2020-03-16 第201回国会 参議院 予算委員会 第11号
私自身も、長年にわたりまして、ここでこの案件深く関わってきた一人といたしまして万感胸に迫るものがございました。また、今月末には、沖縄経済にとって大変大きな影響がございます那覇空港の第二滑走路の供用が開始となります。
私自身も、長年にわたりまして、ここでこの案件深く関わってきた一人といたしまして万感胸に迫るものがございました。また、今月末には、沖縄経済にとって大変大きな影響がございます那覇空港の第二滑走路の供用が開始となります。
そのほか、エストニアのIT立国に向けての取組は、今後の世界が目指すべき方向でありましょうし、また、リトアニアにおける杉原千畝記念館等の視察は、万感胸に迫るものがありました。 今、御報告申し上げた調査の詳細は、現在、海外派遣報告書を鋭意作成中でございますが、こちらもあわせて御参照くださいますようお願いいたします。
私も二度落選をしているんですけれども、この農林水産大臣就任ということについては、御本人も大変うれしかったと思いますし、支持をされてこられた方も万感胸に迫る思いであったのではないでしょうか。先日伺いました所信については、その気合いも込めた、随分入っているな、そういった思いで私も聞かせていただきました。 きょうは、その所信についての質疑になります。
………………………………… 野田 聖子君の挨拶 本日、院議をもって永年在職議員表彰の栄誉を賜り、万感胸に迫る想いです。これも、日頃より惜しみないご支援をもって国政へ送り続けてくれた地元岐阜の皆さま。折に触れて応援して下さった全国各地の皆さま。私の政治活動を支えてくれた事務所スタッフ。
当時の二階総務会長のリーダーシップのもと、津波防災の重要性を世界に訴え、国連総会の全会一致で、十一月五日が世界津波の日に制定されたことは、万感胸に迫るものがありました。
………………………………… 赤松 広隆君の挨拶 この度、永年在職議員の表彰を院議をもって御決議を賜り、万感胸に迫る想いであります。この栄誉は偏に長きに亘って私をお育ていただき、御支援を賜った愛知、名古屋の皆様、そして至らぬ私を御教示、御指導くださった先輩、同僚、後援会の皆様のお蔭でございます。心から感謝申し上げます。
遺骨収集団の方々が厚生労働省の職員の方に御遺骨を渡されるときに、非常に万感胸に迫るような感じで、もう目を泣きはらしてお渡しをされておられました。見ておりました私も、本当に感きわまるような感じになりましたけれども、こういうふうな国のために亡くなった英霊、こういった方々の思い、あるいは名誉、誇り、こういったものを取り戻していかなくてはならないと思います。
まして、奥様、章子夫人を初め御家族の悲しみを思うとき、万感胸に迫り、お慰めの言葉も見つかりません。 私は、ここに、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べさせていただきます。 松下忠洋先生は、昭和十四年二月九日、現在の薩摩川内市に、農家の六人兄弟の次男としてお生まれになりました。
————————————— 武部 勤君のあいさつ このたび、在職二十五年の表彰を賜り、万感胸に迫るものがあります。この栄誉は、ひとえに私を育ててくれた郷里の皆様及び先輩や同僚のご指導とご支援のおかげであります。また、家族、親族、友人、事務所の皆様にも感謝の誠をささげます。
大変な険しい道のりであったと想像いたしますし、私も、あの最終日、深夜一時半近くになったかと思いますが、あの議長が満面の笑みで木づちを振りおろされ、そして会場じゅうの方々がすべて総立ちで、拍手鳴りやまぬあの雰囲気を、ネット中継からではありましたけれども拝見をし、万感胸に迫る思いで涙をさせていただいたところでありました。
