民主共和国のどのような機関の招待で行ったのか、これが一つ。それからまた訪越の目的は何であったのか。
それから北越政府に対してでございますが、昨年の二月、外務省の三宅課長がハノイを訪問いたしました際、並びに昨年四月北越の経済視察団が来日いたしましたときに、同様に行くえ不明のリストを手渡しまして調査を依頼いたしました。先方の反応は、カンボジア王国民族連合政府大使館を通じて要望を伝える旨約束をされました。
北ベトナムとの接触と言えば、はやりことばのように三宅課長をやってサウンドさせるのだというふうなことばかり繰り返して、まだそれもなかなか実現の運びになってないようですが、大臣がパリにおいでになるということであるならば、私はいい機会だと思うのであります。先方と十分な接触をはかられることが望ましいと思いますが、その御用意はございましょうか。
また、三宅課長が行くからということで——何も三宅課長が軽いというわけではありませんけれども、国交問題の接触ないしは復興援助の問題にいたしましても、そのクラスでいろいろな問題の進展は私はむずかしいのではないか。パリで大臣みずから北側の要人と接触をされる場があってもいいのではないか。いかがですか。
田英夫君 まあ、私の率直な気持ちを申し上げれば、日本政府は、あのアメリカの戦争に協力をして、戦車は修理してやるわ、それを送るわ、あるいは沖繩の基地その他本土の基地を含めて、直接間接にアメリカの戦争に協力をしてきたという意味で、ベトナムの国民に大きな責任を感ぜにゃいかぬ、こういう立場からすれば、たかだか十億円ぐらいのものを来年度用意しているということは非常に不満なんですけれども、ところで、外務省は三宅課長
○田英夫君 三宅課長を派遣するということは最初の接触だというふうに受け取られるわけですけれども、三宅さんがどうのこうのということではなくて、一課長を派遣して話が済む——いま大臣も、これは打診だという意味のことを言われたけれども、当然、そのあとに続く段取りというものがなければならない。アメリカの場合はキッシンジャー自身が行って話をしている。
○田英夫君 三宅課長のハノイでの話の内容といいますか、三宅課長派遣の目的といいますか、これはどういうふうに考えたらいいですか。
○前川旦君 衆議院で議題になりましたが、ベトナム民主共和国、いわゆる北越ですが、三宅課長さんの入国ができるようになったと新聞で拝見しました。この北ベトナム、ベトナム民主共和国に対する外務省としての、あるいは政府としての態度は、承認というもの、外交関係の樹立というものを——これは同じことでしょうが、前提としての接触というふうに考えてよろしいですか。
まあ三宅課長行かれるなりしてそういう点をお確かめになるでしょうけれども。 もう一つの問題点は、解放戦線ですね。南ベトナムの解放戦線、これは昨日伺ったところだと、アメリカのニクソン大統領は和平協定が結ばれた際の演説で、南ベトナムにおける唯一の合法政権は、グエン・バン・チュー政権であると、こういうことを言っているわけですね。
○田英夫君 そうなりますと、三宅課長が行くのが皮切りで、北ベトナムとの国交を回復——回復ではなくて、これは新しく結ぶわけでしょうけれども、ベトナム民主共和国と国交を結ぶという方向に向かって、さらに三宅課長のあと、モスクワなりパリなり、そういう場所で大使クラスの接触があるというようなことも考えられますか。
それから三宅課長が今度ハノイに行くようでありますけれども、当然経済協力なり援助の問題なりというものも話し合われると思います。そういう基本方針というものをどう考えておるのか。それはあるいはそれ以前の問題だというふうに答弁されるかもわかりません。
○田英夫君 従来、三宅課長が行きましたのは、昨年の一月だったか二月だったか、初めだったと思いますけれども、それ以外にパリで和平会談が続行しておりまして、あそこに北ベトナム並びに臨時革命政府の代表がおりましたので、パリでの日本と北ベトナム側の非公式の接触ということが可能であったように思いますけれども、今後は、北ベトナム側がパリから引き揚げてしまいますと、そういうことがなくなりますけれども、その接触の舞台
○田英夫君 それは、前回同様、三宅課長ないし何人のどういう形の代表であるか、いまもし明らかにすることができるならば、お答えいただきたい。
