1999-05-17 第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第8号
皆さん御存じのように、例えば一九八八年には旧ソ連のシェワルナゼ外相が国連総会で環境安全保障、そういったものを提案している。その後、ゴルバチョフが包括的な地球安全保障として環境や人権問題を含む新たな安全保障概念を訴えた。これは平和の配当にもつながるような話になっていたわけであります。
皆さん御存じのように、例えば一九八八年には旧ソ連のシェワルナゼ外相が国連総会で環境安全保障、そういったものを提案している。その後、ゴルバチョフが包括的な地球安全保障として環境や人権問題を含む新たな安全保障概念を訴えた。これは平和の配当にもつながるような話になっていたわけであります。
CSCEタイプのものでどういうことを意味するかによるんですけれども、とりあえずアジア・太平洋の地域的な、いわゆる多角的といいましょうか、たくさんの国が一緒になってアジア・太平洋地域の安全保障の問題について議論する場というふうにとりあえず定義しておきますと、そういうものが必要ではないかということを例えばカナダの当時のクラーク外相が言い、オーストラリアのエバンス外相が言い、そしてたまたまそのころソ連のシェワルナゼ外相
当時、ソビエトはそういうふうなことをしたくないから、シェワルナゼ外相等が何回も何回も走り回ってイラクの説得をしてきたことも事実であります。しかしながら、どうしてもそれも聞かないということで安保理で採決したところが、御承知のとおり、ちっちゃな国が二つ反対したところがありますが、大国はすべて賛成、一国だけ棄権した国がありますがそれは反対じゃないんですからね、棄権したということは。
○伊東(秀)分科員 最後に、長官に伺いますが、中曽根元総理がシェワルナゼ外相に対して、軍縮は軍人に任せてはならない、軍人に任せたら軍縮にはならない、政治家でなければできないことだというふうなことを教示したという新聞報道を私は目にしたことがあるわけでございます。まさしくそのとおりで、軍人は、やはり今あるものの維持拡大という発想をする。
その中で特にグルジアとの関係も非常に強く持っているんですが、今回シェワルナゼ外相が再びカムバックしたという。ソ連では今までかつてあり得ないことだと思うんですが、そのシェワルナゼさんの台頭について御意見を聞かせていただきたいと思います。
○成瀬守重君 ちょっと話は変わりますけれども、一九八八年の九月二十七日にニューヨークの国連総会で、ソ連のシェワルナゼ外相は、今日の地球規模の問題、とりわけ経済問題、環境問題への取り組みに関する緊急の決定を行うことができる国際的なメカニズムを国連の枠内において設立することが必要である。
特にシェワルナゼ外相は、それまで環境には余り重点を置いてこなかったソ連の方針を百八十度転換しました。すなわち環境の脅威が核と宇宙における脅威と同じような緊急性を高めていること、軍事手段を用いた安全保障という伝統的な考え方が既に過去のものとなってきていること、環境のカタストロフィーの前には、東西の対立の図式は意味を持たないことを指摘したのであります。
したがって、そういう意味で、シェワルナゼ外相がやめる、最近はヤコブレフ大統領補佐官がやめる、そして人事はすべて保守派の中から選んだという状況で、ずっと保守派寄りになったと思うのです。 しかし、このクーデターが起きる数カ月前からは、ゴルバチョフさんの姿勢はどちらかというと改革派の方に急速に向いてきたのではないかなと思うのです。
ヤコブレフ現大統領顧問やあるいはシェワルナゼ外相などと話し合いをしてまいりました。そのときに強く感じましたことは、やはりいろいろありますけれども、ゴルバチョフのペレストロイカを成功させなければ日本との関係も進展はしない。シェワルナゼは、我々が敗れればその後に来る政権は軍服を着た力強い男とかあるいはそういうたぐいの人だということをはっきり言っておりました。
特にこの日ソ東京サミットが実現するまで、スタート時点としてはシェワルナゼ外相が日本を訪問した、いわば三年間ぐらいの時間を経過してここに到達をしたと私は思うわけであります。そういう意味で大変政府当局も、この間の努力に私は率直に敬意を表したい、こう思っています。
また、昨年九月にシェワルナゼ外相が来日されたときに外相間で本件日ソ協力に関する覚書も締結されまして、その覚書に基づきまして昨年十二月、それから本年三月に開催されました両国間の会合におきまして、専門家の間で協力の具体的な進め方について意見交換を行ったところでございます。
