2017-11-20 第195回国会 衆議院 本会議 第5号
格差の拡大と自己責任に名をかりたエゴイズムが、社会を分断して、ヘイトスピーチという深刻な問題まで生んでいます。 競争だけでは、社会は回らず、経済も発展しません。公正で公平なルールがあり、そのルールが守られている中で競争する。だからこそ、社会は安定し、発展します。誰がその公平公正なルールをつくり、守らせるのか。まさに政治の役割です。 誰にでも、自分の力だけではどうにもならないことが必ずあります。
格差の拡大と自己責任に名をかりたエゴイズムが、社会を分断して、ヘイトスピーチという深刻な問題まで生んでいます。 競争だけでは、社会は回らず、経済も発展しません。公正で公平なルールがあり、そのルールが守られている中で競争する。だからこそ、社会は安定し、発展します。誰がその公平公正なルールをつくり、守らせるのか。まさに政治の役割です。 誰にでも、自分の力だけではどうにもならないことが必ずあります。
これは、利己主義、エゴイズムとも、全体主義とも異なり、みずから生き方を選択し、その行動の責任を引き受ける、そのような自律した人格を持つ個人から成る公正な社会のあり方を指し示しております。 基本的人権とは、このような個人にとって不可欠な、そして公正な社会の維持発展にとって重要な権利、自由の総体です。
この二つの論説の違いの根底にあるのは、はっきり申しますけれども、近世というものを支配してきた白人のエゴイズムといいましょうか、人種差別による非常に大きな偏見だと思います。 日本人が割と好きなトインビーは、日本の近代化というのは世界の歴史の中の奇跡だと、ばかなことを言った。日本人はこれを喜んだ。
私は、これはちょっとオーバーかもしれませんけれども、アメリカ中心、もっと言えばアメリカのエゴイズム的な、そうした活動によって世界の金融経済が相当攪乱をされたという残念な状況がございます。
もう一つは、人間の本性の話をされていますが、これは法哲学あるいは倫理学の中でも古来より、人間の本性としては博愛の精神が人間にはある、と同時にエゴイズムの精神がある、この二つがあるということはずっと長い間議論されていることであります。そのどちらか一方を取って普遍的に人間の本当の本性だと言うのは非常に難しいことではないかというような、このようなことを私は考えております。 以上です。
戦後、特に言われた個人の尊厳という思想は、民主主義の根幹をなす考えでありますが、このことは同時に、自分以外の他人の尊厳をも大切にするという考え方も含むものであり、決して自分だけのエゴイズムを主張するものではないのであります。
大企業が他のアジア諸国と比較して質の高い労働力、整備されたインフラの下で企業経営を行いながら、公的負担についてアジア並みを主張するのは、国民生活を配慮しないエゴイズムである。 仮に法人所得課税の税率引き下げを実施する場合には、これまで法人に対して行われてきた多様な優遇措置の廃止」、例えばここにも書いてありますけれども、「課税ベースの拡大による増収分の範囲内で実施すべきである。
また、もう一つの問題は、このように教育と仕事と家族に互いに次へ、次へ、次へとアウトプットを注ぎ込む関係を駆動していたエンジンというのが、すべて自分と自分の家族さえ良ければというようなエゴイズムがエンジンであったということにおいても大変問題が大きかったというふうに思っております。
エゴイズム、個人主義というのがどんどんどんどん広がっていった、若しくはその深層の中に入っていったということと、それからこの社員の構成ですよね、正規社員が減っていったということのどちらが大きな原因なのか。
今、日本では、個人主義や合理主義、自由、権利などというものが本来の理念と懸け離れ、エゴイズムに陥っているケースがよく見られます。それは、給食のときにいただきますと手を合わすことさえ忌み嫌われる、必要以上に宗教をタブー視した教育にも原因があると思います。宗教に余りにも無知、無関心な層が増えてしまい、それが社会の真っ当な価値判断を誤らせ、荒廃の原因となっています。
そのときにも痛感しましたのは、非常に、大人あるいは親のエゴ、あるいはそれが反映した子供たちのエゴイズム、人に迷惑をかけなければよい、給食費を払わなくてもとめられないんだ、そういうようなことがかなり蔓延しているのではないかと感じます。
