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51件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-04-23 第204回国会 衆議院 外務委員会 第10号

運悪くソ連抑留された者は、異郷の地で飢えと極寒のために、あるいは収容所で、あるいはラーゲル内で栄養失調のため骨と皮ばかりに痩せ細り、働く元気どころか歩行さえ困難となり、足下に転がっている直径五寸ほどの原木をまたぐことさえできずに、両足を引きずりながら丸太を避けて通ったものだ。

青山大人

1975-02-20 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

そして大体一カ月とかいうふうにそのダーチャとかラーゲルへ参りまして、子供たちは、そこで机に向かって勉強することはほとんどなくて、体を焦がし、そして体力を練るという状態で、この特派員の磯田さんのお嬢さんも坊ちゃんも、モスクワの近くにあるラーゲルに二十六日間行っているんですね。そこではハリネズミがいるし昆虫とかあるいは鳥類、それがもう盛んに動き回っている。そして面積が日比谷公園の十倍だというんですね。

山原健二郎

1963-06-04 第43回国会 衆議院 農林水産委員会 第36号

どものほうも、ソ連抑留者食糧事情についての資料もいまここにございますが、きょうはそこまで具体的には触れませんけれども、決して政府がお考えになっておられるような事情では私はないように思うし、かつまた生活形態というものが、日本人の日常の形態ソ連ラーゲルの中における形とはまるきり違うのですから、そういうようなことも考慮すれば、韓国の場合だけに支給されて、ソ連の場合には支給しなくてもいいという理屈は

安井吉典

1958-02-19 第28回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

そのとき、ここにいる山村さんなんかと私は六月十七日に出所したのですが、ラーゲルの中の人とも連絡をとりまして、七月四日に出てくる日本人のために骨折ってくれ、そういうことで私が約束したのです。そうして、四人出てきたが、住むところもないために、学校に部屋を借りてその人たちを泊めた。

夏堀洋

1958-02-19 第28回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

それから、昭和二十二年、ロシヤ人と口争いのために刑務所に入れられて、三年の刑をもらって、豊原のラーゲルというところにおりました。それからそこを九ヵ月目に釈放されたのです。そうして、ずっと掃除婦として、ある事務所やいろいろなところで働いておりました。それから、女性一人では生活ができないので、ある朝鮮人と結婚したのです。

柴田敏子

1957-04-03 第26回国会 衆議院 社会労働委員会海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会連合審査会 第1号

そういう混乱期にあったのでございますから、これは現地復員という措置がとられたのだと断定することも少し行き過ぎた気の毒な点もあると思いますので、その辺の法律に払う明文化されているものだから、法は曲げられぬということの気持もよくわかりますが、現地の起ったであろう実情もおわかりかと思いますので、まあ諸般の情勢を勘案して——あれはラーゲルにおりましたから、余儀なくの方です。

山下春江

1957-02-12 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

そして今度、どういうめぐり合せでわれわれと一緒ラーゲルにおるようになったか知りませんが、そういうととがあるので、自分日水兵としての体面をけがした、だから自分は刑が明けても国に帰る気持はない、こういうような意向でありまして、その人と近しくしておった人なんかは、相当これをなだめてとめたそらでありますが、しかし自分としてはどうも今さら一度脱走した人間がみんなと一緒に帰る気持にはなれないというのでどうしても

谷口新次

1957-02-12 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

これはラーゲルにおれば妻子ができるはずはないのでありますが、何がしか早く刑期が明けまして、そのまま船がない場合には向うで働いております。そのときに現地の妻をもらうというようなことで妻子ができる、市民権を持つということで、まあかかわり上、つい向うで暮らそうというようなことで残っておられる方も相当多いのじゃないかと思うのであります。

木下秀明

1957-02-12 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

従って、相当整備されて、コミッショナー等ラーゲル調査に行くような場合には、かなり手入れをしたと思うのです。けれども終戦当時一年ないしは一年半くらいの間は、全く乱雑だったのではないかという感じがしますが、もし御意見がありましたならば、この点お伺いしたいと思います。

野澤清人

1956-12-04 第25回国会 参議院 外務委員会 第10号

たとえばハバロフスクその他のラーゲルに行っているようであります。これから現地ナホトカまで来る時間はわかっているのであります。従いましてそれはすでに既定の計画でありまして、これは両方の事務当局は適去何回となく引揚げをやっておりますから、これは一つのルティーンの仕事として確定しておるわけでございます。問題はそれを発動することが今回一番大事なことでございます。それは批准書を交換したあと発動する。

法眼晋作

1956-10-29 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第21号

初めてハバロフスクに来たときに、日本人ラーゲルに入りまして、ほんとになつかしいような心強さを感じましたが、ソ連最高幹部会令条項によりまして、刑期の三分の二以上経過した者は、期限前に釈放するという条項を適用されまして、今年の八月の二十七日に釈放の判決を受け、十月の十日にハバロフスクを出発し、十三日にナホトカに着き、船で十六日になつかしいわが国に帰り、皆様のあたたかい手に抱擁されまして、十一年ぶりで

高橋晩成

1956-08-29 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第18号

それからモスクワに参りまして、モスクワで、主として外国人――独墺その他あらゆる国人のラーゲルにおりまして、二十四年にハバロフスクに帰りましてハバロフスクで、同年、刊を受けました。刑期は二十五年であります。いわゆる五十八条の第六項の情報勤務に従事したというのであります。受刑後は、ハバロフスクに二十七年まで、一般収容所におりまして、二十七年にモスクワ郊外のイワノボの将官ラーゲルに参りました。

