1965-12-03 第50回国会 衆議院 本会議 第15号
しかるに、田中副議長は、日韓条約審議をめぐる自民党のフアツシヨ的議会運営を終始傍観し、職責遂行の努力をなんら行なわなかつたばかりでなく、十一月十二日の本会議における議長の最悪の強行採決に共同謀議し、自ら議会政治を破壊したその行為は議長と全く同罪であり、絶対に許さるべきものでない。
しかるに、田中副議長は、日韓条約審議をめぐる自民党のフアツシヨ的議会運営を終始傍観し、職責遂行の努力をなんら行なわなかつたばかりでなく、十一月十二日の本会議における議長の最悪の強行採決に共同謀議し、自ら議会政治を破壊したその行為は議長と全く同罪であり、絶対に許さるべきものでない。
結局政治は国会が議決したところによつて執行してもらう、あるいは国会の意思に従つて政治を行つて行くのであつて、国会がどう議決しようと、おれはこう考えておるのたからおれはこういうふうにやるのた、こういうことはもうフアツシヨなのです。
フアツシヨへの道をあの事件において開いたことになつているのです。自由主義者だとか民主主義者だと言つておるあなたが実は自由を扼殺した、こういう結果になつておるといつてもさしつかえないと思うのです。言うまでもなく、あの京大事件というのは単なるブルジヨア・デモクラシーを守るための闘いにしかすぎなかつた。そのブルジヨア・デモクラシーを守る闘いでさえも、あなたは文部大臣としてこれを弾圧した。
またあなたの党の幹事長である岸さんが、自由党の政務調査会長として、憲法改革の恐るべきフアツシヨ案をつくつたことも周知の事実であります。そこで憲法改正、再軍備に関するあなたの率直な御意見を承りたいのであります。特に正直で率直でいらつしやる鳩山さんにまずお聞きしたい。現在の自衛隊は、警察予備隊から保安隊になり、自衛隊になりました。人員も装備も格段の飛躍をしております。目的もかわつて来た。
○成田委員 ああいう人がフアツシヨですよ。鳩山さんがああいう人をつくつているのです。あのビキニの水爆実験によつて福龍丸事件が起きました。御承知のように、国会では水爆実験の禁止の決議を満場一致でやつた。ところが当時の吉田内閣の官僚出身である宮廷外交官と申しますか、岡崎前外務大臣は、国会の満場一致の決議があつたにもかかわらず、今後ともアメリカの水爆実験に協力する、こういう驚くべき発言をやつている。
即ち政治がだんだんそのためにフアツシヨ化して行く、そういう方向になつて来つつあると思うのです。これは世界の国際情勢が平和の方向に大きく転換しつつあるのに全く矛盾した、相反する政策だと思うのです。補正予算はこの点に全然触れておりません。
そこで私あなたに聞きたいのだが、三権分立の建前から行くと、国会が逮捕の許諾を求められて、その諾否を決するという権限が与えられておるのは、ちようど朝鮮の李承晩大統領のように政治犯をつくつてこれで押して行こうというような検察フアツシヨを防ぐために、国会は逮捕の許諾を拒否する権限が与えられた、それからもう一つ、この指揮権発動は、これまた検察ファツシヨで政治犯的な検察がどんどん行われるときに、日本の立法権の
すなわち帝人事件はいわゆる検察フアツシヨのはしりであつたのでございますが、今度は指揮権発動後の跡始末をして、検察を政治に従属せしむる役目をしておられるわけであります。総選挙の際に検察が政治的意図を持つていわゆる検察ファツシヨになつたり、また政治に従属して選挙干渉を行つたりしてはたいへんなことになるのであります。この点に関してもう一度明確な御答弁をお願いいたします。
そういう姿を見てみますと、私どもは警察フアツシヨの再現というものを恐れざるを得ないのであります。こういう点から、私どもといたしましては、この斎藤警察庁長官が、十一月六日付で極東軍のテンプル参謀次長に出したこの通牒の撤回取消し措置を行われるよう、国会等においても十分に御検討の上御配慮願いたいと思うのであります。
