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116件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2002-10-22 第155回国会 衆議院 本会議 第3号

昭和四十八年、田中ブレジネフ会談で、ソ連側シベリア天然資源の魅力とそれへの経済協力の利益を延々と説いたのに対し、田中総理は、シベリア開発のために来たのではない、自分が国民の期待を担っているのは北方四島の返還だと激しく主張されました。その結果、日ソ共同声明に「第二次大戦の時からの未解決の諸問題」との文言が織り込まれ、それが四島返還問題を含むことで合意したのです。

藤井裕久

2002-03-12 第154回国会 参議院 予算委員会 第10号

その帰属の、北方四島の帰属という意味は、一九七三年の田中ブレジネフ会談のときの、あの四島はこれからの課題ですねと、そういう一九七三年の時点なんですか。それとも、いつの時点の四島の考え方なんですか。今の時点ではどんな北方領土の、要するに、我が国方針というのは一体どういう方針なのかということがですね。  実は私、去年の五月に田中眞紀子外務大臣にお聞きしたことがあるんですよ。

峰崎直樹

2001-06-27 第151回国会 衆議院 外務委員会 第17号

それは、今田中大臣は、五六年、七三年、九三年、九八年、すべて説明も受けている、そして二〇〇一年三月のイルクーツクの話も説明を受けているということですからお尋ねするんですけれども、大臣は、就任記者会見で、一九七三年の田中ブレジネフ会談の成果、すなわち日ソ共同声明日ロ関係原点であるとの発言を、これは大臣就任以来、累次繰り返しておりますけれども、このことは田中大臣対ロ政策基本認識考えてよろしゅうございますか

鈴木宗男

2001-05-31 第151回国会 参議院 外交防衛委員会 第12号

益田洋介君 七三年のこの田中ブレジネフ会談の結論は確かにおっしゃるとおり。しかし、二島を分けて話し合うということを言われなかった、四島全部が問題であると。それで、書記長はそのとおりだというふうに返答した。それが確認されたわけです。それが今状況が変わってきている、川奈会談から。この点についてはどうお考えですか。

益田洋介

2001-05-21 第151回国会 参議院 予算委員会 第14号

国務大臣田中眞紀子君) 時系列的に申し上げますけれども、一九五六年が日ソ共同宣言、そして一九六〇年が対日覚書というのがございまして、七三年が田中ブレジネフ会談九一年がゴルバチョフ大統領訪日なさり、九三年にエリツィン大統領訪日、それから九七年にクラスノヤルスクの合意がございまして、二〇〇一年が御指摘のイルクーツク声明でございます。

田中眞紀子

2001-05-18 第151回国会 衆議院 外務委員会 第8号

安住委員 私は、この問題は十分ぐらいでできないので、幾つかだけで、また時間を改めてとってじっくりやらせていただきますけれども、大臣が御就任のときに、田中ブレジネフ会談七三年ですか、あのときのやりとり。あのとき一緒に行かれたんですか。あのときは、要するにこういうことですね。未解決の問題が両国にあるということを認識するかということに対して、ブレジネフ書記長は、口頭でダーと答えたということですね。

安住淳

2001-04-04 第151回国会 衆議院 外務委員会 第7号

これは田中ブレジネフ会談で、田中総理が初めて、未解決の問題が領土問題である、これを確認させました。そして、領土とは四島であると、二度にわたって周到にブレジネフ書記長確認させたわけでございます。次に、九一年の四月のゴルバチョフ訪日に際して、海部・ゴルバチョフコミュニケが出され、解決されるべき領土問題の対象とは北方領土四島であり、四島の日本名である国後択捉歯舞色丹は明記したわけであります。

前田雄吉

1991-10-03 第121回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第2号

○岡田(利)委員 一九七三年、田中ブレジネフ会談が行われておりますね。日ソ間の経済協力の問題について大きなプロジェクトがそれぞれ設置をされたわけです。そのうちの一つとしてサハリン石油天然ガス大陸棚資源開発の協定が行われて、我が国からも、私の記憶では当時二百四十億程度既に投資がされている、こう承知をしておるわけです。  

岡田利春

1991-04-24 第120回国会 衆議院 外務委員会 第11号

従来の日ソ間の交渉の中において国後択捉を含む北方四島が日ソ間の戦後処理の問題としての領土問題の対象であることについては、一九七三年の田中ブレジネフ会談の際に作成された共同声明の中で「第二次大戦の時からの未解決の諸問題」との文言について、口頭でこれに四島の問題が含まれることが確認された経緯がありましたが、右口頭確認の事実すらもソ連側はその後否定するに至っておりました。

中山太郎

1991-04-24 第120回国会 衆議院 外務委員会 第11号

兵藤政府委員 一九六〇年のいわゆるグロムイコ対日覚書という一つの例を考えますと、まさに肯定、否定の解釈は相分かれるわけでございますけれども、私は、一九六〇年以降のいろいろな、例えば首脳レベル会談田中ブレジネフ会談でございますが、例えばこの会談評価というものでございます。これはそれほど日ソの間で乖離があるというふうには私は考えないわけでございます。

兵藤長雄

1991-04-24 第120回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第8号

例えば田中ブレジネフ会談でございますとか、このときに口頭で四島が確認されたという経緯があったことは御承知のとおりでございますが、それも含めまして、さらには、ゴルバチョフ時代に入りまして外相レベル間の平和条約締結交渉あるいは七回にわたりました日ソ平和条約作業グループのいろいろな議論ということも、当然この中に入ると考えておるわけでございます。  