○中山国務大臣 その件に関しましては、昨年の九月に来日されたシェワルナゼ外相と私との外相協議におきましても、ソ連の経済における軍需産業の占める問題、この点については我が方から指摘をいたしました。
そこで率直にお聞きしますけれども、ベススメルトヌイフ外相のこの今回の日本との関係改善の政策は、前任者のシェワルナゼ外相の路線というものを正しくといいますか、このいわゆる本流をきちっと受け継いでおる、こういう認識に立っておられますか、それとも違いがあるのか。
○中山国務大臣 シェワルナゼ外相とベススメルトヌイフ外相との考え方、日ソにおける交渉の考え方というものは変わっておらないという認識を持っております。
しかし、常任理事国の一国が拒否権を行使すれば、まあ簡単な例を挙げれば、シェワルナゼ外相がまだ在任中でございましたが、既に辞任していたとすれば十一月の武力行使容認決議案が通ったかどうかというのはいささか疑問な面もあるわけでございます。こうした常任理事国が切実な利害を感じるところで紛争が起こったときに本当に国連が機能し得るかというのはまことに疑問な面がある。
一つは、数年前から訪日の問題が具体的に話題に上ってまいりまして、一昨年の九月の国連総会で、シェワルナゼ外相が九一年にならないと行けないということを表明いたしました。
この関連で、日本側は、一九八九年五月にシェワルナゼ外相が述べた日米安全保障条約と日ソ平和条約は両立するものであるとの考え方を評価する。 同会合でソ連側も以上の点につき共通の理解を持っていることが確認され、第六回及び第七回の会合においてもこの共通理解に沿ってさらに協議が継続されております。 以上が現在までの日ソ平和条約作業グループの総括的御報告であります。
また、その会合を機会に韓ソの国交が、予定された国交開始の日よりもうんと早まってやることになったということを、その会談の明くる日、シェワルナゼ外相と韓国の崔外相との間の話し合いによって決まったということを、私はホテルで韓国の外務大臣から電話で知らされた。
しかし、その会合においてシェワルナゼ外相と崔外相が話し合いをされて、うんと早まった機会に韓ソの国交を開くことがその日に話し合われたということを私は直接聞いておりますから、先生には御理解をいただけないかもわかりませんが、日本が端緒を開いたのではなしに、日本がその速度を速めたというふうに御理解をいただきたいと思います。
ソ連の状態が非常に、ペレストロイカを振りかざしてゴルバチョフが民主化をやっておったときと、シェワルナゼ外相がやめて、そしてバルト三国が独立を目指してどんどん国民投票のような世論調査もやっておる、そして三月十七日に一斉に連邦の形を問う投票を行いながら、実はゴルバチョフ政権の評価がこれは問われるわけでございます。
しかし、このような考え方をとる者にとりまして、昨年末のシェワルナゼ外相の辞任、バルト三国における流血の惨事というのは、私にとっても大きな衝撃であった次第でございます。軍部あるいは保守派の台頭を予想した同外相の予言が次第に現実性を帯びてまいってきております。
やや具体的な質問になりますが、一九九〇年にウラジオストク国際会議というのが開かれて、そこでソ連のシェワルナゼ外相が基調演説をして、全アジア諸国外相会議の開催を提唱したというふうにお聞きをしております。その際に、その国際会議のときに、アメリカの代表が同時に分科会で報告をいたしまして、環日本海圏構想の促進を提唱したというふうに聞いておるわけでございます。
同時に、その際に、シェワルナゼ外相が全アジア諸国外相会議、これを一九九三年にウラジオストクで開催するということを提唱したようでございまして、もちろん全アジアですから、環日本海圏よりもっと広い範囲のものでございますが、この提唱についての外務大臣の見解をお聞きしたいと思います。
○中山国務大臣 一九九三年にウラジオストクで全アジア外相会議を開きたいというシェワルナゼ外相のお話、私もよくわかっております。
最近のシェワルナゼ外相が辞任をされるという事態を私もテレビで生々しく拝見をし、ソ連の中でいわゆる経済改革がうまくいっていない、ペレストロイカの先行きが不透明になってきている、また、新しいマーケットメカニズムの導入が機能していない。
したがって、日本の外務省としてはその辺のシェワルナゼ外相辞職以降のここの一カ月間のソ連の動きというようなものを用心深くこれは分析をしておかぬといかぬなと。これも差し支えある範囲と差し支えない範囲があるから、すべての感想を言うわけにもいかぬと思いますけれども、そこらの問題を外相としてはどんなぐあいに全体の情勢把握、大ざっぱに見てどんな把握をしているのですか。