私自身も、海江田議員のその御質問に対して万感胸に迫るものがございました。確かに、もう十三年前、私も海江田議員と一緒に、この国を再びもう一度変えていかなければならない、ぎりぎりの状況に来てしまっている、国民のための政治がどこへ行ってしまったんだ、そんな思いのもとで自民党を飛び出した私が、さらに再び新党さきがけを飛び出さなきゃならない。
昭和五十八年の初当選以来、苦しかったこと、政治家冥利であったこと等々、過ぎし歳月を想い、万感胸に迫るものがあります。この表彰は身に余る光栄でありますが、ひとえに先輩、同僚の皆さまのご指導、ご厚誼によるものであります。何よりも、私ごときものを、今日まで温くご支援、ご指導いただきました地元京都一区の有権者、後援会の皆さまのお心によるものであり、感謝の気持を表す言葉すら見い出し得ないのであります。
このことは、ひとえに先輩同僚議員各位の御鞭撻と厚き友情のおかげでありまして、万感胸に迫るものがあります。心から厚く御礼を申し上げます。(拍手) また、今日までお育ていただきましたふるさと岩手の皆様、後援会の皆様、家族、スタッフのおかげでありまして、心より感謝申し上げます。
私は今、その光景を思い浮かべながら、同じ壇上に立ち、先生の一言一句を振り返るとき、万感胸に迫るものがあります。 先生は法律を成立させただけではありませんでした。やせ衰えた体を押して、がん対策推進協議会を欠かさず傍聴されるなど、命を削って、立法者の責任を果たされました。 山本先生は、昨年七月の参議院選挙にも立候補され、再選を果たされました。
本日は、河野議長のお許しを得て、初登壇のお許しをいただき、万感胸に迫る思いでございます。この場を与えていただきました皆様に心より感謝を申し上げ、ただいま議題となりました内閣提出の運輸の安全性の向上のための鉄道事業法等の一部を改正する法律案につきまして、質疑をいたします。
————————————— 与謝野 馨君のあいさつ このたび、院議をもちまして在職二十五周年の表彰を賜りましたことは国政に携わるものとして身に余る光栄であり、万感胸に迫るものがございます。これはひとえに先輩、同僚の皆様の御指導、御鞭撻の賜物であり、また、何より地元東京一区の方々の長年にわたる温かい御支援によるものであり、深く感謝をしております。
————————————— 平沼 赳夫君のあいさつ このたび、院議をもって在職二十五年の表彰の栄に浴し、万感胸に迫るものがあります。 顧みれば、私は幼いころより政治家になることを夢見ていました。 そして、理屈なしで出馬するならば選挙区は墳墓の地の岡山と決めておりました。
このたび引退するに当たり、思い出は多く、万感胸に迫るを禁じ得ません。長年にわたり、先輩、同僚議員各位から賜りました御厚情と御支援に対しまして、ここに謹んで厚く御礼を申し上げます。 現下、多端な情勢の折から、国会に対する国民の関心は高く、特に参議院に寄せる期待は大なるものがあります。
きょうは、私、この母子寡婦福祉法の改正について質問できますこと、非常に万感胸に迫るものがあります。 というのは、多少個人的なことになりますが、大学時代、私はバイオの研究をしておりまして、酵母菌の研究をしておったんですが、その私が福祉や政治に関心を持ったきっかけが、学生時代、六年間母子寮でボランティア活動をしておりました。
これについて大臣、あのあいさつで、万感胸にあったと思うのですが、改めまして過去を振り返っての反省といいますか、私はあってしかるべき、大臣のせいではないのですが、思うところがあるのではないかと思うので、その所見を改めてここでお聞きしたいと思うのです。
伊藤先生をここまで育てられた宮城県の皆さん、特に今日まで伊藤先生とともに苦難の道を歩んでこられた、つや子夫人、御長男の信太郎君を初めとする御家族の皆さんの悲しみを思うと万感胸に迫り、流れ出る涙をとどむることができません。 ここに、伊藤先生の御遺徳をしのび、残された私ども議員一同、世界の平和と国民の幸せのための素晴らしい議会政治を確立することを誓って、追悼の言葉とさせていただきます。