2020-05-13 第201回国会 衆議院 外務委員会 第6号
○茂木国務大臣 まず、NPRについてでありますが、委員も御案内のとおり、東西冷戦終えんの五年後、一九九四年に米国でクリントン大統領が同政権としての「核態勢の見直し」、NPR、ニュークリア・ポスチャー・レビュー、これを発出して以来、各政権ごとにNPRを発出してきたところであります。
○茂木国務大臣 まず、NPRについてでありますが、委員も御案内のとおり、東西冷戦終えんの五年後、一九九四年に米国でクリントン大統領が同政権としての「核態勢の見直し」、NPR、ニュークリア・ポスチャー・レビュー、これを発出して以来、各政権ごとにNPRを発出してきたところであります。
ちょっとまた過去の話をして恐縮ですが、一九九〇年代、パパ・ブッシュからクリントン大統領にかわるようなタイミングのアメリカで、チャイルドアビューズという表現がありました。それとプロライフ、プロチョイスという表現があって、この二つが結構アメリカの政治のテーマであったんですけれども。 前者のチャイルドアビューズがまさしく児童、幼児虐待であり、それが月日を経て、二〇一九年の日本に、今まさしく。
橋本総理はそのときに、沖縄県が要求した基地の整理縮小、そして全基地返還計画をもって揺さぶりを掛けられて、そのことに対して十一施設の返還をクリントン大統領と交渉して勝ち取ってきています。その後の内閣は、その橋本さんが残した約束すら、財産すら実現できないまま現在に至っています。
それは、アメリカの財政赤字を黒字にした米国のクリントン大統領のときの財政健全化策であります。これを見ますと、クリントン大統領は、富裕層と大企業に増税をして税収を確保して、それをしっかり実はアメリカのさまざまなものに投資をして経済を成長させ、そして財政の健全化もしていきました。私は、このクリントンに学ばないと、とても無理だと思っております。 したがって、日本の財政はどんどん悪化する一方であります。
しかし、全面返還する上においては、当時の橋本内閣とクリントン大統領、またモンデール大使との間で合意したものは、それは県内に移設をしていくということでございました。その後、小渕内閣において、辺野古に移設をするということが決定をしたわけでございます。
当時、クラスノヤルスク合意ができたのは、いろいろな要因がありますけれども、しかし、やはり、当時のドイツのコール首相がエリツィンに、経済協力で影響力があったものですから、橋本とちゃんと領土交渉をやって平和条約を結べ、クリントン大統領も後押ししてくれた、そういう天の時、地の利、人の和があったんですよ。誰が考えてもわかるんですよ。今、天の時、地の利、人の和がありますか。ないんですよ。
こんな戦略的な要衝の地を米軍、米国が返すはずがないじゃないかと言われるような中で、まさに、クリントン大統領との初の首脳会談で、沖縄県民の思いは普天間返還だということを事前の発言要領になかったにもかかわらずテーブルに出して、クリントン大統領も三日後にペリー国防長官に指示をされ、ペリーさんも、沖縄の従軍経験があったものですから沖縄の実情も十分理解をされて、モンデール大使も副大統領経験者でした。
話は少しかわりますけれども、今アメリカで話題の小説「大統領失踪」、これはクリントン大統領とアメリカの著名作家の二人が書いた小説でありますが、この小説の中で、アメリカの軍事、電力、金融、交通運輸、水道など全てのシステムがサイバー攻撃を受けた想定になっておりまして、小説とはいえ、かなり現実味を帯びているのかなという思いで、ぱらぱらと読ませていただきました。
○本田参考人 先ほど、アメリカのクリントン大統領夫人の話が出て、私も興味深くその話は聞いているんですけれども、クリントン大統領は日本の医師の過重な労働環境を聞いて、本当、聖職者意識さながらで働いている、すばらしいと言った後に、クレージーだと言ったというんですね。 やはり、医療関係者がもっとこういうことを関心を持って声を上げていかなければ。医療制度が悪ければ患者さんを助けられないわけでしょう。
橋本龍太郎総理は、普天間返還を最初のサンタモニカでのクリントン大統領との会談で議題に上げました。学童疎開での悲劇である対馬丸への思いも記憶に残っております。 小渕恵三総理は、事務方が大反対する中、当時、日本国内で八つの、サミットの首脳会談、候補地がありましたが、最も可能性が低いと言われていた沖縄をメーン会場に決定をしました。
