2020-05-15 第201回国会 衆議院 外務委員会 第7号
当初予定されていた大規模な各国首脳を招いての記念式典や軍事パレード、これは延期になったということでありますけれども、この延期後の日程について、ソ連時代の対日戦勝記念日だった九月三日にするという案が浮上しているそうです。九月三日になった場合には、招待されても日本の首相は参加すべきではないんじゃないかというふうに私は思っています。 九月三日の場合に参加するのかどうなのか。
当初予定されていた大規模な各国首脳を招いての記念式典や軍事パレード、これは延期になったということでありますけれども、この延期後の日程について、ソ連時代の対日戦勝記念日だった九月三日にするという案が浮上しているそうです。九月三日になった場合には、招待されても日本の首相は参加すべきではないんじゃないかというふうに私は思っています。 九月三日の場合に参加するのかどうなのか。
○大西(健)委員 まだ決まっていないということでありますが、九月三日は、先ほど言ったように、ソ連時代の対日戦勝記念日であるということですので、少なくとも九月三日に行くことは、まさに誤ったメッセージを送ることになるので、私は行くべきではないと思いますけれども、九月三日は行かないということでよろしいですか。
恐らく、旧ソ連時代との関係かなとは思うんですが、その理由と背景についてお尋ねします。
それまでは、ソ連時代には領土問題は存在しないと言ってきたわけですね。それに対して、いやいや、領土問題は四島にあるということを確認した。 そういう意味で、私は東京宣言は非常に重要な確認だったというふうに思うわけですが、それをあえて言及しなくなった。
親日的な国との関係を更に強めていくという中でございますが、このカザフスタン、バイコヌールという基地、ソ連時代からの開発をされている部分がありまして、宇宙外交について続いてお聞きをしていきたいと思います。 日本の宇宙外交の中で、今強みの一つと言われています超小型衛星での協力、この部分についてお知らせください。
ソ連時代は、四島問題がないというから、一括返還で即時という表現までしました。しかし、ソ連が崩壊してエリツィン大統領になってから、平成三年、九三年からでありますけれども、日本は、四島一括返還という旗は下ろして、四島の帰属の問題を解決して平和条約の締結であります。 ここら辺をきちっと基本に考えていけば、日本が国連に入ったのは誰のおかげで入れたか。
政治体制が、大統領が強い政治体制である大統領・議会制と、議会が強い政治体制である議会・大統領制との間で揺れ動いていることに象徴されるように、ウクライナの憲法改正は大統領と議会との権力闘争の歴史であり、政治体制の変革のたびに大統領と議会のどちらかに権力が傾くことで、常に権力相互のバランスを欠くことになり、それが権力闘争を招く一因となっていること、その結果、いつまでも憲法が安定することなく、また、旧ソ連時代
実は、ウクライナ自体が、旧ソ連時代から、例えば世界で最も優秀な輸送機と言われているアントノフを生産するなど、エンジン分野、こういう特定分野の工業技術では相当高いものがございます。それから、最近は、IT、ブロックチェーン、サイバーセキュリティーなどの先進分野でも質の高い人材を輩出していると認識をいたしております。
同地域には旧ソ連時代の武器、弾薬が残されており、駐留するロシア軍が現在も引き続き管理をしていると承知しております。 なお、同地域に核兵器が残されているとの事実については承知しておりません。
そして、まさに時期を捉えて、そして先人たちが、相手の大統領、あるいは旧ソ連時代は総書記と相まみえて、秘密交渉も含めてこういう問題を積み重ねてきたというのが日ソ、日ロの歴史の積み重ねなんです。 したがって、それについて全て今交渉するから、全部何もかも放り投げて、そして、交渉過程だから申し上げませんということは、これは余りにも真摯さに欠ける。
先ほども少し触れましたが、ソ連崩壊後、旧ソ連邦内の各共和国が分離独立した際、旧ソ連邦内の多くの国が我が国と旧ソ連時代に締結した租税条約をそのまま引き継いでおりましたが、このバルト三国は旧ソ連時代の租税条約を引継ぎいたしませんでした。したがいまして、ソ連崩壊後、二十五年以上もバルト三国と我が国との間では租税条約そのものが存在をしなかった、このような状態であったと認識をしております。
旧ソ連時代に結ばれました現行の日ロ租税条約ですが、先ほど申し上げましたとおり、旧ソ連との間で昭和六十一年に発効したものでございますが、平成三年のソ連崩壊に従いましてソビエト連邦に所属していた旧ソ連邦内の各共和国が分離独立した結果、バルト三国を除く国々では旧ソ連時代に締結した現行の租税条約がそのまま引き継がれております。 そこで、外務省に確認をいたします。
