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6件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1956-07-21 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第16号

それからウズベック州のアンデッシャンのチューモア収容所保養所——その当時身体が痛めつけられましたので、そこで保養しまして、翌年の四月にやはりウズベック州のコカンドー収容所に移りました。やはり重労働をいたしまして、昭和二十四年にハバロフスク地区に参りました。ここでは大体私は年令も相当ふえておりましたので、重労働はいたしませんでした。

加茂熾

1950-04-12 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第24号

それであるときソ軍の偉いお方——偉いお方といつても、ピテゴロスキー大佐というウズベック管下における内務省の政治部長をやつておられる方が收容所生活を見に来られた、この收容所生活についてのいろいろな報告がなされたのです。民主運動も非常によくできているし、またあらゆる方面に生殖全く上つている、いろいろと話があつたわけです。

相原和光

1950-04-12 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第24号

相原証人 私がおりましたペグワードにおいてはウズベック人がおりました。それでウスペック人自体宗教マホメット教です。そのマホメット教を信じておる人は会堂もありますし、僧侶の人たちもおりますし、また今度タシケント、あるいはほかの大きな町に来たときにはハリストス、いわゆる正教の教会もありまして、礼拜も行われております。

相原和光

1950-04-06 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第20号

ウズベックのベグワードというのは、タシケントから約八十キロないし九十キロの地点であります。それで二百八十八収容所の第二分所という所に着いたのであります。その第二分所には、その当時まだドイツ人が若干おりました。その分所はわれわれが来たためにドイツ人移動をいたしました。そうしてそのあいた兵舎にわれわれは収容されたのであります。

宇野喬夫

1950-03-24 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

証人小島清君) 入ソ後二十年の十月、これはウズベックタシケント第一收容所であります。それから二十一年の四月タシケントの第十收容所、コルホーズの方であります。それから二十一年の九月に第一收容所に帰りました。それから二十二年の八月タシケントの第五收容所に転属しました。

小島清

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