○国務大臣(河野太郎君) 二〇〇〇年七月にクリントン大統領が九州・沖縄サミットのために来日されたときには嘉手納の飛行場を、昨年の五月、オバマ大統領が広島を訪問した際には岩国の飛行場を利用した実績がございます。 今回のトランプ大統領の来日に当たりましては、到着後の大統領の日程など諸般の事情を総合的に勘案し、日米で協議の上、関係省庁間で必要な調整を行って横田の飛行場を利用することといたしました。
そのとき、当時の韓国の金泳三大統領が、おびただしい犠牲が出るとクリントン大統領を説得いたしました。 金泳三元大統領の回顧録にはこうあります。電話してきたクリントン大統領を厳しく追及した、自分が大統領でいる限り韓半島を戦場にすることは絶対にだめだ、北は即時、休戦ラインから南の主要都市を一斉に砲撃するだろう、こう書いてあります。 一方のクリントン氏の回想録を読むとこう書いてあります。
○横路委員 また後でお尋ねしますが、実は、皆さんも御存じですけれども、一九九四年の二月、クリントン・細川会談というのが行われて、そのときにクリントン大統領から、北朝鮮は本気で核を開発しようとしている、何としても阻止をしなければいけないということで、日本と協力したいという話がありまして、政府は、当時の石原信雄官房副長官を中心に、各省庁で集まって対応を検討したんですね。
九三年にクリントン大統領のもとでオスロ合意がなされたわけでございますが、しかし、二〇〇〇年にキャンプ・デービッドで合意をしようとしたところ、なかなかこれは、最後の段階においては合意には至らなかったわけでございます。
トランプ大統領を選出した、全投票者のうち四六%が彼に投票したわけでありますけれども、三〇%ぐらいが非常に固いトランプ思想の共鳴者でありますが、残りの一六%というのは、ヒラリー・クリントン大統領候補に対する反感とかワシントンに対する反感とか、そういったものからアンチテーゼとしてトランプ大統領に投票をした。
一九九三年、当時のビル・クリントン大統領は、NAFTAで五年間で百万の雇用を生み出すと約束しました。しかし、実際にはNAFTAは七十万の雇用を奪いました。 さて、引用はこれで終わります。 総理は、このTPPで我が国内に何万の、あるいは何十万の新しい雇用を生み出すと国民にお約束をされるのでしょうか。最後の質問にさせていただきます。
そこで、クリントン大統領から、あっ、クリントン候補からはそういう要請がありますのでお目にかかるわけでありますが、同時に、トランプ陣営側にも、クリントン大統領からこういう要望があったのでお目にかかりますよということは伝えているわけでございます。
アメリカの、オバマさんはいいですよ、オバマ大統領はいいですが、トランプ大統領候補もクリントン大統領候補もTPPに反対ですよ。 なぜ、選挙を前にして両方の大統領候補が反対しているかといったら、これはTPP交渉で日本がとり過ぎたからですよ。とり過ぎるというこれは実力ですよ、日本の。日本の外交の実力ですよ。それで、甘利前大臣がこれをまとめてきた。
それで、大統領選挙の後、報道されて、予想として高いクリントン大統領が仮に誕生したとしたときに、クリントン大統領の広島、長崎訪問に一番インパクトを与えられるメッセージは誰が発することができるかというと、きっと、そのときのタイミングでいうとオバマ前大統領なんだと思うんです。
私の方の立場としては、先方から、会って話をしたいというお話がございましたから、私は、クリントン候補ということに限って行ったわけではないんですが、先方から申し出があったのはクリントン候補だけだったものでございますから、時間がありましたので、クリントン大統領候補とお目にかかり、お話をさせていただいた。
クリントン大統領候補の発言もそうであるし、またサンダース民主党候補の発言もそうであるし、トランプ候補の発言もそうである。そういうことを見るにつけ、アメリカの政治が変わろうとしているんじゃないかという危惧を思うわけであります。
実のところ、この問題を政府部内で持ち出したときに、外務省からは、こんな戦略的な要衝の地を返すはずがないじゃないですか、クリントン大統領との初めての首脳会談でこんな問題を持ち出しただけで、今度総理になった橋本という男は安全保障のアの字もわからないばかな総理だと思いますよ、そこまで言われて抵抗されました。 しかし、当時、沖縄の思いは、知事にお聞きしましたところ、二つあると。
グリーンスパンFRB議長が国会で名演説をして、クリントン大統領が株で投資してはどうだと言ったことを押しのけて今も一円も投資していないんですが、塩崎大臣、その理由を端的に教えてください。