ソ連時代にはモスコーの食料庫と言われていました。エネルギーも、石油、石炭、液化ガスなど、今後何百年かの需要に耐えられると言われるほど地下資源は豊富でございます。
お尋ねをいただきましたタジキスタンと中国との間の国境画定でございますけれども、そのやりとりについては、我が国は当事国ではなく、また本件に関する情報も限られているところではございますが、その上で、報道等も含めて申し上げれば、両国の間の国境をめぐっては、旧ソ連時代から未解決の問題が存在したところでございます。
一方、旧ソ連時代に造られた配管の更新が課題となっており、先方から配管を破壊せずに点検と改修ができる我が国の技術への関心が示されました。今後は、取り得る支援ツールを活用し、引き続きニーズに応える必要があるものと思われます。 アスタナ第二小児病院では、独立後間もない困難な時期に我が国が供与した医療機器による乳幼児死亡率の低下や、日本製医療機器の品質と使いやすさなどにつき高い評価を受けました。
今回の視察のスケジュールには入っていなかったのかもしれませんが、この間セミパラチンスクでは、旧ソ連時代に数百回にわたる原水爆の実験、核実験というのが行われてまいりました。最後は一九八九年ということでありますが、極度の放射能汚染ということで様々な人的被害などもあったというふうに聞いております。
ソ連時代の地方都市や町の多くは、国営企業が君臨する企業城下町でした。ソ連邦の崩壊後に国営企業は民営化されましたが、現在でも町を支える企業もあります。 北方領土にもソ連時代からの国営企業の流れをくむ株式会社ギドロストロイが操業しており、本社はサハリン州ユジノサハリンスクにあります。
私自身は、五年間、ソ連時代、向こうで生活して、いろんな人間関係をこれまで継続して持ってきているものですから、そのことを特に強く感じております。
ただ、サハリン州の雰囲気はソ連時代の雰囲気を濃厚に保っています。したがって、改革派がリーダーシップを取っていた頃は、例えば領土問題等で、クナーゼ次官だと九〇年代の初めなんですけれども、外務次官、彼が日本との関係を何とかしようとしている頃などには、サハリンの雰囲気は、クナーゼは国賊だと言わんばかりの、そういう雰囲気がありました。改革派がリーダーシップを取っていた頃です。
ウズベキスタンにおいて農業はGDPの約二五%を占める基幹産業であり、果樹も重要産業の一つですが、栽培技術等は旧ソ連時代のままであり、改善が求められております。本事業は講義や実習のほか、我が国への研修員も受け入れており、我が国で学んだ研修員からは、日本の栽培技術に極めて高い評価をいただきました。
だけれども、歴史を振り返っていけば、ソ連時代の中ソによる激しい対立というのもあり、ロシアの側から見れば、中国とは非常に仲よくしていかなければいけないけれども、同時に警戒もしているというのがロシアの本音ではないかというふうに思っています。
ソ連に含まれておりましたが、ソ連時代にはモスコーの食料庫と言われておりまして、そこで住んでおりましても、又は政府の方々と話をしておりましても、やはり食料について全く心配がない国、非常に人々も心が安定しておりますし、対応するときにも、例えば日本に対しては先端の技術、そういったことを是非取り入れたい、日本の発展を見習って自分たちも経済を立て直していきたいという思いがありますが、食料品については全く心配していない
ロシアは旧ソ連時代にチェルノブイリの原発事故も経験をしております。チェルノブイリはウクライナですけれども、ロシアにも、事故対応ですとか住民避難、健康被害などについて、ソフト面でのノウハウも蓄積されていると思います。 このソフト面での連携、これもかなり重要である、原子力行政をやっていく上で重要であると思うんですが、そこについてはいかがでしょうか。
○岸田国務大臣 ソ連時代には、ソ連が我が国との領土問題の存在自体を否定していた時期があったこともありまして、我が国としまして、北方四島の一括返還を実現して平和条約を締結するとの方針でソ連との平和条約交渉を行っていた経緯があったと承知をしております。
しかし、カスピ海の環境問題の前に、旧ソ連時代のやはり核実験の度重なる影響で土壌の汚染ですとか健康被害というようなことも頻繁に話題になっています。
旧ソ連時代に本当に彼ら、我々が育てた選手たちがその国の国会議員になり、いろいろ国民的英雄になっているということで、非常に私もスポーツ外交ということで有り難いなと思っています。