2017-02-22 第193回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号
そして、先日、一昨年ですか、お亡くなりになりましたが、ルバング島で長く日本兵として一人で戦い続けた小野田寛郎さんという方がいらっしゃいましたけれども、私、この方の講演を生前にお伺いをしたことがあるんですが、小野田さんの生まれた家は、和歌山県の今の海南市の神主の家系で、そこでは、何と驚くべきことに、神武天皇が東征をしてきたときに滅ぼされた、その地に上陸をして滅ぼされた名草戸畔という人を葬った神社であると
そして、先日、一昨年ですか、お亡くなりになりましたが、ルバング島で長く日本兵として一人で戦い続けた小野田寛郎さんという方がいらっしゃいましたけれども、私、この方の講演を生前にお伺いをしたことがあるんですが、小野田さんの生まれた家は、和歌山県の今の海南市の神主の家系で、そこでは、何と驚くべきことに、神武天皇が東征をしてきたときに滅ぼされた、その地に上陸をして滅ぼされた名草戸畔という人を葬った神社であると
○アントニオ猪木君 先ほど触れました小野田さんの件ですが、七四年にルバング島から日本に帰ってきまして、それでその後、私もブラジルの方で牧場や農場もやっておりましたので、小野田さんがブラジルに行かれたということでいろいろ我々も何か応援できることがないかということで、一つはブルドーザーが欲しいというのでブルドーザーを贈ったことがあります。
私自身も、ルバングから帰ってこられました小野田中尉の自然塾というのを関心持っていまして、この前、本もまた書かれまして、君ならどうするという本でございますが、要するに、もう本当に自然の中に子供たちをほうり投げてやらせるんですね。かなり大胆な試みだったと思うんですけれども、その中で子供たちが本当に何かたくましく成長していく過程が見られるわけでございます。
これはこの前、ルバングから帰ってこられた小野田さん、あの方の本が出ていまして、「君たち、どうする?」という本でございまして、あの方は、ブラジルに渡って牧場を開かれて、それでもやはり日本に時々帰ってこられて、自然塾というのをつくられて、子供たちを本当に自然の中にほうり出して鍛えていらっしゃる、その記録みたいな本でございます。
それで、私この前、ルバングから帰ってこられた小野田寛郎中尉、立派な人ですね、あの人が、ブラジルで牧場をつくった後、今度は日本にまた来られて、自然塾という塾をやっている。その本を読ませていただきました。「君たち、どうする?」まさに大畠先生言われたように、山の中にほっぽり出すんですね。そしていろいろなこともやらせる。
これは、ルバング島から奇跡の生還を果たしました私の同期小野田寛郎君を講師に、毎年夏この山で町内小学生と下流地域の小学生が一緒に参加して行う自然体験塾を開催して、今六年になっております。 また、本町では都市との交流事業や国際交流なども推進しておるわけでございますが、都市との交流事業の一環といたしまして、ふるさと日南邑事業がございます。
私は陸軍少尉殿だから、ルバングから帰ってきた小野田君と同期です。だから部隊へ行きますと先輩というのですよ。野呂恭一さんは私が教官の時の生徒だから、あの人は。だからこの海軍の技術少佐福井さんなんというのは部隊へ行ったら大変な大先輩です。当時は皆さんが助けてやっておられるのです。ところがこの中に妙なことを書いているのです。私はこれを質問してないですよ。
この種の件について、私は前から何遍も言っているのでありますけれども、ルバングの問題だって、政府の方々の御努力ではなしに民間の一青年の努力の結果として無事に最後の一人である小野田氏が救出をされたということであります。
まず、この未帰還者の現状及び今後の処理方針と言いましょうか、そういうものについて伺いたいと思っておるわけですが、最近グアム島の横井さんであるとか、ルバング島の小野田さんであるとか、あるいはモロタイの中村さんというふうな方々がたくさん帰ってこられたわけなんでありますが、こういうふうに相当長期間現地におられる方が出てこられるということは、これまでの調査に何かやっぱり問題はなかったんかという反省をしておるわけなんでございます
ルバング島だけが島じゃないわけです。そうすると、こういうような人たちがもういないのかどうか、十分その辺に対しての調査はできておりましょうか。ビルマは大きい一つの土地ですから、そこでわかる。
○島本委員 ルバング島では戦争は行われましたか。
○八木政府委員 ルバングでもありました。
○戸井田委員 また一方、先日はモロタイ島で中村さんが救出され、その前にはルバング島の小野田さんが救出され、やはり三十年の歴史の重みといいますか、そういったものが国民の感情に与える刺激というものは大変大きかったわけであります。しかしながら、そういうような小野田さんにしても、中村さんにしても、お帰りになって、国の手当というものが、現在の社会通念から著しくかけ離れている。
○島本委員 小野田少尉がルバング島から帰ってきて、三十年。三十年も当分の間。そうするといまここに出た六年、五年、三年、これも三年の二倍が六年ですから、そういう意味で三年を設定すると六年というのは二倍に当たる。まことに重宝なことばが当分の間。したがってこの際、好きな当分の間、きらいなはっきりした年限、これをひとつきちっと当てはめておいて努力目標にしてがんばろうじゃありませんか。