これは私聞いておる話ですが、外務大臣はそうだとおっしゃらぬかもしれませんが、三宅課長が去年でございますか、行くときも、アメリカ方面からは何か非常に妨害というとどらですか、何か非常に行くことを歓迎しないというふうなことがあったというふうに、これは私は確かな方面から聞いておるのです。今度もまたキッシンジャーがまず行ってやってきて、それから今度はゆっくりわが日本政府は課長をやって、そして接触をはかる。
具体的にいろいろこれからの折衝もされるでしょうし、すでにもう三宅課長を派遣もされていると。そうした一連の行動を通じて、政府としても、これからなし得る方法というものをお考えになるだろうと思うが、先ほど答えの中に、受益国の立場というものを十分尊重しながら、できるだけその要請に基づいた合理的なそういう援助の方法をしたいというお話でございました。
○羽生三七君 そうすると、三宅課長がハノイを訪問して、それらの問題について北ベトナム側の意向を打診しつつ、相手の意向によってはいつでも北ベトナムと国交を持つことにやぶさかでないと、こういうふうに理解していいわけですか。
考えておられるんだと思いますが、たとえば三宅課長という名前も出ておりますが、三宅課長はいつベトナム民主共和国を訪問されるのか、今度はどういう資格で訪問されるのか、その辺のことをひとつお答え願いたいと思います。
同時に、そのためにはまあイデオロギーを越えていずれの国とも仲よくするという政策を推進する、こういう考え方、これをとっていきたいと思いますので、まあ三宅課長を北ベトナムに派遣した、いまの状態であれをまた推進するということは当面はむずかしゅうございますが、基本的な方向としてはそういう方向で事を進めていきたい、こういうふうに考えております。
じゃないとおっしゃるけれども、実際に日本の国民の多くと、特にアジアのベトナムやその他中国、朝鮮といった人たちからすれば、日本のやっていることは明らかにアメリカ寄りだと、こう思うのはむしろ当然じゃないかと、私なんかは思うんですが、そういう中で、実際ベトナムが一体どうなっているのか、これからどうなる見通しなのかということをどうつかんでおられるのか、これは間違っているんじゃないかという気がするんですが、これは三宅課長
○田英夫君 どうも、羽生さんとのやりとりを伺っていると、福田さんがどういう姿勢で外交を進めようとしているか、特にアジア外交を進めておられるか、さっぱりわからなくなったので、その問題からお伺いしたいんですが、いわゆる対中国、アヒルの水かきとか、あるいは現実にベトナムについていえば三宅課長の派遣、非公式ながら派遣をされるというようなことで、ずっとアジアに対していわゆる緊張緩和の方向に政府も向かうのだと、
○矢追秀彦君 で、三宅課長が行かれたときの北ベトナムに対する打診の中に、ハイフォン港の改修というような問題があったということが新聞記事で出ておりますが、先ほど医療援助だけと言われましたが、もし戦争が終結をしたならば、そういった工業あるいは経済にわたる援助もされるおつもりなのかどうか。
○矢追秀彦君 北ベトナムに対して、いま赤十字を通じてと言われましたが、先日来かなり政府は三宅課長を通じ北ベトナムとの接触もされ、先日また代表団が参りましたが、北ベトナムは日本に対してかなり柔軟な路線で臨もうとしておると、こういうことを私は聞いておるわけですが、その点の感触はいかがですか。
私の行ったあと、何の打ち合わせもなしに全く突然、三宅課長が行った。私は帰りに、途中でそのことを知ったのでございますが、そのことがまた、私の言ったことが間違いでなかったということをあらわす一つの証左であると見ております。
さればこそ、西村先生もたいへん御心配になって、みずから北ベトナムにおもむかれましたが、政府においても三宅課長を派遣すると、そういうような行動をとると、非常に積極的な行動をとってきたわけなんです。ところが、米中会談がことしになって行なわれる、そういう時点が来たわけであります。私はこの米中会談の成り行きを見ておりまして、非常に実は内心心配しておったんです。
それから、北ベトナムの輸銀使用について、前にもお聞きしたことがあるのですが、最近政府は、前に北ベトナムに行きました三宅課長を通じて、和平前でも輸銀の使用を認めるというようなことを伝えたということを聞いておるわけでございますが、これについては通産省としてはどういう見解を持っておりますか。