2020-05-20 第201回国会 衆議院 外務委員会 第8号
この東プロイセンという地域は、御承知のとおり、当時はケーニヒスベルクと言われ、第二次大戦でドイツが敗戦して以降はソ連領となり、カリーニングラードという位置づけでした。でも、これはプロシアにとっては、日本で言う奈良の平城京みたいな町です。
この東プロイセンという地域は、御承知のとおり、当時はケーニヒスベルクと言われ、第二次大戦でドイツが敗戦して以降はソ連領となり、カリーニングラードという位置づけでした。でも、これはプロシアにとっては、日本で言う奈良の平城京みたいな町です。
カザフスタン、旧ソ連領ですけれども、ここは核実験を行った国であります。何と千回もやっているようです。 そして、その現場で、世界各国、日本からは長崎の市長も出席しました。そしてサモア、つまりフランスが核実験をやるところですね、ここの代表も来ておりました。世界じゅうの核を浴びた国の代表が集まりまして、核兵器廃絶の宣言を伴う大会をやったわけであります。数千人の人が集まり、非常に盛り上がっておりました。
これはやはり、ソビエト側の資料でありますから、当時この資料を見て何を読み取っていくのかということを考えると、ヤルタ協定ではかつての旧ソ連領は全部取り返すことになっているわけであります。
千島列島および樺太南部は、日本降伏直後の一九四五年九月二十日一方的にソ連領に収容されたのであります。 また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島および歯舞諸島も終戦当時会々日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります。 という演説をしております。 まさにこの北方領土の問題は、吉田茂首相が、原点として、これはもともと日本の領土であるということを言っているんです。
で、旧ソ連領で亡くなった方々約五万三千人といううち約四万人分の名簿というのは入手をいたしておりますが、残り一万三千人分余というのは未入手ということになっております。
また、戦後、旧ソ連領に強制連行されました方のうち病弱等のために北朝鮮に移送された方がおられると、そういった方の中にも死亡された方がおられるであろうと推定をいたしております。また、栄養失調、伝染病等によって亡くなった方もいらっしゃるということで、合わせまして約三万五千人が北朝鮮地域において死亡をされたと推計をいたしております。
本日の午前中の憲法調査会でも議論になりました二院制あるいは政党のあり方に関係いたしますけれども、この月の十二月二十六日に、かつてのソ連領でありまして、今独立国家として存続しておりますウズベキスタン、この国が、一院制から二院制に移行して初めての選挙を実施いたします。
ここには、「ロシア側は各個人の要請に基づき、旧ソ連領において捕虜に囚われていた日本国民に対し、第二次世界大戦の終結後捕虜に捕られていた期間の公式の労働証明を交付することを伝える光栄を有する。」とあります。 この通知の真髄は何かと。
ソ連は、千島列島だけでなく、ヤルタ協定でも言及されなかった北海道の一部である歯舞、色丹まで軍事占領をし、一九四六年、平和条約も問題にならないうちに千島列島と歯舞、色丹のソ連領への編入を一方的に強行したのであります。 歯舞、色丹については、千島列島問題での議論その他の議論の余地は全くなく、直ちにでも日本に返還されるべき極めて不当なものではないかと思いますが、外務大臣はいかにお考えですか。
ところがソ連は、千島列島だけでなく、ヤルタ協定で言及もされなかった北海道の一部である歯舞、色丹まで軍事占領し、一九四六年、平和条約も問題にならない間に千島列島と歯舞、色丹のソ連領への編入を一方的に強行した。
僕はこれ、四百億円の基金を積んで毎年二十五億円のお金でいろんなさまざまな配慮をしているわけですけれども、この基金法の第一条に書いてある、要するに軍人恩給の対象にならない方々、強制抑留者、強制抑留者の範囲も限られているわけですよね、ソ連領とかモンゴルとか。それから、引揚者についても、引揚者ということは外地。私はこれはいろんな配慮の考え方があるだろうと、公平を期さにゃいかぬという。
