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319件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2016-05-23 第190回国会 参議院 決算委員会 第11号

マクナマラ米国防長官回顧録などで、そのとき世界は本当に核戦争による滅亡の危機を迎えていたと、その瀬戸際まで行ったと語っておられます。ソ連が核ミサイルをキューバに持ち込んで、当時九千万人のアメリカ国民危機にさらしたわけです。一九六二年の十月の十六日にキューバ危機は起こっております。  十一日後の十月二十七日に、ソ連最高指導者フルシチョフが実は二通の手紙をホワイトハウスに送ってきたわけなんです。

末松信介

2015-05-28 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第17号

しかし、この決定の背景には実はベトナム戦争反省があって、マクナマラ国防長官シビリアンスタッフをたくさん使って軍人の専門的なアドバイスを無視して、それがかえって状況を悪化したという反省があって、最終的には軍の情報をより正確に国家の政策判断に反映すべきだという考えが優先されて現在に至っております。  

渡部恒雄

2015-05-28 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第17号

彼がフォードから引き抜いたマクナマラ国防長官は、武器選定発注権限国防省に集中しました。彼はまた、入札企業を競わせることによって兵器の生産に経済合理性を導入しようとしました。しかし、このような改革は、軍部に代わって国防省が軍産複合体主導権を握るという結果に終わりました。  アメリカの軍産複合体弱体化危機にさらされたのは、冷戦が終わったときのことであります。

西川純子

2015-05-28 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第17号

それで、最初は、マクナマラのときに国防省の方が強力になったんですけれども、むしろ企業を選別するような力を国防省の方が持ったわけでありますけれども、次にクリントンの段階になって企業の方が断然強くなっているということで、ここで国益とそれから営利企業の利益の対立の問題が起こっていると思います。  

西川純子

2015-05-28 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第4号

さらに、米国北ベトナム攻撃決定的口実とした八月四日の北ベトナムによる魚雷攻撃なるものが実際に行われていなかったことは、当時米国防長官を務めたマクナマラ氏が、ここに持ってまいりましたが、一九九五年に発表した回顧録でも証言していることは御承知のとおりだと思います。  私、政府に伺いたい。政府は、このトンキン湾事件について、現在どのような認識を持っているんですか。外務大臣

志位和夫

2015-05-28 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第4号

岸田国務大臣 七一年にニューヨーク・タイムズに掲載されたペンタゴン・ペーパーズに関する報道、あるいは九五年のマクナマラ回顧録の公表後、米国側からどのような説明を受けたか、説明を求めたのかという御質問でありますが、そうした説明を求めた等の事実関係につきましては、確認中ではありますが、現時点では確認はされておりません。

岸田文雄

2015-04-23 第189回国会 衆議院 安全保障委員会 第8号

彼がフォードから引き抜いてきたマクナマラ国防長官は、陸海空の三軍がそれぞれに兵器企業と取引していた慣行を改めまして、武器選定発注権限国防省に集中したわけであります。彼はさらに、入札企業の選別についても経済合理性を導入しようとしました。しかし、このような改革にもかかわらず、逆に軍部にかわって国防省が前面に出ることによって、軍産複合体はさらに一層強力なものになりました。

西川純子

2013-11-20 第185回国会 参議院 国家安全保障に関する特別委員会 第5号

これ小さい字で恐縮なんですけど、何と、一九六二年の十月の二十七日、JFK、ちゃんとプレジデント・ジョン・F・ケネディマクナマラ国防長官、そしてその横には何と、JFKがどういうことを、大統領が当時どんなことを言ったかも全部これ今残っております。  次のページを見てください。

福山哲郎

2010-04-07 第174回国会 参議院 国際・地球温暖化問題に関する調査会 第4号

だから、当時の国防長官マクナマラでしたけれども、ソ連の要人を呼んでは一生懸命、教育期間で、最初の五年というのは交渉ではなくてもう教育期間だったと。今の中国というのは、その段階にあるということですね。中国も実際はICBMの増強というのはそんなに急いでませんし、ですから、まあ台湾の問題とかあるんで、中距離とかああいうのはもう中国にとっては不可欠の今多分兵器になっているんでしょうね。