その中には、たとえば捜索費とかいろいろあるかもしれませんが、ルバング島における島民の死亡あるいはけがその他に対する補償も含まれておるのかどうか、いまの条約局長の御答弁と関連してその点をちょっと伺いたいと思います。
○河野説明員 ルバング島におきます島田さんあるいは小塚さんの死亡につきましてでございますが、これは厚生省といたしましては、死亡ということで取り扱っております。ただ、これらにつきましての援護法あるいは恩給法上の取り扱いにつきましては、公務上の死亡ということで公務死として取り扱う、かようにいたしております。
○高島政府委員 小野田元少尉の救助に関しまして、フィリピン政府及び民間の方々の多大な御協力によりまして救出されたという事実にかんがみまして、過去ルバング島におられる間に小野田元少尉あるいはその他の方々の救出に関連いたしまして、島民に多大の犠牲をしいた事実がございます。
それから関係者なりあるいは現地のルバング島の関係者、空軍等に対しますお世話になったというような気持ちをあらわすという意味で、ある程度のお礼のものを持って参っております。約三十万程度でございます。
○説明員(藤田公郎君) 三億円は関係大臣でおきめいただいて、ただしどういうふうにこの三億円を使ったらいいかということは、まあフィリピン政府の御希望もあると思いますし、日本としては直接いろいろ御迷惑をかけたルバング島の住民の民生福祉に使っていただきたいという希望は表明しておりますけれども、具体的にどういうようなものが一番適当かということはフィリピン政府のお考えを聞いて具体的にきめるということになっております
○政府委員(八木哲夫君) まず鈴木さんの問題でございますけれども、鈴木さんは、たまたま御自分の意思でボランティアとしましてルバング島に渡って小野田さんに接触をしたというようなことでございまして、その後発見、接触後、厚生省のほうに写真等がまいりまして小野田さんであるということが間違いなくわかったわけでございますが、その時期におきまして厚生省におきましても柏井団長をキャップとしまして谷口少佐あるいは小野田
○川俣委員 大蔵省、予算委員会で大臣も来てないのだけれども、ルバング、小野田、あれ何ぼかけたの、一人に。 それで、やっぱり四カ町村がおののいておるのだよ。そうだろう。もう安心だと思ったら、二日目か三日目にまた出てきたという。溶岩が流れてきたのではないかと今度はまた騒いだら、まあだいじょうぶだろう。また騒ぎだした。やっぱり観測体制。
戦後三十年間の長期にわたりまして、ルバング島において孤独の生活を続けて帰国されました小野田さんの不屈の精神力に心からの敬意を表しました私は、同時に発生いたしました一少年の金銭欲のためのハイジャック事件に、まことに残念に存じた次第であります。
その前に、一つ承っておきたいのですが、ルバング島から小野田さんがお帰りになる。無事にお帰りになるということで、たいへん私も人一倍うれしいわけであります。実はあの方は、私と同年輩でございまして、豊橋の第二予備士官学校の御出身でございます。
○八木政府委員 今回のルバング島におきます救出経費でございますが、最終的に、まだ帰ってきておりませんので、詳しい数字等はわかりませんけれども、今回の救助につきましては、昨年から一昨年にかけて行ないましたのと違いまして、非常に短期間でございます。そういうことで、こちらから参りました職員、あるいはお願いしました民間の方々の旅費が大部分だろうというふうに思われます。
いま大出議員からもお話しのように、小野田元少尉がルバング島から無事に帰還をしてくれることになりました。われわれ、生存者を救済するという意味において、政府が力をいたされたことにつきましても、また国民がこれにあと押しをしたことについても、ほんとうにありがたいことだと思っております。
○八木政府委員 小野田元少尉につきましては、陸軍中野学校の二俣分校で特殊教育を受けまして、ルバング島に特殊任務でおもむいたわけでございまして、その後日本軍が投降した際も最後まで勧告に応じないで、いまだにルバング島に残留しているということで、最近鈴木青年が小野田少尉に会った話でも、上官の命令がなければ出られないと言っておりますので、逃亡兵ではないと思います。
○河野説明員 現在ルバング島におきまして小野田元少尉の捜索が行なわれておるわけでございますけれども、今回の情報は、従来の情報がいずれも現地の住民の方がそれらしき人を見たというような情報であったわけでございますが、今回初めて日本人旅行者の鈴木紀夫さん、二十四歳と聞いておりますけれども、鈴木さんが一晩小野田さんらしい人と会っていろいろ話をした、かように聞いておるわけでございます。
きょうは厚生省の援護局から来ていらっしゃるので、いま国民的注目の的になっておりますルバング島の小野田元少尉についてどうしても聞いておきたいので、きょうはお尋ねしているわけでございますが、小野田さんの発見は事実であるのか、またあの写真に出ている、接触した問題等について厚生省ではどのように理解し、どういう対策を講じ、小野田元少尉に対する生存を確認をし、また確認が決定された場合の今後の問題について、厚生省
先ほどから小林委員おっしゃられておりますように、横井庄一氏の場合あるいはルバング島における小野田少尉の場合を見ましても、たとえば小野田少尉、小塚金七両兵士、将校と兵隊がフィリピンにおいて何人かの現住民を殺傷している、あれは一体だれの罪なのか、戦後三十年になんなんとする現在、なお山にこもって出てこられないのは一体だれの罪か、現住民を殺したのはだれの罪か、これは国家の罪じゃないのか、そういうことをつくづく