2016-02-25 第190回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号
それ以外の絵は全部サダム・フセイン時代のバグダッドで、当時、我が予算委員会の派遣も、アメリカが二十キロ先に空爆をしていましたから、行かないようにということで話がありましたけれども、当時の野呂田予算委員長が英断をされまして、私どもはバグダッドに入りました。ちょうど九・一一の直前です。
それ以外の絵は全部サダム・フセイン時代のバグダッドで、当時、我が予算委員会の派遣も、アメリカが二十キロ先に空爆をしていましたから、行かないようにということで話がありましたけれども、当時の野呂田予算委員長が英断をされまして、私どもはバグダッドに入りました。ちょうど九・一一の直前です。
まさに、恐らくフセイン時代のときよりも比べようもないほどの治安の悪さが今の現状ではないかと思っております。さんざん時間をかけて、そうした理想は理想として聞きますけれども、その結果として、これだけの混乱が逆に生じてテロリストの巣になっているともまさに言えると思いますし、そうした状況ではないかと思っております。
これは、一緒にサダム・フセイン時代のイラクに参りました久間長官、どのようにお考えなのか。 外務大臣は、イラクの占領政策にも、アメリカの占領政策にもある一定の問題があるというような御発言をされていますが、それは何なのか、教えていただければ幸いです。
さて、イラクの自衛隊派遣の合憲性の問題に入る前に、防衛庁長官とは、ちょうど二〇〇一年のあれは八月でございました、サダム・フセイン時代のイラクへ予算委員会から派遣をされて、そしてアーメリアという防空ごう、ここは、米軍の誤爆によって五百人近い女性と子供が亡くなった、そういう防空ごうでございました。
自衛隊がイラクに派遣されたときは、言ってみれば、戦争が終わった後、しかもなおかつ、サダム・フセイン時代、あの地域はそんなに目を向けられなかった地域でもありまして、社会インフラ等々が未整備のところであったと思います。おっしゃるように、きれいな水がない、道路はでこぼこ、学校は破壊され尽くされている。 そういう中で、自衛隊が行ってきれいな水を供給する。
御案内のように、五十億ドルの資金協力ということで、十五億ドルの無償資金、そしてまた三十五億ドルの円借款ということで、日本は、経済だけではなくて、その前にまず生活のインフラ、電力、教育、水、衛生、保健、雇用等の、フセイン時代に弱くなってしまったイラク国民の生活基盤の再建、そして治安の改善を優先して今日までやってきた。ムサンナ県での自衛隊の活動もそういうことであったかと思うわけであります。
フセイン元大統領に対する訴追手続につきましては、イラク国家施政法、いわゆる基本法、まあ憲法に類するようなものでございますが、これが二〇〇四年三月に制定をされ、それに基づき、またこの刑法、刑事訴訟法、これはフセイン時代からのものであろうと、こう思います、若干の改正があるのかもしれません。
この法律は、裁判所の手続について次のように定めるというふうに報道されておりまして、一つは、裁判所長はイラクの刑事手続法に従い、このイラクの刑事手続法というのは正にサダム・フセイン時代に作られた、あるいはその前かもしれませんが、手続法に従い、裁判手続及び証拠に関する規則を作ると。
報道をひもとかれて委員も若干指摘をされたわけでございますけれども、私どもとしては、例えば、フセイン政権の残党グループ、あるいは、フセイン時代に言ってみれば大変優遇されていた、しかしその後非常に冷遇されている、不満を持つスンニ派のグループ、あるいはシーア派の過激派、そして、先ほど来さまざま議論に上っておりますけれども、いわゆる外国人勢力、ザルカウィももともとヨルダンの出身でありますけれども、外国からイラク
日本人がイラクに対して持っている知識と全く違って、日本のことを見ているということに驚いたんですけれども、バース社会党時代、それからフセイン時代と若干は空気が違いましたけれども、今本当にイラクの国民の皆さんが日本に期待しているのは一体何なのか。自衛隊ではないと思うんですが、率直のところどうでしょう。
ここには豊かな水生、植生が展開して、農業、漁業、その他の人々の生活もあったと言われているわけでありますが、これがフセイン時代に破壊されて今は非常に縮小してしまったと。
といいますのは、例えば地方行政、法制度、社会基盤整備、民間セクター開発、それから治安、警察、石油等々とございまして、例えば電力の問題でありますと、必要な能力から現在どれだけの不足があるかと、これに対してどのように対応していくかというような検討がなされておりますし、それから水・衛生でありますと、それらにつきまして衛生状況の悪化を正常化するためにどうするかということから試算が行われておりまして、総じてフセイン時代
それはなぜかというと、シーア派ということでフセイン時代のスンニ派にずっと圧迫を受けていたということがありまして、連合による復興活動についてはより好意的であるという面がございます。 それから、住民組織が比較的、これは市の評議会といったような、比較的よく機能しているといった特徴もございます。そういったことがあって、比較的、南東部は安定をしているということであります。
百聞は一見にしかずで、旧フセイン時代の圧制下で、水や電気など生活基盤をなすインフラ整備が大幅におくれている上、一連の戦争で職を失い、途方に暮れる市民の姿は目に余るものがありました。私は、浄水、給水、電力、下水道の整備、そして学校や病院の改修などのインフラ整備が急務であり、当面は、そのお手伝いとして、現地の人を少しでも雇用できればと思いました。
また、テロの温床にしないための活動だ、そういう大義名分を掲げられましたが、少なくともフセイン時代のイラクは、危険な独裁政権ではありましたけれども、海外のアルカイーダといったようなテロ組織がイラク国内で活動していたということは聞いておりません。 結局のところ、状況が変わっていけば、くるくるとそれに合わせて大義名分を変えていく、このようなやり方で日本を導いていく。
つまり、フセイン時代のイラク政府そのものがこの製造、保有というものを認めてきているわけでありますね。それが行方不明になっているんでありますから、普通であれば、まだどこかに残っていると考えるのが普通だろうと思います。ですから、ないことを前提に、見付からないからないんじゃないかと言っている主張というのは、私にはどうしても理解できないんですね。
かつて、フセイン時代のイラクは、化学兵器を例に取れば、これを製造、保有して現実に使っていた、そして国連の査察団が入ってからもこれを持っていることが確認されている、そして査察団の下で廃棄処分が一部なされている、こういう経過をたどっているわけですね。そして今、その残っていたはずのものがどこへ行っちゃったか分からない、これが現状なんですよ。
一つ目、フセイン時代よりも暮らしが悪くなっているために、その不満、怒り、これが高まっていること。二つ目、イラクの人たちはあのメソポタミア文明の末裔で、中東みんな誇り高いですけれども、とりわけ誇りの高い人たちです。彼らにとってこの戦争が不当なものであって、何で外国の人たちが、そういう軍隊が自分たちの国に来たのか、その屈辱感とかあるいは重圧感、あるということですね。