2014-10-16 第187回国会 参議院 財政金融委員会 第2号
どちらかというと、ヨーロッパで開かれている場合には、やはりその評価がヨーロッパ文明の目で評価されるという傾向がございますが、日本で開かれる場合には、それぞれの文化について非常に素直な評価ができるであろうというような面。
どちらかというと、ヨーロッパで開かれている場合には、やはりその評価がヨーロッパ文明の目で評価されるという傾向がございますが、日本で開かれる場合には、それぞれの文化について非常に素直な評価ができるであろうというような面。
例えば、自然と共生するケルト人の古ヨーロッパ文明というのがあった。ゲルマン民族に追われてイギリスへ、イギリスを追われてアイルランドへ。そのケルト人の歌がエンヤさんのつくる歌であり、C・W・ニコルさんが日本でアファンの森づくりをやっているのではないか。 私は、そういうすぐれた文明の担い手だった日本、そのことを理解させることがあって初めて、国を愛する心や態度が生まれるのではないか。
フランス革命は、ヨーロッパ文明の極めてこの人権思想の中には一種の日本でいえば下克上といったような革命思想が内側に含まれている理念で、日本の伝統、文化とは違う思想。一貫して普遍的だというのは、言わばそういった方程式で世界が国連などで語られているため、便宜上そうなっているだけだ。日本人の持っている人権は、聖徳太子以来の合議の精神。
ヨーロッパ文明のイギリスやドイツやフランス等ですね。そういう中で、日本が必死になってやってきたことに対して、これを一緒くたに、構造改革の名において教育の場にこれ皆持ち込んでいいんだろうかという気がして私はならないんですね。 しかし、まあここまで来たわけですから、ここまで来た以上は、そういう我が国のよく言われる伝統と文化を尊重する、こう言うんだけれども、これこそ良き伝統であり文化なんですね。
例えば、現実に六カ国やあるいは現在の十五カ国まで見ておりますと、基本的にはいわゆるヨーロッパ文明の圏内ですね。ですので、キリスト教文化であるとか、あるいはラテン語であるとか、ローマ法の遺産であるとか、そういったものが、程度の差こそあれ、かなり共通に見られるといったような、いわゆるヨーロッパ文化というものを土壌としているというのがあります。
元々、イスラム諸国というのは、あるいはイスラム世界というのは、ヨーロッパ文明に勝る文明を中世から近世に掛けて築いてきたわけですけれども、それが現在では逆転してしまって、むしろどちらかというと利用されている、石油を供給するためのある意味では基地のようになってしまっているというようなこと、あるいはその政権を様々な形でアメリカないしヨーロッパ諸国、冷戦時代はソ連もそうでしたけれども、支援をしているということに
例えばヨーロッパ文明というのは、ある人に言わせれば、トインビーという人に言わせれば、世界の歴史の中にはさまざまな文明があった、そして現在でも、トインビーはもう亡くなりましたけれども、トインビーが生きていた時代の二十世紀全般の、現代でもさまざまな文明がある、しかしいずれはヨーロッパ文明によってすべてが統一されていくと、そういうふうに考えた上での歴史叙述なんですね。
この一世紀半の間、ヨーロッパ文明を受け入れて、そしてアメリカ文明に憧憬を持って生きてきた。もちろん、その近代の遺産というのは大事にしなきゃならないけれども、それ以前の二千年にわたる遺産というのもやはり重要なんだ。二十一世紀というのはそういう文際的な視点で我々が生きていくんだということを、私は、憲法の前文では明示すべきだろうというふうに考えております。
きょう午前中にも少し関連する山本さんから話があったわけでありますが、私、国際化時代になりますと、キリスト教文明を中心とした今の近代文明、ヨーロッパ文明と同じぐらい、同じ以上に、イスラムに対する、イスラムの文化についてきちんとした理解をすることが必要だというふうに思うわけであります。
そのために、ハンチントンの「文明の衝突」は、リベラルな民主主義のアメリカ、そしてそれをつくり上げてきた近代アメリカ、ヨーロッパ文明に敵対するものとして、イスラム文明を挙げるわけですね。これはアメリカという国の特殊性というよりも病理に近いんです。 どういうことかといいますと、戦前においては、日本はファシズム、自分たちは民主国というふうな形で敵を設定する。
二番目の、三つの開国をきれいに分け過ぎているのではないかと言われましたけれども、もちろんそれは一つの定式化でありまして、例えば、ヨーロッパ近代といっても、実は近代のヨーロッパの国々はさまざまあるじゃないか、さまざまな産業もあるし、さまざまな文化もあったじゃないかというふうに言いますけれども、そういうふうな中心的なヨーロッパ文明の型をつくったのは北フランスとイギリスであります。
