2021-04-08 第204回国会 参議院 法務委員会 第6号
ブラジル人の労働者が多い場所ですね、いわゆる群馬県ですとか静岡ですとか。英語が対応できるところが十五か所、中国語十三か所、スペイン語九か所といったような形になっているんです。だから、多言語と言いながらも極めて限られた言語での対応しかできないような整備状況にしか今まだなっていないというのが現実だということなんです。
ブラジル人の労働者が多い場所ですね、いわゆる群馬県ですとか静岡ですとか。英語が対応できるところが十五か所、中国語十三か所、スペイン語九か所といったような形になっているんです。だから、多言語と言いながらも極めて限られた言語での対応しかできないような整備状況にしか今まだなっていないというのが現実だということなんです。
あのとき、景気悪化を受けて外国人の多くが失業したために、授業料を払えずに、ブラジル人学校始め多くの外国人学校から退学する子供が相次ぎましたが、公立学校に編入したものの学校になじめない子が多く、結果的に不就学の子供が急増することになりました。二〇〇八年のことです。
例えば、サンパウロ日本人学校に行っていたという先生が、ブラジル人の子弟が多いところに行けるようにする。
これは、かつてのリーマンのときに、特に日系ブラジル人の方を含めて派遣切りの直面があったんです。今回調べたところ、やはり雇用情勢が非常に今タイトなところでこれが起きたんで、前回に比べるとそうではまだないんですが、分からないですよね。 それから、技能実習止めとか、あるいは特定技能に入るはずだったところが、特に今回、特定技能は外食関係と旅館関係がありますから、とても自分のところでは持てない。
私の地元愛知県には、インターナショナルスクール一校、ブラジル人学校十一校、朝鮮人学校四校の計十六校の未就学児を受け入れている外国人学校がありますが、これらを無償化するため、未就学児の受入れ施設と学校を切り離して、認可外保育施設として届出をし直しています。現在、各種学校とされていたブラジル人学校三校の幼稚部が認可外保育施設に変更済みで、無償化対象になりました。
言ってみればブラジル人だったんですけれども。そういった方々の子弟、それからそういった方々、大人そのものの日本語学習、日本語教育というものに対しては、市のレベルで非常にこれは苦労をいたしました。 そして、リーマン・ショック直前、直後ぐらいでしょうか、防災訓練に外国人が参加してくれて、自治会長さんが物すごく喜びまして、ここまで来たか、ようやく人間関係がここまで来たかと喜んでいたんですね。
○高嶋政府参考人 委員御指摘のとおり、日系三世の問題につきましては、一時、日本語要件を課さないで多くの日系ブラジル人を受け入れ、それが、受け入れたコミュニティーにおいて、日本語が話せないということで生活が非常に、コミュニティーへの溶け込み方が非常に難しかった、こういう問題、かつ、地方自治体にその部分、その方々の支援というものをやってもらった、そういう我々としては非常に苦い経験をしているところでございます
一九九〇年代になると、八〇年代後半から南米からの日系人、特にブラジル人が増え始めていたんですが、そうしたブラジル人の多い主に東海地方の自治体において、国際化施策としての外国人への対応施策が進んでいきました。 そして、二〇〇〇年代になると、そうした各地の取組の中で、次第にこの外国人住民に関する施策をより総合的、体系的に進める、そうした自治体が増えていきました。
一方で、もう今から十数年前、リーマン・ショックの後には日系外国人、ブラジル人、ペルー人などが帰国せざるを得なかった、何万人という単位という形で帰らざるを得なかったということを考えると、何か足下にいる、国内にいる外国人は袖にされて、そして何か新しい外国人を日本語ゼロの状態から受け入れるというこの矛盾について、私は非常に当時苦労していろいろと考えさせられた点があるわけですけれども、この点、南野参考人、どのようにお
健診を受けられていないということ、それは子供たちの、特にこれでいうと、ブラジル人の方々が通う学校なんですけれども、子供の健康状態というのも気になるんですけれども、これは公衆衛生の観点からも非常に重要な視点だというふうに思います。このまず実態について教えていただければと思います。