第二次世界大戦直後にスターリンのソ連が千島を軍事占領にとどまらずソ連領に編入した、これは正当な国際法上の根拠があったのかなかったのか、外務省の見解をお伺いします。 時間の関係であわせてお伺いしておきますけれども、一八五五年の日露通好条約、一八七五年の樺太千島交換条約には何か条約上の瑕疵があったのかどうなのか、あるいは力の差による強制という要素があったのかどうなのか。
これらの国は産油国でもございますから、日本にとりましてもこれからの貿易の対象国として大事になることは当然でございますし、もう一つ、旧ソ連領から独立をしたところでございます。しかも、独立をして市場原理を導入して、西欧型の民主的国家に近づこうと努力をしているところの国々でございます。
私が数年前から外務省の関係者に問題提起し続けてきた中身でございますけれども、日本の学者の調査研究によると、千島がソ連領に編入される発端になったのは、スターリンが千島を失地、失った土地だというとんでもない主張を始めたことによるものではありますが、直接のきっかけになったのは、アメリカのトルーマン大統領がソ連を対日参戦させるための条件として、一九四三年、昭和十八年十月五日、国務省関係者をホワイトハウスに招集
それから樺太の問題につきましては、ロシア、旧ソ連領ということになっております。これは外務省にも聞かなければいけないのですが、国交の関係は回復しておっても、平和条約というものが存在をしていないという限りでは必ずしも一〇〇%正常化されていないということになると、やはり私は台湾と同じような問題があるんじゃないかと思うんです。
○田英夫君 歴史の中でもう一つ秘密協定で定かでなかったヤルタ協定、これも南樺太とクリル諸島をソ連領にするということがそのとき既に約束をされていたわけですが、表現を見ると、南樺太はソ連に返還をする。それからクリル諸島はやはり表現が違うのですね。
そして、そのときにダレス国務長官は、日本が南樺太と千島を放棄し、特に国後、択捉両島をソ連領として認めるということがあれば、それはサンフランシスコ条約に明らかに抵触すると。これは日本がサンフランシスコ条約以上のことをソ連に認めることになり、もしそのような場合にはアメリカはサンフランシスコ条約二十六条によって沖縄を永久に領有するという立場をとる。
○田英夫君 ところが、サンフランシスコ条約のときのやりとりの中でそれを振り返ってみますと、アメリカが当初つくりました原案の中で、歯舞諸島を除く島々はソ連領であるということを言っていた時期があるのですね。これは外務省として御確認になっていますか。
これを命じてニューシルクルートと言われたりいたしているようでございますけれども、その新航空路のルートの中に、もう言うまでもなく旧ソ連領の中央アジア部分というのは、ソ連邦が崩壊後、各国が独立しているわけでありますから、協議の難航もこれは予想されると考えられるのですけれども、これに対しての見通しを承っておきたいと思うのです。
そういう中で、四島とも日ソ共同管理をしたらいいという一八%の意見を含めると、四島がソ連領でなくともよいという意見が約四割を超えているという、まことに興味津々なアンケート結果が出たわけであります。
もう一つは、この千島にも含まれていない北海道の一部である歯舞、色丹を千島とともにソ連領に一方的に編入した、こういう許せない誤りのことです。この大事な基本的な問題にかかわる点を正すということを姿勢としてきちっと確立して対ソの交渉を進めないというと、これは解決の方向に前進せぬぞということをついこの間の委員会における質問でも指摘をしておきました。
御承知のとおり今ヨーロッパからアラスカ経由で入ってきますから十何時間もかかりますが、ソ連領をこれから通すそうです。これはこれからの交渉であるんでしょう。ソ連領を通ってきますと、アラスカを経由しないでヨーロッパから来まして四時間短縮されるわけです。それが千歳にどんどんとヨーロッパ北回りというのが入ってきます。四時間時間が短縮される。