そういうことからいきますと、この憲法の背景にある近代文明、ヨーロッパ文明と日本文化というもの、二十一世紀に向けて私たちはアイデンティティーをどうするかという観点から議論をしていかなくてはいけないというふうに思っております。 もう一つ、時代が新しくなったから合わないということよりも、制度というものは必ず制度疲労を起こす。
、」と先生が表現をされたり、あるいは土着化という表現をされたりするキーワード、そして古関先生が日本化と言うのは、私にとってみると、これは日本の文化とか歴史とか伝統という、ある意味では、「文明の衝突」のハンチントンが言うような、文明対文明というよりは、西洋文明を日本の文化という、歴世の中でそれをどう受容するかというところがもっと葛藤があって、議論がそこで徹底的に行われて、文明対文明というよりは、ヨーロッパ文明
明治三十二、三年ごろですから、ヨーロッパ文明というものとのまさにせめぎ合いというものの中で、そして日本がそれを受容しながら、そこで日本のアイデンティティーとの葛藤があったと思うのですね。私は、そういうことも含めて、実は今、同じような哲学的、思想的な位相というものが憲法論議の位相でなくてはならぬ、そういう考え方を持って質問したわけです。
したがって、日本が対応しているのはイギリス、フランス、ドイツ、ロシアといったウエストファリア体制における単一ヨーロッパ国家、各国家と日本が対応しているのではなくて、日本は西ヨーロッパ文明というもの全体と対応している一個の独立した文明である、そして、この二地域が近代文明というものを生み出す濫觴になったということを考えなくてはなりません。
そして、フランス革命は、ヨーロッパ文明の極めてこの人権思想の中には一種の日本でいえば下克上といったような革命理論が内側に含まれている理念でありまして、ちょっと違う、日本の伝統文化とは違う思想であります。一貫して普遍的だというのは、いわばそういった方程式で世界が国連などで語られているために便宜上そうなっているだけであります。
この際、抑止と対話のメカニズムを大変巧妙に調和させ、またここには正統性とか勢力均衡といった概念が確立をされて、百年にわたる平和の構造ができた、その中でヨーロッパ諸国が、経済の発展、文化の成熟等、大きなヨーロッパ文明の開化の前提になったわけであります。 他方、対話なき抑止あるいは抑止なき対話、いずれも失敗しているということを改めて教訓とすべきだと思うのですね。
例えば鉄砲伝来という形でヨーロッパ文明に触れたとき、しかし、それでも基本的な体系は変わらなかったように思います。そして、その後のヨーロッパの文物が入ってきた時期において、それがさまざまな形で日本の伝統文化と融合しながら明治維新まで続いてきた。そして富国強兵という方向づけになった日本も、その部分を除くと、自然との共生という姿というものは、基本的な変化はなかったと思います。
日本の場合は東洋でありかつヨーロッパ文明で、近代文明で来ていますから、それは人権とか自由とか、こういう価値観といろものを身につけつつありますけれども、やはり何といっても日本はアジアの国である。そういう滞れの中で、いわゆる文明の対立とか衝突とか言もれますけれども、アジアの安定を考えていく場合に、日本の立場において何か果たし得る役割が期待できるんじゃないかという気持ちもあるわけでございます。
そのドロールさんにしてからが、農業政策こそがヨーロッパ統合の原動力だし、ヨーロッパ文明の一番の伝統なんだという考え方をとっている、これは本当に私も感激をしたのです。とにかくヨーロッパというのは、私に言わせれば、そういう農業に対する正当な認識をしっかりみんなが持っているなという感じであります。 引きかえて日本はどうだ、こう言いますと、実に寒々とした感じがしないでもない。なぜこうなったのだろうか。
一方、我が国は、世界の中でこれだけ大きな存在あるいは大きな責任を持つ国になりながら、余り顔が見えないだとか発言をしないだとかいうようなことで、世界においてもどうしてもヨーロッパ文明支配型の今までの世界であったわけでございますから、そういう中でのこの東洋の一国日本の文化、実態についてなかなか理解が進んでいない。
ただ、私どもがここでいろんな議論を、教育をしておる者同士で議論をしておるときに出てくるのは、なぜ日本の国は、江戸時代から明治にかわっていったときに、あの急速な、まさにヨーロッパ文明の吸収、アメリカ文明の吸収をなし得たのか。江戸時代からずっと、江戸時代に蓄積された日本の国の中にあるさまざまな文化、文明がそれを受容し得る基礎があったんじゃないかということを今盛んに議論をいたします。
(拍手) この数世紀の間、科学技術の発展に支えられたヨーロッパ文明は、極めて強い活力を保持して、世界のすべての地域に圧倒的にその影響を及ぼしてきました。しかし、今世紀も深まるにつれて世界の人々は、人類がその何千年の歴史において世界の各地域でつくり上げてきた思索と倫理と社会体制は、それぞれが人間の英知と尊厳性の刻まれたものであり、独自の価値を持つことを知るようになったのであります。