1973-04-05 第71回国会 衆議院 農林水産委員会 第14号
したがいまして、きわめて長期間にわたる技術の積み重ね、あるいは他の畑作物との間の輪作体系の確立といったような全体の条件のよさもございますが、同時に、北海道の中では地質学的に見てもきわめてよいほうの地質に恵まれた、ビートに対してはわりあいに恵まれた地帯であるというふうなこと、それからもう一つは、気候の条件もよろしいといったようなことが重なりまして、比較的両地域が大面積のビート栽培を続けているという状態
したがいまして、きわめて長期間にわたる技術の積み重ね、あるいは他の畑作物との間の輪作体系の確立といったような全体の条件のよさもございますが、同時に、北海道の中では地質学的に見てもきわめてよいほうの地質に恵まれた、ビートに対してはわりあいに恵まれた地帯であるというふうなこと、それからもう一つは、気候の条件もよろしいといったようなことが重なりまして、比較的両地域が大面積のビート栽培を続けているという状態
このビートが寒冷地作物として適しているということはもう当然でありますけれども、まあ、暖地ビートの場合もございますし、将来再びビート栽培をするというようなことが暖地でもないとも限りません。
生産量の増大並びに歩どまりの改善というようなことも含めまして、この価格決定に際しましてはさらに努力してまいりたい、こういうふうに考えておりますが、合理化目標価格というものはあくまで目標でありまして、これによって完全に年次計画どおりにきめていくという性格のものではございませんが、目標は目標として、われわれといたしましてはそれを尊重しながら、またその線におさまるように努力いたしますが、不当に民間の農家ビート栽培
岩手だけでも十万くらいの農民がそれに飛びついてビート栽培をした。ところが、これは砂糖汚職事件も関連したと思いますけれども、今度は国はその奨励政策をもうあまりとらなくなって、北海道の一部だけにして、関税その他の関係も含んで全滅をしておる。そこで、一体甘味資源を日本の国内生産では何%確保——これもそういう政策がなければ関税というのは思いつきの力関係で上がり下がりすると私は見ておるわけなんです。
ビートを奨励して、農民がその技術を身につけて、それからビート栽培に必要な農機具も大体購入が完成した時分に、今度は国が方針を変えて、輸入政策のほうに転換をして、助成をしなくなった。十万の農民が全部つぶれてしまうというかっこうになって、地方的な大問題が起こった。これは農民自身は、政府の補助政策がどうだこうだということより、実はずっと奥を探ってみると、関税なんですね。
北見から美幌町に至り、町長から町内農業の概要、日甜美幌精糖工場の概況、ビート栽培の現況と将来の問題等について説明を聞きました。また幸い天気もよかったので美幌峠から屈斜路湖畔に下りイナセ動植物園、牧場等を視察いたしました。摩周湖を経て阿寒湖畔に宿をとりました。
いままでの政府奨励の作付転換政策は、東北において行なわれたビート栽培の失敗に見られるように、常に農家を裏切ってきたのであります。もし政府が転換政策を奨励するのであれば、具体的に何に転換させるのか、またその過程について、はっきりと具体策を明示すべきではありませんか。(拍手)そうして、農家の収入を向上させ、生活水準を上げることができる道を明らかにし、これを保証していくのが政府の責任でありましょう。
そこで北東北のビート栽培農家は、そのあとに何を有利な作物として選ぶべきか選定に困難している。青森県庁があらゆる技術陣、農業関係の専門家を集めてやった結果何ものもなかった。豚ならどうかということが一つと、積極的に奨励するわけにもいくまいが、オカボだけはどうやら間に合いそうだという結論になった。
青森県、岩手県、秋田県で御承知のとおりビート栽培を奨励されたのが約二千数百町歩に及んでいる。それが今年になって全然だめなんだ——だめどころじゃなくてもう青森県で六万トンのビートの収穫をあげながら野ざらしになって腐っている。どこでも引き受け手がないのでたいへん農林省も困った。トラクターやレーキやハローが野ざらになって畑にころがっている。農民はぼう然としていま陸稲をまいている。
数年にわたりましてビート栽培をあの地方にやられたわけでございますが、私どもの感じといたしましては、それ自体東北地方の畑作の相当なプラスになってきたと考えておりますけれども、いずれにいたしましてもそういう経緯、これは御承知のとおりございますから、私どもとしてはできるだけ転換に対して親切に、かつ、あの地方の営農形態に合致するように考えてあげることが、私どもとしての行政上の責務であろうというふうに考えております
