2020-05-19 第201回国会 参議院 国土交通委員会 第13号
一九三〇年代、世界大恐慌の後に、アメリカではフランクリン・ルーズベルト大統領が提唱しましたニューディール政策が実施され、有名なテネシー川のダムの建設だとかゴールデンゲートブリッジなどの道路整備、こういったものが進められまして経済の再生を図ることができました。また、ドイツでもヒトラーがアウトバーンの整備を精力的に行ったというふうにも聞きます。
一九三〇年代、世界大恐慌の後に、アメリカではフランクリン・ルーズベルト大統領が提唱しましたニューディール政策が実施され、有名なテネシー川のダムの建設だとかゴールデンゲートブリッジなどの道路整備、こういったものが進められまして経済の再生を図ることができました。また、ドイツでもヒトラーがアウトバーンの整備を精力的に行ったというふうにも聞きます。
あのフランクリン・ルーズベルト大統領がやった初代のSEC委員長は、西室さんのような方ではなかったんです。ケネディ大統領のお父さん、それはマーケットで悪いことばかり、不正行為をやっておった。許される限りの不正行為をやった男。その有名な人を初代の委員長にした、これが名人事。ケネディ初代SEC委員長がやることは、自分がやってきたことを全部やれないことにすることだった。
そのとき大統領になったのが、フランクリン・ルーズベルト大統領。フランクリン・ルーズベルト大統領は、アメリカ経済の再生のためには、アメリカの資本主義、アメリカの市場を透明、公正なものに立て直さなければならない、そういう決意のもとに大統領がつくったのがSEC。問題は、だれを委員長にするかということなんです。人の問題。 フランクリン・ルーズベルト大統領が指名したのは、ジョセフ・ケネディだったのです。
私は、さっきお話が出ておりましたけれども、アメリカの大恐慌、このときに、時のフランクリン・ルーズベルト大統領の例のニューディール政策の中で最も効いたのはやはり文化支援だったというふうに承知しております。これによってニューヨークのマンハッタンのフォーティセカンドストリートはあそこで完成するわけですね。世界に向かって、エンターテインメントの町をついにパリからニューヨークに奪取するわけですね。
フランクリン・ルーズベルト大統領の知恵袋として大恐慌時代を乗り切ったガルブレイス氏が、その書「日本経済への最後の警告」の中で、こんなことを述べておられます。「日本の政権担当者たちは、健康保険の自己負担分の増額など、結局は社会的弱者層の痛み感が増すようなことばかりに力を入れている。これでは早晩、内閣支持率の低下どころではなく、それこそ本当の恐慌が起こりかねないのではないか。
大蔵委員会でも引用いたしましたが、世界恐慌のとき、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、「恐怖それ自体を恐れなければならない」と言いました。私としては、政府の信頼失墜を恐れざるを得ません。 政府の長に立つ橋本総理大臣は、対策が後手になり、人任せにして政府への信頼を大きく失わせた責任をとって、みずから出処進退を明らかにされるよう求めまして、私の質問を終わります。
一九二九年の世界恐慌のときに、フランクリン・ルーズベルト大統領は、これは有名な言葉ですが、「恐怖自体を恐れなければならない」と述べました。私としては、そうではなく、政府の無策、対応の遅さを恐れると言わざるを得ません。大蔵大臣としてはどのように責任を果たしていくのか、簡潔にお答えをいただきたいと思います。
フランクリン・ルーズベルト大統領の死んだ年が間違っていたり、ヒトラーの暗殺計画が間違っていたり、まさに第二次世界大戦の学習に欠かせない二人の人物に関する記述が間違っている。こういったことがたくさんあるわけで、そういったのが合わせまして五百数十カ所という御発表でありました。
一九三〇年代にフランクリン・ルーズベルト大統領のもとでいろいろな政策を推進したのですが、あの時期に議会が決議をいたしまして、反独占政策に関する調査委員会、テンタティブコミッティーですから、臨時委員会、特別委員会みたいなものをつくりまして、専門家を集めてかなり長い時間かけて、三八年だか九年だか忘れましたが、第二次世界大戦の直前ぐらいのときに大きなレポートを出しているのですよね。
米国においても、フランクリン・ルーズベルト大統領以来、アイゼンハワー政権の八年を除き、四十年近い民主党政権が続いたのであります。自民党政権も四十年に わたり、そのたびごとの総選挙の洗礼を受けつつ、時代を先取りした政策を提示し、実行しながら政権を担当してまいったのであります。何ら権力を勝手に独占しているわけではありません。