2021-02-12 第204回国会 衆議院 予算委員会 第9号
私は、自衛隊に関しては、カンボジアPKOで、自衛隊を迎えて、送ったこともあるし、世界中取材しましたけれども、自衛隊の能力というのは、町をつくる能力があるわけです。武力行使だけじゃないんです。町をつくる、コミュニティーをつくれるんです。医療施設も持っているんです。 厚生労働省、役人の方に。自衛隊で、医務官とか看護官とか、注射器を打ってもいい、注射を、そういう人の人数はどのぐらいいますか。
私は、自衛隊に関しては、カンボジアPKOで、自衛隊を迎えて、送ったこともあるし、世界中取材しましたけれども、自衛隊の能力というのは、町をつくる能力があるわけです。武力行使だけじゃないんです。町をつくる、コミュニティーをつくれるんです。医療施設も持っているんです。 厚生労働省、役人の方に。自衛隊で、医務官とか看護官とか、注射器を打ってもいい、注射を、そういう人の人数はどのぐらいいますか。
フランスとの事例でございますけれども、自衛隊が実施してきたPKOミッションにフランスも参加していたことを確認している事例は、現時点では、カンボジアPKO、ハイチPKOの二件となっておるところでございます。 このほか、フランスが自衛隊の国際緊急援助活動と同様の活動を行っていたことを確認しているのは、現時点で、平成二十六年の西アフリカにおけるエボラ出血熱流行への対応の一件でございます。
今日、私、最近、明石康さんからいただいたこの本でございますけれども、(資料提示)「カンボジアPKO日記」というのをいただきました。カンボジアというのは、日本外交あるいは国連外交等にとってもサクセスストーリーであります。一方で、ボランティアの中田厚仁さんが亡くなった、高田警部補が亡くなった、それから、小野寺大臣の後輩になるのかな、堀本崇さんという、私がカンボジアに紹介したんですが、お坊さんになった。
日本も九一年、二年になってカンボジアPKOでようやく出せるようになったわけですけれども、日本と中国、同じようなスタートラインに立っていたわけですけれども、中国は二〇〇〇年を超えてから急激にPKOに派遣する兵員を増やします。今現在二千人に近い、あるいは超えておるかもしれませんね。韓国は数百人。
○国務大臣(中谷元君) これは、事例は三件ございまして、最初の国連のPKOの派遣であるカンボジアPKO、UNTACで発生をしたものでございます。いずれの事案も、隊員が職務に従事する中で車両を運転している最中に発生した交通事故でございまして、国際協力のために現地に派遣された隊員がこのような事故を起こしたことは大変残念なことでございます。それ以外はございません。
○松田公太君 今、安倍総理からカンボジアPKOの話等ございましたが、私も、PKOの協力法、ここに関してはもっと徹底的に拡充してもいいんじゃないかというふうに思っているんです。でも、今回の法案は、まあ説明するまでもありませんが、そこが主ではございませんよね。
一九九二年のカンボジアPKO派遣以来、これまでずっと現場に送られてきた自衛隊員だけが抱え込んできた矛盾であります。 御列席の与野党の先生方におかれましては、ぜひ、安保法制以前のそもそも論をやっていただきたく、次の言葉で私の意見陳述を締めさせていただきます。自衛隊の根本的な法的地位を国民に問うことなしに、自衛隊を海外に送ってはなりません。 ありがとうございました。(拍手)
そして、湾岸戦争やカンボジアPKOのころに話していましたけれども、世界の平和に貢献をする、そのためには日本も犠牲を伴う覚悟をしないといけない、もっと言えば、血を流す覚悟を持たないといけない、それを命じる立場にある政治家がその覚悟を持たないといけないと。ここはまさに、父が二十年前、当時の左派政党の皆さんと、国会や、例えば「朝まで生テレビ!」みたいなところで激論をしていたところであります。
湾岸戦争後のペルシャ湾の機雷掃海の実施、カンボジアPKOへの参加、日米ガイドラインの改定と関連法律の整備、九・一一テロを受けたインド洋での給油活動の実施、有事法制の整備、イラクにおける人道復興支援活動など、枚挙にいとまがありません。 今日、我が国を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増しています。