○米内山委員 私は、北東北におけるビート栽培の中止に伴う事後処理並びに今後の転換方針について、政府のお考えまた具体的にどういうことをやろうとしておるかをお伺いしたいわけであります。 その前に若干意見を申し上げたいと思うのでありますが、これは単に農業政策の中のビート砂糖の問題だけではなくて、国の政策の基本問題でもあると考えられるのであります。
同じ時期に岩手県へ参りましたところが、県としまして、われわれはいまの段階では口が割れても転換などということは言えない、何としてもビート栽培の恒久化を要求しなければならぬということを言われておった。
○浅井委員 その点でも私はいろいろな面から先般政府に申し入れたわけですけれども、公明党として七千七百八十円という補償までしていただきたいということと、それからビート栽培の転換をこれからやらなければならないのですけれども、先ほど長官はいろいろとこれから考えていくというお話ですけれども、抽象的に北東北の畑作振興に対する積極的な対策を努力するということできているわけです。
○浅井委員 大体経過はわかったのですが、いまの東北四県に対するビート栽培は、政府の奨励作物として非常に積極的にその施策を進めてきたわけです。したがって相当の国庫の補助金等も出して、この生産に当たってきたわけですけれども、現地の農民たちの意見でありますけれども、わずか数年足らずで政府が奨励しておったものが急にやめることになった、これに対する政治不信は非常に強いものがあります。
○浅井委員 最後に私が望んでおきたいことは、約二万戸に近いこういうビート栽培をした農家に対して、すみやかにあたたかい保護措置あるいは救済措置をきちっととっていただきたい。このことを長官に望んでおきます。 これで私の質問を終わります。
○渡辺勘吉君 私は、過般の国会が終わりましてからただいままで、もっぱら岩手県下のビート栽培地帯を文字どおりくまなく回って歩きました。
第三六二九号) ○豚肉の消費拡大及びかん詰加工利用に関する請 願(第三四四一号)(第三六三〇号) ○干害並びにひよう害等に対する天災融資法適用 等に関する請願(第三四四四号)(第三六三三 号) ○岩手県を主要食糧供給基地とするための地域開 発諸施策実施に関する請願(第三七八五号) ○昭和四十二年産政府買上げ米価の適正価格決定 に関する請願(第三七八六号) ○岩手県を含む北東北地方におけるビート栽培
今度なども、農民にも、作物の反別を伸ばせなかったという責任を問われれば、それは確かにありましょうけれども、破綻工場の赤字という面で、五年間やってきたビート栽培の技術が全部死ぬのであります。やはり政治災害だと言っておる。そのあとは何をだれがしようと、何をだれが指導しようと、農民は聞くものじゃない。
そうして地力が肥え、ビートも四、五トンとれるようになって、何もフジ製糖が逃げても、ビート栽培を捨てる必要がなくなると思うのです。 そこで、私は時間がありませんから、最後にお聞きして、この質問は次の会に続行したいと思いますが、このやり方は、政治と官僚のなれ合いでこういうことが起きているのじゃないかと思うのです。
○米内山委員 私は、いま青森、岩手、秋田、北東北におきまして重大な問題になっておりますビート栽培のことについてお尋ねしたいと思うのであります。このことはすでに農林省も十分御承知のことであり、大臣も非常に心配なさっておることと思いますけれども、この際この問題についての経過を明らかにし、その責任の所在を明確にしておきたいと思うのであります。
いま東北に興りましたビート栽培も、本格的になってから数年たたないうちにこういう結果になった。そもそもこのビート栽培というのはだれが一番先に発動したのかと申しますと、これは国でござしましょう。政府でございます。このことは、いままでの立法経過を見れば明らかでございます。すなわち昭和二十八年に旧てん菜法というものが発動されております。
農林省は事業を施行する当面の責任者と言っていいくらい、ビート栽培においての責任があると思いますので、いまさら見通しが甘かったのじゃ済まないと思う。五年間もやっておるのですよ。五年間もやっておる間にすでにこの作付が伸びないという状態があらわれてきておる。特に申し上げたいのは、青森県が停滞状態をとっておりますのに、岩手県はこの五年間に倍になっております。