板間訓一

1956-08-29 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第18号

たとえて申しますと、ラーゲルに新しく、日本人はもちろん、朝鮮人、支那人、ロシヤ人等が入って参りますと、その人がどういう経路を踏んできたかということを問いただしましてそしてその方面に行方不明に関係のある人が行きまして、根堀り葉堀り聞いて、何とか資料を得たいというふうに努力いたしております。

板間訓一

1956-07-21 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第16号

これはそのラーゲルでたまたま渡してくれておるので、向うが正式にこれを認めておるのではありません。たまたま渡っておるのですから、それでは一般に許しておるかというと、向うでは指示いたしておりません。またその中で、出したけれどももらっていないというのは、そういう直接通信の指定人というものは初めから申し込んであって、それ以外にやったものは大体もらっていないように思います。

大貫武平

1956-04-17 第24回国会 参議院 外務委員会 第8号

向うではこれは戦犯の問題として国内法でとにかく処理をして、そうして収容所に入れてある、ラーゲルに入れてある人たちなんです。従って向うとしても、やはりこれを釈放するには、一つ理由が要る。ただ人道上の問題として解決したいだけでは片づかん問題ですが、この点について、何か新しい観点から最近交渉される用意があるかどうか、ということをお伺いしているわけです。

岡田宗司

1956-04-02 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第11号

その中に何を入れることが最も適当かというようなことも気になりますので、私、きのう、ハバロフスクラーゲルで四年、五年苦労をされた方からつぶさに聞きました。やはり私ども厚生省が考えましたこととちょうど当りまして、高血圧の原因の大きな理由の中に、ヨード分の不足があるようでございました。

山下春江

1956-03-26 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第9号

ラーゲルを幾多回りましたが、その間水道のないラーゲルがたくさんありました。小さいラーゲルには水道がありません。やむを得ず年がら年じゅうありますところの雪を溶かしまして、飲料水にし、またお湯に入るというような、非常に水の窮屈なところでありますが、その水を飲みますために、私は一週間日に、ツンガーと申しまして、壊血病と脚気と合せたような病気になったのであります。まず足が高く上らない。

小堤省一

1956-03-26 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第9号

柴田参考人 待遇の悪い原因と申しますもののおもなものは、第十六収容所は、二十五年に俘虜ラーゲルとして設定されましてから、それがずうっと継続しておりまして、いわゆる自営自活収容所になっております。従いまして、労働者の収入によってその経営がまかなわれておりますし、その中から職員の給与まで払われておるのであります。

柴田武

1956-02-24 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第7号

野溝参考人 引き揚げ委員会委員の有無はあと回しにしまして、私ども将官と普通のラーゲルとの違うこともよく承知しておりました。そういう点については、私どももそんなに将官一般の方とを区別することはどうもおかしいじゃないか、これは同じようにしていただけないかということも要請して参りました。

野溝勝

1956-02-23 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第6号

顔付は、普通人並ラーゲルとしては普通といってよいだろう。」こう言いながら、最後のところで、やはりあなたの印象としても、あるいは聞いたところによっても、御不安があるのでしょう。「ソ連人一般の悩みでもあるが、冬に生野菜が欠乏するのをかこっていた。食堂、調理とも清潔で、ここには罐詰等も配給があり集合所にも使われていた。」こういうふうに矛盾するお話もあるが、大体どこにおいてもそう言われておる。

臼井莊一

1956-02-23 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第6号

第一ラーゲルにおりますものが八百六十九名、これは日本人です。それから第二、第三のラーゲルが、さきに団長の報告通りおのおの百二十人くらい、これはそのほかがあります。それからこの八百六十九名の中に婦人が三名、子供が一人、これは正確に申しますと、向うにおります日本人代表者の方から伺った数字ですから、大体間違いないと思います。

穗積七郎

1956-02-03 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

従いまして、大体今厚生省用意をいたしておりますものは、ラーゲルの中で生活された方々の御注意から出たものでございまして、調査には粗漏はないものと考えております。そのほかに、ビタミンとかその他の薬品類につきましては、外務省の方で特に折衝をしてくれまして、従来それらの薬品は一切手に渡っておらなかったのが、新聞、雑誌あるいは薬品等は、すでに、送付すれば入手できるような形になっております。

山下春江

1955-12-16 第23回国会 参議院 社会労働委員会 第6号

それでは私の九年間おりましたところの一般ラーゲルの最終のタイセット、ここのラーゲル状況をこの計画表に基きまして簡単に一言御報告いたします。  その前に、私の終戦時から抑留されるまでの状況抑留中の状況これを続けて申し上げます。私は四五年四月満州国の警察官を拝命し、新京に勤務しておりました。

竹矢清吉

1955-12-16 第23回国会 参議院 社会労働委員会 第6号

この犬がわれわれのラーゲル生活ガンであるとさえ言われております。そしてまあ実際において彼らはガンである。すなわち彼らのほんとうの心と申しますると、犬の心はどういうものかと申しますると、ソ側といわゆる提携することによって、自分らの帰還が早められるのであるということが第一。第二はこれによって自分らの受ける利益――その他の利益ですが、利益が非常に大きいということ。

逢坂和雄

1955-12-16 第23回国会 参議院 社会労働委員会 第6号

そうしてその年の終りに、カラカンダの炭鉱ラーゲル、一般ロシヤの囚人の働いておりますところの炭鉱ラーゲルに入りまして、一年間炭鉱作業に従事しておりました。後からだを害しまして、健康を害しまして附近のアクノレンスカヤ・オブラスチと称するところにあります農場ラーゲルに移りました。そこにおいて半年畑の仕事に従事しておりました。

逢坂和雄