湾岸戦争やカンボジアPKOのころに話していましたけれども、世界の平和に貢献するには、やはり日本も犠牲を伴う覚悟を持たないといけない、もっと言えば、血を流す、こういう覚悟も持たないといけない、それを命じる立場にある政治家がその覚悟を持つべきであると。これは、当時の左派政党の皆さんと国会やあるいは「朝まで生テレビ!」みたいなところで激論を交わしていたのを、大変強い印象を持っています。
総理、私は、外務省職員としてカンボジアPKOに関与し、自衛官としてシリア・ゴラン高原PKOの初代隊長、そしてイラク派遣先遣隊長を務めました。そこには、一国平和主義では平和も国民も守れない厳しい現実がありました。一国平和主義から脱却をして、積極的平和主義に基づいて国家国民を守るためには、グレーゾーン対処も駆け付け警護も限定的な集団的自衛権の行使も必要不可欠です。
一方で、私は、まさに一九九二年から三年にかけてのカンボジアPKOにおいて、中田厚仁さんと同僚として活動を行っておりました。その中で、総理がこの中田さんの例を挙げたことについては、現場の状況に照らし合わせると、私は違和感を感じることもございます。
今回の増額は、主に中国を意識した南西諸島防衛のための予算増額としていると思いますけれども、自衛隊全体に対する任務は、カンボジアPKO派遣以来、国際貢献を始め東日本大震災への十万人規模の派遣など、国内外の情勢に応じて、自衛官でなければできない任務が大きく増えるばかりだと思います。 しかしながら、防衛予算はずっと減額が続いてきましたし、また、任務遂行の基本となる人員も増員されていなかったと。
○国務大臣(菅義偉君) カンボジアPKOへの要員派遣の評価、検証及びその後の自衛隊の海外派遣への活用についてのお尋ねがありました。 我が国は、カンボジアPKOに対し、自衛隊から施設部隊及び停戦監視要員を派遣し、自衛隊の持つ高い施設整備能力と、厳しい自然環境下で業務遂行能力を発揮しつつ、カンボジアの平和と国家再建の基礎づくりに大きく貢献をし、国内外の高い評価を得ておるところであります。
三点目については、代表的なものとしての湾岸戦争時の議論を経て、カンボジアPKO派遣、そしてイラク戦争時におけるサマワへの特措法に基づく自衛隊派遣です。 前者は、紛争終了後に再燃しないようにとの意図を持って当たる平和的行為として、後者は、あくまで後方からの人道的支援として位置づけられ、正当なものとされてきました。
私ども公明党は、このPKO法の中にPKO五原則を盛り込むという、法の中に合意、同意、中立、そして必要最小限度の武器を持つ、そして紛争が起こった場合には撤退、撤収する、こういう五原則をつくって、カンボジアPKOから始まって今の南スーダンのPKOに至るまで、多くの歴史を築いてきたわけであります。
カンボジアPKOというものがつくられまして、一九九二年十二月三十一日の大みそかに、当時のガリ事務総長から明石さんは国連カンボジアPKOの事務総長特別代表というものを突然打診をされたそうでございます。結論として彼は引き受けるわけですが、与えられた仕事にやりがいを感じるタイプなのだというふうに、本も書いてございますけれども、おっしゃっておりました。私はその明石さんの気持ちに大変共感をいたしました。
外務大臣の過去のお仕事を含めて、大変にPKOに対する思い入れの強いそういう御発言を読んで、PKOにはそれぞれの歴史があって、私どもにも深いそういう思いがございますけれども、高村大臣、当時外務副大臣をされて、大臣を経験された後、副大臣をされていたんですかね、そういうことがあったように記憶しておりますが、そういうときのカンボジアPKOに対するさまざまな御苦労を語っていただいて、非常に興味深かったわけです
先ほど私の方から申し上げたように、そういった推移というのは、かつてのカンボジアPKOとかあるいは東ティモールPKO等に参加をしたころに比べてぐっと少ない数字に今なっている。あるいはまた、各国と比べても、日本のPKO参加というのは、海外におけるそういう自衛隊の活動という格好での国際平和協力活動というものは非常に貧弱になっているという状況がある。
自衛隊を派遣したカンボジアPKO以降、イラク特措法のサマーワ以降、この中身についての冷静な検証を見ていく必要があると思います。
私はカンボジアPKOを何度も取材しました。カンボジアPKOは、自然権的な正当防衛による武器使用を第二十四条で掲げておりました。指揮官を苦しめました。隊員を苦しめました。私は、先ほど申しましたように、自衛隊を含めた能力を持って国際協力をすることにやぶさかではない、日本はやるべきだ、けれどもああいう形ではやるべきではないという主張をしました。