2021-04-23 第204回国会 衆議院 外務委員会 第10号
運悪くソ連に抑留された者は、異郷の地で飢えと極寒のために、あるいは収容所で、あるいはラーゲル内で栄養失調のため骨と皮ばかりに痩せ細り、働く元気どころか歩行さえ困難となり、足下に転がっている直径五寸ほどの原木をまたぐことさえできずに、両足を引きずりながら丸太を避けて通ったものだ。
運悪くソ連に抑留された者は、異郷の地で飢えと極寒のために、あるいは収容所で、あるいはラーゲル内で栄養失調のため骨と皮ばかりに痩せ細り、働く元気どころか歩行さえ困難となり、足下に転がっている直径五寸ほどの原木をまたぐことさえできずに、両足を引きずりながら丸太を避けて通ったものだ。
しかし、形の上では軍籍にあった者と同様にラーゲルに入って強制労働をさせられているわけで、言うならば軍人であった者とそうでない者との差別が全然ない、実態上では。
そのときに三輪健児という人ね、あるいは総理覚えておりますか、三輪健児、これは一緒にラーゲルに入れられて、一緒の部屋におった人です。それで田村さんがずいぶん苦しんだ人です。苦しんだことをよく知っている人です。
ちょうど戦後において、彼は五年間ハバロフスクのラーゲルに入っていた。
そして大体一カ月とかいうふうにそのダーチャとかラーゲルへ参りまして、子供たちは、そこで机に向かって勉強することはほとんどなくて、体を焦がし、そして体力を練るという状態で、この特派員の磯田さんのお嬢さんも坊ちゃんも、モスクワの近くにあるラーゲルに二十六日間行っているんですね。そこではハリネズミがいるし昆虫とかあるいは鳥類、それがもう盛んに動き回っている。そして面積が日比谷公園の十倍だというんですね。
私どものほうも、ソ連抑留者の食糧事情についての資料もいまここにございますが、きょうはそこまで具体的には触れませんけれども、決して政府がお考えになっておられるような事情では私はないように思うし、かつまた生活の形態というものが、日本人の日常の形態とソ連ラーゲルの中における形とはまるきり違うのですから、そういうようなことも考慮すれば、韓国の場合だけに支給されて、ソ連の場合には支給しなくてもいいという理屈は
そのとき、ここにいる山村さんなんかと私は六月十七日に出所したのですが、ラーゲルの中の人とも連絡をとりまして、七月四日に出てくる日本人のために骨折ってくれ、そういうことで私が約束したのです。そうして、四人出てきたが、住むところもないために、学校に部屋を借りてその人たちを泊めた。
それから、昭和二十二年、ロシヤ人と口争いのために刑務所に入れられて、三年の刑をもらって、豊原のラーゲルというところにおりました。それからそこを九ヵ月目に釈放されたのです。そうして、ずっと掃除婦として、ある事務所やいろいろなところで働いておりました。それから、女性一人では生活ができないので、ある朝鮮人と結婚したのです。
そういう混乱期にあったのでございますから、これは現地復員という措置がとられたのだと断定することも少し行き過ぎた気の毒な点もあると思いますので、その辺の法律に払う明文化されているものだから、法は曲げられぬということの気持もよくわかりますが、現地の起ったであろう実情もおわかりかと思いますので、まあ諸般の情勢を勘案して——あれはラーゲルにおりましたから、余儀なくの方です。
そして今度、どういうめぐり合せでわれわれと一緒にラーゲルにおるようになったか知りませんが、そういうととがあるので、自分は日水兵としての体面をけがした、だから自分は刑が明けても国に帰る気持はない、こういうような意向でありまして、その人と近しくしておった人なんかは、相当これをなだめてとめたそらでありますが、しかし自分としてはどうも今さら一度脱走した人間がみんなと一緒に帰る気持にはなれないというのでどうしても
これはラーゲルにおれば妻子ができるはずはないのでありますが、何がしか早く刑期が明けまして、そのまま船がない場合には向うで働いております。そのときに現地の妻をもらうというようなことで妻子ができる、市民権を持つということで、まあかかわり上、つい向うで暮らそうというようなことで残っておられる方も相当多いのじゃないかと思うのであります。
