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189件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1999-05-17 第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第8号

皆さん御存じのように、例えば一九八八年には旧ソ連シェワルナゼ外相国連総会環境安全保障、そういったものを提案している。その後、ゴルバチョフが包括的な地球安全保障として環境や人権問題を含む新たな安全保障概念を訴えた。これは平和の配当にもつながるような話になっていたわけであります。  

加藤修一

1993-02-26 第126回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号

CSCEタイプのものでどういうことを意味するかによるんですけれども、とりあえずアジア太平洋の地域的な、いわゆる多角的といいましょうか、たくさんの国が一緒になってアジア太平洋地域安全保障の問題について議論する場というふうにとりあえず定義しておきますと、そういうものが必要ではないかということを例えばカナダの当時のクラーク外相が言い、オーストラリアのエバンス外相が言い、そしてたまたまそのころソ連シェワルナゼ外相

渡辺昭夫

1992-05-07 第123回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第4号

当時、ソビエトはそういうふうなことをしたくないから、シェワルナゼ外相等が何回も何回も走り回ってイラクの説得をしてきたことも事実であります。しかしながら、どうしてもそれも聞かないということで安保理で採決したところが、御承知のとおり、ちっちゃな国が二つ反対したところがありますが、大国はすべて賛成、一国だけ棄権した国がありますがそれは反対じゃないんですからね、棄権したということは。

渡辺美智雄

1992-03-11 第123回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号

○伊東(秀)分科員 最後に、長官に伺いますが、中曽根元総理がシェワルナゼ外相に対して、軍縮軍人に任せてはならない、軍人に任せたら軍縮にはならない、政治家でなければできないことだというふうなことを教示したという新聞報道を私は目にしたことがあるわけでございます。まさしくそのとおりで、軍人は、やはり今あるものの維持拡大という発想をする。

伊東秀子

1991-09-20 第121回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第3号

成瀬守重君 ちょっと話は変わりますけれども、一九八八年の九月二十七日にニューヨークの国連総会で、ソ連シェワルナゼ外相は、今日の地球規模の問題、とりわけ経済問題、環境問題への取り組みに関する緊急の決定を行うことができる国際的なメカニズム国連の枠内において設立することが必要である。

成瀬守重

1991-09-06 第121回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第2号

特にシェワルナゼ外相は、それまで環境には余り重点を置いてこなかったソ連の方針を百八十度転換しました。すなわち環境脅威が核と宇宙における脅威と同じような緊急性を高めていること、軍事手段を用いた安全保障という伝統的な考え方が既に過去のものとなってきていること、環境のカタストロフィーの前には、東西の対立の図式は意味を持たないことを指摘したのであります。

尾辻秀久

1991-08-30 第121回国会 衆議院 外務委員会 第2号

したがって、そういう意味で、シェワルナゼ外相がやめる、最近はヤコブレフ大統領補佐官がやめる、そして人事はすべて保守派の中から選んだという状況で、ずっと保守派寄りになったと思うのです。  しかし、このクーデターが起きる数カ月前からは、ゴルバチョフさんの姿勢はどちらかというと改革派の方に急速に向いてきたのではないかなと思うのです。

岡田利春

1991-04-26 第120回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第6号

ヤコブレフ大統領顧問やあるいはシェワルナゼ外相などと話し合いをしてまいりました。そのときに強く感じましたことは、やはりいろいろありますけれども、ゴルバチョフペレストロイカを成功させなければ日本との関係も進展はしない。シェワルナゼは、我々が敗れればその後に来る政権は軍服を着た力強い男とかあるいはそういうたぐいの人だということをはっきり言っておりました。  

神田厚

1991-04-02 第120回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

しかし、常任理事国の一国が拒否権を行使すれば、まあ簡単な例を挙げれば、シェワルナゼ外相がまだ在任中でございましたが、既に辞任していたとすれば十一月の武力行使容認決議案が通ったかどうかというのはいささか疑問な面もあるわけでございます。こうした常任理事国が切実な利害を感じるところで紛争が起こったときに本当に国連が機能し得るかというのはまことに疑問な面がある。

北岡伸一

1991-03-26 第120回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号

この関連で、日本側は、一九八九年五月にシェワルナゼ外相が述べた日米安全保障条約日ソ平和条約は両立するものであるとの考え方を評価する。  同会合ソ連側も以上の点につき共通理解を持っていることが確認され、第六回及び第七回の会合においてもこの共通理解に沿ってさらに協議が継続されております。  以上が現在までの日ソ平和条約作業グループの総括的御報告であります。

兵藤長雄

1991-03-15 第120回国会 衆議院 外務委員会 第8号

しかし、その会合においてシェワルナゼ外相崔外相話し合いをされて、うんと早まった機会韓ソ国交を開くことがその日に話し合われたということを私は直接聞いておりますから、先生には御理解をいただけないかもわかりませんが、日本が端緒を開いたのではなしに、日本がその速度を速めたというふうに御理解をいただきたいと思います。

中山太郎

1991-03-13 第120回国会 衆議院 外務委員会 第7号

ソ連の状態が非常に、ペレストロイカを振りかざしてゴルバチョフ民主化をやっておったときと、シェワルナゼ外相がやめて、そしてバルト三国が独立を目指してどんどん国民投票のような世論調査もやっておる、そして三月十七日に一斉に連邦の形を問う投票を行いながら、実はゴルバチョフ政権の評価がこれは問われるわけでございます。  

永末英一

1991-03-11 第120回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

やや具体的な質問になりますが、一九九〇年にウラジオストク国際会議というのが開かれて、そこでソ連シェワルナゼ外相基調演説をして、全アジア諸国外相会議の開催を提唱したというふうにお聞きをしております。その際に、その国際会議のときに、アメリカの代表が同時に分科会報告をいたしまして、環日本海圏構想の促進を提唱したというふうに聞いておるわけでございます。

筒井信隆

1991-03-11 第120回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

同時に、その際に、シェワルナゼ外相が全アジア諸国外相会議、これを一九九三年にウラジオストクで開催するということを提唱したようでございまして、もちろん全アジアですから、環日本海圏よりもっと広い範囲のものでございますが、この提唱についての外務大臣の見解をお聞きしたいと思います。

筒井信隆

1991-02-21 第120回国会 衆議院 予算委員会 第15号

したがって、日本の外務省としてはその辺のシェワルナゼ外相辞職以降のここの一カ月間のソ連の動きというようなものを用心深くこれは分析をしておかぬといかぬなと。これも差し支えある範囲と差し支えない範囲があるから、すべての感想を言うわけにもいかぬと思いますけれども、そこらの問題を外相としてはどんなぐあいに全体の情勢把握、大ざっぱに見てどんな把握をしているのですか。

武藤山治