納家政嗣

2007-06-07 第166回国会 参議院 外交防衛委員会 第17号

先ほど大臣は、今の状態で出口について言うのは困難だという趣旨の御発言がありましたが、ずるずると何年も引きずられていくというような懸念を持っておりまして、それは、例のベトナム戦争のときにマクナマラさんが回顧録の中で、自分たち判断が間違っていたと、二度とこういう間違った判断をするべきじゃないという趣旨のことを述べておるわけなんですね。  

大田昌秀

2007-06-07 第166回国会 参議院 外交防衛委員会 第17号

国務大臣麻生太郎君) マクナマラのときは、大田先生御記憶だと存じますが、あれはドミノ理論という理論が当時全盛でございまして、いわゆるベトナムが共産化するとばたばたっとドミノみたいに倒れていってという話が現実問題としてえらく騒ぎになっていた時代でありました。結果的にはそんなことにはならなかったというのがマクナマラのあの、いわゆる後世書いた文章だと思いますので、随分変わった。  

麻生太郎

2006-02-15 第164回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号

この前DVDで、マクナマラ国防長官、当時の、アメリカの、あの方のザ・フォッグ・オブ・ウオーですか、というビデオをちょっと拝見をしたんですけれども、やはりあの年、もう八十回られて、やはり自分の当時の思いということはきちっと語っておきたいということで、興味深くちょっと拝見をしたわけなんですけれども。  

末松信介

2005-03-18 第162回国会 衆議院 財務金融委員会 第13号

谷垣国務大臣 まだウォルフォウィッツさんの就任が正式に決まったわけでもありませんので、何ともこれは申し上げにくいんですが、過去、世銀総裁を長くおやりになった、あのウォルフェンソンさんも十年おやりになったんですかね、それから長い方ではマクナマラなんという方も十数年おやりになって、世銀の歴史を振り返ってみますと、それだけおやりになりますと、なるほど、それぞれの色合いというものが出てきますよね。

谷垣禎一

2004-02-09 第159回国会 参議院 イラク人道復興支援活動等及び武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第5号

なぜこういうことをお聞きするかといいますと、前にもちょっと申し上げましたが、アメリカベトナム戦争を指揮したマクナマラ国防長官ベトナム、「マクナマラ回顧録—ベトナム悲劇教訓」という本の中で、アメリカ国益に基づいて、また伝統的な価値観に基づいてあの戦争を指揮してきたけれども、我々の判断が間違っていたということを正直に告白しておられるわけですね。

大田昌秀

2004-02-05 第159回国会 参議院 イラク人道復興支援活動等及び武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第3号

なぜこういう質問をするかといいますと、実はついせんだってマクナマラ米元国防長官が「戦争の霧」というドキュメンタリー映画に出演して、この映画で最も訴えたかったのはどういうことかというふうに聞かれましたら、二十世紀に起きたことをしっかり見詰めてほしいと。

大田昌秀

2003-11-26 第158回国会 参議院 予算委員会 第1号

幸い、キューバ危機のときの映画もございましたけれども、あのときのケネディマクナマラ今、小泉総裁と、正にもうこのお二人をおいていないんじゃないかと私は思っております石破、浜田コンビがいらっしゃるわけでございます。是非、後から見てもあのときこういう決断をして良かったという決断をしていただきたいと思いますが、総理の見解を伺わせていただきたいと思います。

林芳正

2003-07-09 第156回国会 参議院 憲法調査会 第8号

最近、アメリカの元国防長官マクナマラ氏の本が、翻訳が出ておりますけれども、ベトナム戦争について書いた本ですが、その中でも、相手を理解していなかったということを率直にマクナマラ氏は認めております。それが、相手を理解していなかったということが戦争の惨禍を大きくしたというふうに述べております。もう少し相手を理解する姿勢があればあんな戦争にはならなかっただろうと、そういうふうなことを書いてあります。  

植村秀樹

2003-05-09 第156回国会 衆議院 外務委員会 第8号

あれは海上封鎖ということで海軍が出ているわけですけれども、当時のロバート・マクナマラ国防長官は、まさにフルシチョフに対してどういうメッセージを送るか、こういう手段からそういう措置をとった、こういうふうに話しているわけですけれども、どういう措置をとることが北によりよいメッセージを送るか、こういう視点に立って検討したいと思っております。     〔土肥委員長代理退席委員長着席

茂木敏充