従って、相当整備されて、コミッショナー等がラーゲルの調査に行くような場合には、かなり手入れをしたと思うのです。けれども、終戦当時一年ないしは一年半くらいの間は、全く乱雑だったのではないかという感じがしますが、もし御意見がありましたならば、この点お伺いしたいと思います。
あるいはモスクワ付近のラーゲルには二、三十人いると、あるいは韓国に二百四十人くらいはいるだろう。その他シベリアの中部あたりに若干名いる。あるいはいろいろな鉄道沿線に散在しているというような程度のことは報告は来ておる。
たとえばハバロフスクその他のラーゲルに行っているようであります。これから現地のナホトカまで来る時間はわかっているのであります。従いましてそれはすでに既定の計画でありまして、これは両方の事務当局は適去何回となく引揚げをやっておりますから、これは一つのルティーンの仕事として確定しておるわけでございます。問題はそれを発動することが今回一番大事なことでございます。それは批准書を交換したあと発動する。
たとえはハバロフスクなりその他のラーゲルにいる、そういうことは聞かないでもわかっている。
この種の遺体等は、ナホトカばかりでなく、各地のラーゲル所在地にあるように思われますが、帰国者代表の希望にもありましたが、南方諸地域などと同様に、一日も早く収容施策を講ずべきであると考えます。 以上が大きな問題三点についての御報告であります。
初めてハバロフスクに来たときに、日本人のラーゲルに入りまして、ほんとになつかしいような心強さを感じましたが、ソ連の最高幹部会令の条項によりまして、刑期の三分の二以上経過した者は、期限前に釈放するという条項を適用されまして、今年の八月の二十七日に釈放の判決を受け、十月の十日にハバロフスクを出発し、十三日にナホトカに着き、船で十六日になつかしいわが国に帰り、皆様のあたたかい手に抱擁されまして、十一年ぶりで
そうして翌日から、内務次官は各ラーゲル、分所を回りまして、全日本人と会談をいたしました。このときに内務次官が申しましたきわめて要点を申し上げます。
それからモスクワに参りまして、モスクワで、主として外国人――独墺その他あらゆる国人のラーゲルにおりまして、二十四年にハバロフスクに帰りましてハバロフスクで、同年、刊を受けました。刑期は二十五年であります。いわゆる五十八条の第六項の情報勤務に従事したというのであります。受刑後は、ハバロフスクに二十七年まで、一般の収容所におりまして、二十七年にモスクワ郊外のイワノボの将官ラーゲルに参りました。
たとえて申しますと、ラーゲルに新しく、日本人はもちろん、朝鮮人、支那人、ロシヤ人等が入って参りますと、その人がどういう経路を踏んできたかということを問いただしましてそしてその方面に行方不明に関係のある人が行きまして、根堀り葉堀り聞いて、何とか資料を得たいというふうに努力いたしております。
去年十一月に入りましたときに、私もその中におりましたが、彼らは一週間日にすぐラーゲルに通知がきて、その日から作業に出ません。ギターをひいたり、マンドリンをひいたりできるようになった。そういうふうにごきげんをとっている。
これはそのラーゲルでたまたま渡してくれておるので、向うが正式にこれを認めておるのではありません。たまたま渡っておるのですから、それでは一般に許しておるかというと、向うでは指示いたしておりません。またその中で、出したけれどももらっていないというのは、そういう直接通信の指定人というものは初めから申し込んであって、それ以外にやったものは大体もらっていないように思います。
向うではこれは戦犯の問題として国内法でとにかく処理をして、そうして収容所に入れてある、ラーゲルに入れてある人たちなんです。従って向うとしても、やはりこれを釈放するには、一つの理由が要る。ただ人道上の問題として解決したいだけでは片づかん問題ですが、この点について、何か新しい観点から最近交渉される用意があるかどうか、ということをお伺いしているわけです。
その中に何を入れることが最も適当かというようなことも気になりますので、私、きのう、ハバロフスクのラーゲルで四年、五年苦労をされた方からつぶさに聞きました。やはり私ども厚生省が考えましたこととちょうど当りまして、高血圧の原因の大きな理由の中に、ヨード分の不足があるようでございました。