○国務大臣(小坂善太郎君) 只今のお話は非常に不適当な例を挙げられましたが、それは仮定でありますから、問わんことにいたしまして、労使全体といたしまして、原因があれば如何なることをしてもいいという御議論のように挿聴いたすのでありますが、私は目的は手段を正当化するという議論は非常に危険な議論あつて、特定のものが一部に適応する目的を掲げ、そのためにあらゆる手段が正当であるという議論はフアツシヨに通ずると存
此の様な行為を実際にこの目で見、体験した我々には、今の今まで、国民の信頼していた民主々義社会に於ける警官隊に対して、憎悪と悲しみが沸き、ひいては国家権力に依る戦前の如き、フアツシヨ化を恐れると共に、共産党を大嫌いな我々でも最右翼化の傾向をも大いに憂うるものである。
現在の吉田内閣の行き方は、明らかにフアツシヨ的な、独裁的な行き方じやないですか。万民がこれを周知しておる。これが厚生行政にも現われて来ておる。大綱をきめると言つて、あなた方がつくつた臨時医療保険審議会の意向も、時間がないと言つて聞かないし、もしそういうことを民主的な方法で聞こうとするならば、あなた自身が一年なり二年なり三年を延期してもけつこうじやないですか。
あなた方は自分たちに必要なことならばこうして夜を日に継いでこういうものを出して来る、ところが一たびこれが医者とかあるいは薬剤師とか歯科医師の問題になると知らぬ顔の半兵衛をきめ込んで二年も三年もほつたらかす、こういう態度が根本的にフアツシヨ的なんです。こういう態度が民主的といえますか、これは明らかにフアツシヨ的な現われなんです。
次に、最近の軍事方針については、先に申し述べましたように、本年一月党が平和と民主主義と生活を守れという政策を、発表して以来、軍事面においては一貫して隊の基本的任務は大衆闘争の組織的な防衛であるとして、その活動形態はフアツシヨ闘争の行動中核となつてこれを内部から強化することであり、その目標は三反統一戦線を強化し、長期かつ困難な道途を克服して民族解放、民主統一戦線より革命を達成することにあるとして、現在
すなわち平和擁護運動を最も重要な課題として強く前面に押し出すとともに、政治的、経済的の各種の民族権利擁護の旗印のもとに、朝鮮人大衆を民戦に結年し、広範な反フアツシヨ抵抗闘争を展開して、これを漸次革命化し、党のいわゆる民族解放戦線の有力な一翼たらしめようとしているのであります。
基本的には反共対策あるいはフアツシヨに対する対策、これが中心のように思つておりますが、しかし往々にしてこの反民主主義という名において、あらゆる純粋な民主的な活動あるいはまた国民的な活動が弾圧される、あるいは圧迫される。そういうことをしばしば私たちは経験しておりますので、この際反民主主義の性格、いわゆる定義と、同時にまたその限界について明確にひとつ御指示願いたいと思います。
でありますから、それは左は共産主義、右はフアツシヨ―あなたはまさかフアツシヨでもなければ共産主義者でもないと思うのでありますが、少くともリベラリストである限りにおきましては、労働組合の政治的活動を阻止せなければならぬということなら別であるが、むしろ労働組合の職務の中には、労働者の政治的勢力を伸張して行くための職能というものは高く評価されていいわけです。また、社会的使命もあるわけである。
先ほど述べましたように本年一月に党は三反政策を発表いたしまして以来、軍事面においては一貫して中核自衛隊の基本的任務あるいは大衆闘争の組織的な防衛であるといたしまして、その活動の形態は反フアツシヨ闘争の行動中核となつて、これを内部から強化することである、その目標は三反統一戦線を強化し、長期かつ困難な道を克服して民族解放民主統一戦線による革命を達成することであるといたしまして、現在ではその重点を最も基礎的
