2020-05-21 第201回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第6号
その中で私が一番印象に残っているのは、二〇〇四年のスマトラ沖大地震の後に復興庁長官初代に就任されましたクントロ・マンクスブロトさん、インドネシア人ですけれども、その方に、当時、玄葉光一郎内閣府特命担当大臣と一緒にお会いして、復興庁をつくるとしたらどんなイメージなのかということを伺ったことがあります。そうしたら、言下にミニ政府をつくればいいんだと言うんですね。
その中で私が一番印象に残っているのは、二〇〇四年のスマトラ沖大地震の後に復興庁長官初代に就任されましたクントロ・マンクスブロトさん、インドネシア人ですけれども、その方に、当時、玄葉光一郎内閣府特命担当大臣と一緒にお会いして、復興庁をつくるとしたらどんなイメージなのかということを伺ったことがあります。そうしたら、言下にミニ政府をつくればいいんだと言うんですね。
そこはもともとスマトラトラとかスマトラゾウの生息地、それを全部皆伐して人工林にしてしまったということなんですね。 このような、森林の持続可能性の維持に地球規模で反するような活動を日本企業の一部が行っているこの実態を、先ほど来の答弁を踏まえて、小泉さん、どう思われますか。
チリ地震とか、アラスカ沖とか、インドネシア・スマトラの地震に次ぐ大きな地震でした。そして、大津波です。地震と津波なら世界じゅう、ほかもあるんですが、そこにレベル七のチェルノブイリ級、人類が経験したことがない原発事故が加わったわけです。ですから、リーマン・ショックの直後から始まって、一年半後に今まで人類が経験したことのない複合災害に直面して、そして一年数カ月後に政権が倒れました。
負傷兵を治療のほか、災害あるいは救援、人道支援で医療活動を行うとのことで、二〇〇四年のスマトラ沖地震では、津波被害を受けた地域で医療支援を行ったそうです。 我が国で導入を検討しているとのことです。海洋国家である日本では、災害支援の観点から、離島での活動、活用など、他国より必要性が高いかと思います。
加えて、これ安いということになりますと、今環境省から言われたように、こういったようなものを、ベトナムの話ですけど、あそこは近くにセレベス・マカッサル、スマトラ、ボルネオ等々、この種の、アッシュ三%ぐらいの炭が大量にまだ手付かずで残っている数少ない地域でもありますので、そういったところから電源を使うという意味でのインフラが安くできるということにとりましては、これはあの地域の電力需要を大幅に変える可能性
四ページ目でございますが、これはその災害の例でありますが、二〇〇四年にはスマトラ沖地震で、インド洋沿岸で約二十二万人の方が亡くなられたと。そのほか、二〇〇五年にはパキスタン、二〇〇八年には中国四川において、それぞれ八万人以上の犠牲者が出た災害が出ております。我が国でも残念ながら東日本大震災で、関連死された方を含めますと一万九千人の犠牲者が出たということであります。
例えばクダンクラム原発、二〇〇四年のスマトラ沖大地震で津波被害を受けた地域なんですね。今も原発の横に津波村という仮設住宅があると言われています。ここでは、特にこの福島事故以来、反対運動が再加熱しまして、連日一万人以上が集まってデモやハンストも行われました。これに対して、一万人を超えるような州警察の武装部隊が投入されて、逮捕者五百人以上、警察が発砲して一人の死者も出ました。
私も実は今まで、国内もさることながら、スマトラの津波、ジャワ島の地震、パキスタンの地震、ハイチの地震、東日本大震災と行ってまいりましたが、実は日本国内にこういう組織があるというのは、直接目にしたのは五年前のつくばにおける竜巻の現場でございました。それから、一昨年の常総を中心とした災害のときに、このこういう方々の活躍を目にいたしました。 資料を持ってまいりました。 一ページ目。