現に、最近北鮮へ引き揚げの交渉に参りました日赤交渉団が、中共の太原のラーゲルを訪問いたしまして、つぶさに内容を見せてもらい、話をしてきた実績もございまして、日赤ならば当然許されると思いまして、日赤と交渉をいたしております。
私ラーゲルを幾多回りましたが、その間水道のないラーゲルがたくさんありました。小さいラーゲルには水道がありません。やむを得ず年がら年じゅうありますところの雪を溶かしまして、飲料水にし、またお湯に入るというような、非常に水の窮屈なところでありますが、その水を飲みますために、私は一週間日に、ツンガーと申しまして、壊血病と脚気と合せたような病気になったのであります。まず足が高く上らない。
○柴田参考人 待遇の悪い原因と申しますもののおもなものは、第十六収容所は、二十五年に俘虜ラーゲルとして設定されましてから、それがずうっと継続しておりまして、いわゆる自営自活の収容所になっております。従いまして、労働者の収入によってその経営がまかなわれておりますし、その中から職員の給与まで払われておるのであります。
○野溝参考人 引き揚げの委員会の委員の有無はあと回しにしまして、私どもも将官と普通のラーゲルとの違うこともよく承知しておりました。そういう点については、私どももそんなに将官と一般の方とを区別することはどうもおかしいじゃないか、これは同じようにしていただけないかということも要請して参りました。
○木村(文)委員 それでは、あなたは一体ソ連のラーゲルというものはどう訳するか、言葉の問題ですが、まずそれをお聞きしたい。
そうして、将官ラーゲルと普通のラーゲルとでは扱いが違うということを、前に将官ラーゲルにおって、今度は帰り道で普通のラーゲルで一緒になった人が、ここの委員会に参考人としてこられて発言しております。自分たち将官ラーゲルには幾分かのバターが渡った。
顔付は、普通人並でラーゲルとしては普通といってよいだろう。」こう言いながら、最後のところで、やはりあなたの印象としても、あるいは聞いたところによっても、御不安があるのでしょう。「ソ連人一般の悩みでもあるが、冬に生野菜が欠乏するのをかこっていた。食堂、調理とも清潔で、ここには罐詰等も配給があり集合所にも使われていた。」こういうふうに矛盾するお話もあるが、大体どこにおいてもそう言われておる。
第一ラーゲルにおりますものが八百六十九名、これは日本人です。それから第二、第三のラーゲルが、さきに団長の報告の通りおのおの百二十人くらい、これはそのほかがあります。それからこの八百六十九名の中に婦人が三名、子供が一人、これは正確に申しますと、向うにおります日本人の代表者の方から伺った数字ですから、大体間違いないと思います。
従いまして、大体今厚生省が用意をいたしておりますものは、ラーゲルの中で生活された方々の御注意から出たものでございまして、調査には粗漏はないものと考えております。そのほかに、ビタミンとかその他の薬品類につきましては、外務省の方で特に折衝をしてくれまして、従来それらの薬品は一切手に渡っておらなかったのが、新聞、雑誌あるいは薬品等は、すでに、送付すれば入手できるような形になっております。
それでは私の九年間おりましたところの一般ラーゲルの最終のタイセット、ここのラーゲルの状況をこの計画表に基きまして簡単に一言御報告いたします。 その前に、私の終戦時から抑留されるまでの状況、抑留中の状況これを続けて申し上げます。私は四五年四月満州国の警察官を拝命し、新京に勤務しておりました。
この犬がわれわれのラーゲル生活のガンであるとさえ言われております。そしてまあ実際において彼らはガンである。すなわち彼らのほんとうの心と申しますると、犬の心はどういうものかと申しますると、ソ側といわゆる提携することによって、自分らの帰還が早められるのであるということが第一。第二はこれによって自分らの受ける利益――その他の利益ですが、利益が非常に大きいということ。
そうしてその年の終りに、カラカンダの炭鉱ラーゲル、一般のロシヤの囚人の働いておりますところの炭鉱ラーゲルに入りまして、一年間炭鉱作業に従事しておりました。後からだを害しまして、健康を害しまして附近のアクノレンスカヤ・オブラスチと称するところにあります農場ラーゲルに移りました。そこにおいて半年畑の仕事に従事しておりました。