兵藤長雄

1991-04-23 第120回国会 参議院 外務委員会 第6号

一、従来の日ソ間の交渉の中において国後択捉を含む北方四島が日ソ間の戦後処理の問題としての領土問題の対象であることについては、一九七三年の田中ブレジネフ会談の際に作成された共同声明の中で「第二次大戦の時からの未解決の諸問題」との文言について、口頭でこれに「四島の問題が含まれる」ことが確認された経緯がありましたが、右口頭確認の事実すらもソ連側はその後否定するに至っていました。

中山太郎

1991-03-06 第120回国会 衆議院 外務委員会 第5号

これは田中ブレジネフ会談のときのあれも戦後未解決の問題と言っておったわけでありますが、これは調整しなければならぬ。それは日ソ経済協力も含めての問題になってくるわけでありますけれども、エリツィン氏とゴルバチョフ──ゴルバチョフ氏は中間派スタンスをとっているわけでして、プリマコフなどは国益派というか、そういうことで評価もできるだろうと思うのです。  

川崎寛治

1990-06-18 第118回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

昔、田中ブレジネフ会談のときに、問題ありますねと言ったら、向こうが、うんと返事をした。後になってみたらそれはブレジネフせきだった。そんなことは言っていないんだ、ゴホンとせきをしただけだというようなことを後で言ったとか言わないとかいう話もあるそうでありますけれども、現在、各レベルでいろんな人が言っておる。  我々は、四島一括返還という大前提のもとに日ソ領土問題を含めた真の平和条約を結ぶ。

中川昭一

1990-04-17 第118回国会 参議院 外務委員会 第2号

一九七〇年代の日中国交回復との絡み及び当時の第一次デタントと言われる国際緊張緩和の情勢において田中ブレジネフ会談が行われて、その中でブレジネフの方から、未解決の問題を解決して平和条約を締結する必要があるという中に、この未解決の問題の中に四島の問題が含まれるということを口頭田中総理に対して確認したという時代がございました。

都甲岳洋

1988-12-14 第113回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

やっと田中ブレジネフ会談においては、そういう問題はまだ未解決のものがありますよということに対して、ブレジネフ最高指導者がヤー・ズナーユと言われた、もうそこまでだということでございますから、今私がここで、返った場合にはこうする、ああするということを言わなくても、これは固有の領土として我々は考えていかなくてはならない、しかも、そこには一九四五年までは立派に我々日本人が多く住んでおられまして生業を得ておられたということ

宇野宗佑

1988-12-14 第113回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

当然、定期協議が終わった後、共同コミュニケなり共同声明なりが発表されると思うのでありますけれども、この中に、北方領土問題については未解決の問題である、先ほど同僚議員質問に対し大臣は、いわゆる田中ブレジネフ会談まで戻したい、こういう答弁もありましたけれども、私は今回の会談こそそのことが一番大事ではないかと思うのであります。その点につきましての大臣のお考えと御決意をお尋ねいたしたいと思います。

鈴木宗男

1988-11-18 第113回国会 衆議院 外務委員会 第1号

また、これも御承知のとおりでございますけれども、七三年の田中総理ブレジネフ会談の結果におきましても、「第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して平和条約を締結する」ということが共同声明で規定されており、かつ、その北方四島の問題につきましては、未解決の諸問題の中に入るという口頭了解が両首脳間で確認されておるわけでございます。

荒義尚

1988-10-13 第113回国会 参議院 内閣委員会 第5号

いわゆる田中ブレジネフ会談共同声明を出しました。その中には歯舞色丹国後択捉という名前はなくなっちゃった。田中総理は、当時、帰ってきてこの国会で、戦後未解決の諸問題はという中にこの歯舞色丹国後択捉は入っているんだ、そのことはちゃんとブレジネフとも確認をしているということを報告しているわけです。

柳澤錬造

1987-09-02 第109回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

もう一点は、七三年の田中ブレジネフ会談共同声明でよく引用されていることは、戦後未解決問題云々がありますね。その中には領土問題を含むという解釈口頭日本側が言ったら、はいそのとおりですと相手は答えた。それは、外務省が出している「われらの北方領土」というものでも言っているし、しばしばこの北方問題を論議をするときオウム返しに返ってきますね。

上原康助

1987-05-08 第108回国会 参議院 予算委員会 第7号

政府委員斉藤邦彦君) ただいま大臣から申し上げましたことを若干敷衍して御説明させていただきたいと思いますが、昭和四十八年の田中ブレジネフ会談において先ほど大臣が御説明しましたような合意があったことは御承知のとおりでございますが、その後数年を経まして、そのような合意があったにもかかわらずソ連側は、領土問題は解決済みであるという態度をとるに至ったわけでございます。

斉藤邦彦

1987-05-08 第108回国会 参議院 予算委員会 第7号

○柳澤錬造君 そこで、外務大臣にお聞きするんですけれども、あれは四十七年ですか、当時の田中総理が行かれて、田中ブレジネフ会談その後帰られて、当時の田中総理は未解決の諸問題という中に歯舞色丹国後択捉が入っているんだということをブレジネフがちゃんと確認したということを国会で答弁された。

柳澤錬造