私は今まで、スマトラ沖の津波、それからカシミールの地震、ジャワ島の地震、ハイチの地震、それぞれ現地に参りまして、特に国際緊急援助隊の活躍を視察をしてまいりました。そして、その貢献が大変大きいということを感じているわけでございます。 ただ一方で、そういう現場に参りまして、残念ながら、いわゆる最初の緊急援助隊でございますレスキュー隊による生存者の救出が長年ないんでございますね。
私は今まで、例えば津波というものがいかにひどいものであるかというのをスマトラで感じて帰ってきまして、日本で津波の恐ろしさというものをもっと伝えるべきだなと思って、四年前の東日本大震災のときに現実をやっぱり伝えるべきだな、ということがまさに抑止につながると思った次第でございますけれども。
また、私自身、東日本大震災やスマトラ地震での自衛隊の人道援助活動や、ハイチやネパールでのPKO活動の現場を見てきました。自衛官の皆さんの不眠不休の活躍ぶりは筆舌に尽くせません。 そこで、中谷大臣に、オタワ条約の経験も踏まえ、制服組の能力と適応性についての見解を伺います。
私も、実は今まで、スマトラの地震、津波、ハイチの地震、ネパールの地震、ジャワ島の地震、大体全部行きました。その都度、まあ政権はいろいろありましたけれども、提案をしてまいりました。その中の一つが、いわゆるチャーター便の利用等、これはネパールとパキスタンの地震の地形等が似ておりまして、チャーター便の活用を提案してきたわけですが。
スマトラ沖の大地震で大津波がありまして、三万人ぐらいの方が亡くなりました。スリランカが大変な状況でしたが、真っ先に救助に、救援に伺ったのも日本でございましたし、ODAもずっと各国を抜いて一番支援をしてきましたけれども、ここ四、五年、残念なことにその座を明け渡したわけですが。
この津波避難ビルあるいは避難タワーにつきましては、スマトラ沖地震を踏まえまして、平成十七年に津波避難ビル等に係るガイドラインというものを定めておりまして、そこでどういった考え方で設置するか、その場合の構造面、特に津波はエネルギーを持っていますので、それに対してどう耐え得るかとか、高さはどういうふうに設定するかというようなことも定めております。
また、二〇〇四年のスマトラ沖大地震・インド洋大津波に際し、我が国のODAにより建設され、首都マレ島を甚大な被害から守った護岸を視察しました。これは、我が国のODAが大災害から人命を救い、その品質の高さを世界に示した格好の事例であり、このことを風化させないことが、品質の高さという我が国のODAの特性を被援助国に強調していく上でも重要であります。
そのときに思い出すのが、二〇一一年に国土交通委員会の視察でインドネシア・スマトラのあの地震の起きました現場であります、津波被災地であるバンダアチェを訪問させていただきました。筆頭も一緒に行かせていただきました。
これは世界銀行の方や佐藤先生の前で申し上げるまでもないんですが、ここに挙げさせていただいたように、いろんな地震がある、これは地震だけを取り上げてみただけのことですけれども、三・一一が九・〇でも二万人弱で済んだというのは、例えばスマトラ・アンダマンの場合は二十二万人だし、ハイチはマグニチュードでは七・〇なのに三十一万六千人が亡くなっているという。
もう最後でございますので、時間はちょっと超しておりますけれども、最後に大西町長さん、私も二〇一一年にスマトラ沖地震の後のバンダアチェに行かせていただき、ランブンコミュニティービルの視察をさせていただきました。一つの棟で千人が収容できる、これは日本の無償資金援助でつくられたものでもございました。
また、スマトラ沖地震、二〇〇四年にありましたが、その後にインドネシアで噴火が相次いでいるように、大きな地震の後には火山の噴火というのはよくあることであります。
陸上自衛隊は、北海道の大地を道場として部隊を錬成し、イラク、南スーダン、スマトラ沖、ハイチへの派遣に際しましては常に全国の自衛隊に先駆けて派遣され、立派に責務を完遂しております。そして、東日本大震災においても、直ちに約一万二千五百人の陸上自衛官を被災地に派遣し、活躍してくれました。