そういうことで、北東北の地域の中では、先ほどもお話がございましたように、相当まとまった、反収の高い、いわゆるビート栽培の定着した地域は確かにあると思います。したがいまして、そういうところを特に指導いたしておる向きにおきましては、かなりな程度にそれに希望を持っておるということも事実だろうと存じます。
せっかく定着しかかった北東北におけるビート栽培事業というものをこれでやめるつもりなのか、それとも何らかのやり方によって生かす道があるとすれば生かす考えもあるのか、この点をひとつお聞きしたいと思うのです。 そこで、お聞きしたいのは、これは四月十八日号のエコノミストでありますが、これに荒勝食糧庁業務第二部長という人なんですが、こういうことを言っておる。「東北の場合、ビート糖生産はムリ。
そこで、そうしますと、問題は、あと会社が休業すればビート栽培はやめるということに通じますか。それとも、フジ製糖のあの工場がやめても栽培を継続して、何らかの方法で北海道の工場へ送るなりしてでも栽培は継続させる、奨励を続けるというお考えなんですか。
これは、高原ビート栽培の方向で技術的に可能かどうかは自信はございませんが、昨年を除いては少なくとも十年くらいのやはり耕作は可能でございましたし、また現在もつくられておりますので、むしろ日本全土の脊梁山脈に、私はビートをつくるのが目的ではなくて、ビートから砂糖分を抽出した残りが、牛やあるいは綿羊の濃厚飼料として利用できるので、併用して草地栽培の中に加味していただくことによって、本州では十二分にこの点は
それから、ことしは北海道は冷害でもって、たいへん作柄がすべて悪かったと思いますが、ことしのような——ことしといって、去年からことしにかけてですな、冷害の年においても、ビート栽培といったようなものはどの程度の影響で済んだものか。今後の、たいへん寒いところにおける作物として、将来、将来性ということを考えてみた場合にどういうふうに見られるのか。
したがって、第一は酪農の方向について農林省としてはどういうふうにお考えになっておるのか、それからビート栽培と酪農との結びつきはどうか、それからビートの生産をこれから振興するのにどう必要な道をとろうとするのか、それから価格はどうするのかという点についてお答えをいただきたいと思います。
そういうことで、われわれといたしましては、今後ビート栽培を普及するにあたりまして、どうしても一戸当たりの栽培面積を大きくすることにかからなければならない。その点につきましては、毎々いっておりますように、そのためにはビートに魅力を持たなければならない、魅力ある作物であって、それによって初めて力を入れるということで従来の悪循環をいかによい循環に変えていくかということが問題だと思います。
これはやはりビート栽培の経済性の低さから、そういう問題が起こっているのではないかと見ているのですが、どうですか。
○米田勲君 私は、このビート栽培が計画的に伸びなかった理由というのは、いまあらためて申し上げるまでもなく、いろいろな条件がそろわなかったという中で、生産農民の立場から言わせると、価格問題がやっぱり一番魅力を失わせたという点が大きいと思うのですよ。
○小宮市太郎君 お説のとおり、酪農とビート栽培が結びつかなければ、経営上成り立たぬとか、あるいはそうしなければいけないと、こういう断定は下すべきじゃないと思うのです。酪農は酪農で立っていくように考えなければならぬし、ビートはビートで立っていくという考え、これは原則だと思うのです。
しかし、またそういう風水害の点でなく、経済的な問題が、今度は風水害に次いで重要な課題になってきたわけですが、特に二十七年、二十八年、三十年と、てん菜の導入によって、何か新しい麦作転換ができるのではないか、そういう転換期を迎えまして、デビューしてまいったのはビートでなかったかというふうに思うのですが、したがって当時は、かなりビート栽培については希望を持ったわけです。
これとビート栽培とが結びついていくという方向が、一つの大きな筋であると、そう考えておるわけであります。 ただ、いま申し上げましたようなことで、労力関係において、十分調整されなければならないということがありますので、現在の指導なり普及の方法といたしまして、絶対に畜産と結びつかなければいかないとまでは、実は言っておらないわけです。