人間のエゴイズムで勝手に飼い、そして好きなように捨ててしまう、まるで物のように捨ててしまう、そういう人たちが、許しがたい行為だと思っております。とりわけ、最近目立ちますのが、一緒に暮らし、そのあげく病気になった犬、猫をいとも簡単に捨ててしまう人たちでございます。 ある友人といいますか、私がやっておりますセミナーで知り合った方からお手紙をいただきました。
各科の医師に任せれば、どうしてもそれぞれのエゴイズムが絡むからです。私は、だれよりも中立無私で判断を下せる立場に置かれているんですがと。つまり、突き詰めて考えれば、どの命に救いの手を差し伸べ、どの命を見限るかと、常にぎりぎりの判断を迫られているわけだと。最新のICUをつくったばかりに背負ったこれは苦痛である、苦悩であるということが書かれてあります。
この結果を、地域エゴイズムなどという認識不足の発言が与党の国会議員の口から早くも出ていますが、とんでもないことです。この結果こそ、三月末と期限を定めての政府の地元説得工作が無理なことを証明したと言えます。 額賀長官、まず、岩国住民投票の結果をどう受け止めているのか、端的に伺いたい。
あくまでも自治体に配分、配付せず、国の手の中で繰り越そうというのは、単に二〇〇六年度交付税への政府の財政責任を軽くしようというエゴイズムから出た案と言うほかありません。それでなくても、小泉内閣の下で交付税は減らされ続けてきました。これを出口ベースでいえば、二〇〇〇年度の二十一兆四千億円から、二〇〇五年度は五兆五千億円、二五%も減ったのです。
それからもう一つの方は、中国人の方は日本とは違いまして、日本人の方は団体精神だから、中国人の方はどっちみちエゴイズムと。中国人はどこへ行っても血縁と地縁がなければ一緒に会社作らないし、一緒にも仕事しないし。中国人人間同士の方は、AとBとCの三人一緒になれば大体は砂になっちゃうと、ばらばらになると。中国人からいうと、日本人の方は三人そろったら絶対力になると。
特に、まあ最近の傾向でありますけれども、我々若い世代の人間はなかなか感謝という言葉から遠ざかって、そして個人主義又は突き詰めればエゴイズム、そういったことについて、そういった方向に走りがちでありますので、こういった平和、大きな観点から、是非、私自身もこれ当然努力をしていくことでありますけれども、政府としてもこの啓蒙啓発、こういったことを行っていただきたい、そのように要望をさしていただきたいと思います
法務省、余りにもエゴイズムだよ、それ。あなたのところの中にたまたま検察庁というのが一緒におるものだから、横田さんも検事だし、樋渡さんも検事だし、大林さんも検事だし、みんな検事ばっかなものだから。そこに、身内がかわいいものだから、そう言っておるだけじゃないですか、そんなのは。これはJRならJRで、大臣、それは当然やらないかぬでしょう。いわゆる国鉄の業務、有罪か無罪かは裁判ですよ、これ。
今の御質問ですけれども、戦後の中で、つまり滅私奉公に対抗するものとして「私」が非常に強調されたんですが、私はやはり、先生おっしゃるように、その「私」というものが、エゴイズム、利己主義の方に理解されてきたという嫌いが非常に高い、それがさまざまな腐敗とか道徳的退廃につながったと。
当然、日本の憲法の主権と自由と平和を守るべきだと考えておりますが、中でも一番重要なのが、やはり自由を守るというために憲法があるわけでございまして、前にも申し上げましたけれども、日本の憲法は個人主義ででき上がっていて、それを貫くことによって個人個人の自由が守られ、しかしながらそれはエゴイズムでもなく全体主義でもないという、この部分をやはり未来に向かっての憲法にも生かしていくべきだ、そんなことをつくづく
そのときどういうことを考えなきゃならないかといいますと、これは、先ほどからの御議論にありますように、私的整理を後押ししていこうというものでありますけれども、そういう協力が得られない、あるいは、あえてこういう言葉を使えばよくないかもしれませんが、自分のエゴイズムを押し通すようなところが仮に出てきたとしますと、そのときはやはり法的整理ということも考えなきゃならないんだろうと思います。