けれども、ブラジル人と英語でしゃべる、ペルー人と、同じ第二外国語同士で英語でしゃべる、俺の方が英語うまいんじゃないかと錯覚に陥るぐらい。そうすると、物すごくスムーズにしゃべれる。それは、アメリカ人としゃべるときの単語に比べたら、もう本当に中学英語ですよ、だけれどもコミュニケーションはできるんですね。 私は、話す内容が全てだと思っています。
昔、日系ブラジル人の方に、日系ブラジル人の情報誌に東京電力福一が募集をかけました。そこで、日系ブラジル人の方が応募をなさいました。でも、除染がどんな作業で、放射線被曝がどんなことかを十分理解しておられず、これはブラジル大使館から、そのような形での募集はしないでほしいとストップがかかっております。
○浦野委員 少しパターンは違うんですけれども、浜松市で、きのう、NHKのニュースだったと思うんですけれども、日本に、工場に働きに来られているブラジル人の子供たちの保育園があって、その保育園に、保育園を卒業している年齢の小学生たちが残って、今でもその保育園に通っている。
その中で、日系ブラジル人の方が、最高時、ピークで、浜松に生活の実態がある方が数万人いらっしゃったんですよね。ブラジル系の銀行も、ATM、CDをオープンされまして、そのコミュニティーの方もたくさん来られて。 ところが、リーマン・ショックの後、派遣切りになりまして、派遣村も東京だけではなくて浜松でも開かれまして、私もそこに、実態として、行政書士や司法書士の方と御一緒に相談に行きました。
その中で、豊橋は、主にポルトガル語を話すブラジル人の方とタガログ語を話すフィリピンの方がふえてきているんですけれども、こういう方々がどんどん窓口に来て、ふえてきた。そんな中で、普通の経営されている方も一緒に並ぶものですから、なかなか現場の混乱が増してきた。
私もいろいろお話も聞きましたし、例えば浜松とか、これは定住者ということで日系ブラジル人の方が多いんですが、その御苦労、二十年以上にわたる御苦労もいろいろ聞いたところでございます。 そうしたこれまでの蓄積されたノウハウであるとか、そうしたことをやはり我々しっかりと横展開もしていく必要があるんだろうと。
私は、昨年の十二月、三重県に調査に行きまして、県の担当部署、三重労働局、そして、みえ労連とユニオンみえの二つの労働組合の皆さん、そして、実際に雇いどめに遭った日系ブラジル人労働者の皆さんから実態を伺ってまいりました。 聞けば聞くほど、外国人労働者が雇用の調整弁にされていると実感いたしました。
やはり日系ブラジル人、もちろんベトナム、ベトナム人が多いのはベトナム難民を受け入れたからなんですけれども、昔、三十年ぐらい前。そのおかげで、この間、自民党の法務部会の皆様が私の伊勢崎市に視察に来ていただいたりということもございました。
ついては、やはりしっかりと伴わないと、共生社会に向けて、市民の皆さん、一緒に生活をしている人、特に、愛知の豊田でブラジル人の方が、保見団地の方でいろいろ地域住民とのトラブルがあって、そういったことをどうしていくかということで、本当に地元の人たちは苦慮しながら進めてきたということは御存じかと思われます。
今現在、私の茨城県でも多くのブラジル人ですとか、うちの土浦市もフィリピン人がたくさん来ておりますけれども、自治体の方でさまざまな独自の取組をやっています。
皆さんも、日ごろ、夜中のコンビニでレジを打っている留学生の方を最近ではよく見るようになったというふうに思いますし、私の地元は自動車産業が盛んな地域ですけれども、多くの日系ブラジル人の方であったりとか、技能実習生の方々が働かれています。そういう人たち抜きに、自動車産業も、農業も、そしてコンビニも成り立たないというのが現実になってきているというふうに思います。
リーマン・ショックのときには、多くの日系ブラジル人が雇いどめに遭い、帰国を強いられました。本案は、まさに、国が雇いどめ、整理解雇にお墨つきを与えるものではありませんか。 技能実習生だけでなく、留学生でも、若者を食い物にするブローカーの存在が指摘されています。本案によって悪質な団体が排除される担保はどこにあるのですか。