そこで民主主義しかりとすれば、反民主主義とは何であるかと言えば、言うまでもなくこれはいわゆる共産主義ないしはソビエト群、マルクス・レニニズムあるいはレニニズム・スターリニズムというもの及びすなわち共産党活動、及びフアッシヨとかナチスとかいう俗にいわゆるフアツシヨの名で呼ばれる極端な右翼主義活動、これであろうと思います。ところがソ連はソ連でやはりデモクラシー、民主主義と言つております。
そうでないと、あの規定が検事フアツシヨ、検事専制、国政の上の権力の、事実上その上を行くようなことのないようにというおもんばかりも含めてできたといわれておりますその考え方と、非常に反して来ると思うのであります。 簡単にその程度にとどめますが、その点のお伺いをいたしまして、時間の関係上もう一点つけ加えてこの際伺いたいのは、決算委員会の方から総理を証人に呼んで、それが出頭しなかつた。
お尋ねのように検察権を全然独立させておくことはたいへん望ましいところでありますけれども、これはまた反対に考えますと、いわゆる検察フアツシヨみたようなことになつて、検察がある場合には横暴なことでもやつたときにこれを取押え是正する方法がないのではたいへん困るのであります。
ところが、これを取つたらこと大へんだ、それこそ検事フアツシヨというようなものが起つて来ても、防止する方法がなくなつてしまう、これは前の、むしろ一般に個々の問題以上に広範に全部を指揮監督するのでありますけれども、ただそれではいかんからというので、むしろ原則の一部を割いてもつてあのただし書があるのだから、これはよすわけにいかんということをおつしやられたのでありますが、今検事諸君の御会同におきまして、あるいは
○宮城タマヨ君 最後にもう一つお伺いいたしたいのでございますが、ときどき検察フアツシヨ、あるいは検察陣営に何か閥がある。たとえば小原閥とか、塩野閥とか、ときに宮城閥なんというのも出て来ますが、そういうことが言われておりますので、幾分検察陣の内容のわかつております者は、幾らそんな噂が立ちましても、そんなことがあるはずがないくらいのことは承知しております。
第三点は、それならば逮捕ができなかつたために、全体がくずれるような程度のものであるならば、今回のこの疑獄事件というのは砂上の楼閣であつて、先ほど小野委員も指摘せられたように検察フアツシヨの一つの現われでなかつたかどうか、その点についての疑問が出て来るのであります。
いわゆる検フアツシヨを考えるようなことは絶対にあり得ないことである。さような人があろうとは私は思いませんが、もしもさような考えを持つておるならば、これはやはりこれまた自粛をして、さようの考えを捨てて自分たちの与えられたる正しい道に進む。こういうことこそ検察の威信を高めるゆえんであると考えております。
もし検察フアツシヨが出て、どんどんどんどん端から人を縛つてしまう、幾ら言つたつてきかない、検事総長はそれを抑えることができん、こういうことになつたら、これはどういたしますか。そういうことを考えると、検察庁というものを全く独立の体制に持つて行くということは、どうしてもいかん。やはり責任政治のもとにおいて、内閣の一国務大臣が責任をもつてこれを監督するということでなければならんと思う。
これは見方によれば、一つの新らしい形の検察フアツシヨといいますか、そういうものではなかろうか。見かけは非常に大がかりだつたけれども、その内容において、内実において極めて脆弱であるという意味で、検察に対する失望、忿懣の感情も国民の中には相当あると思うのであります。それもひいては検察に対する一つの不信の感情を醸成しつつあることは、これは疑いをいれないのであります。
併し全体を貫いて特色としているものは大きな逆コースの、或いは統制的な労働平和というか、そういう点は程度は違うけれども、曾ての新体制の下における労働態勢或いはフアツシヨ支配、ナチスだとか或いはイタリーのフアシズムの下における労働運動の制限、或いは労働条件の低トそのものであるとは申しませんけれども、その方向にあることだけは間違いない。そこを問題にしておるのです。