1950-04-30 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第29号
第二枚目の最初の三行目「一、昭和廿三年五月ウオロシロフ地区の收容所に宛て、徳田書記長の名て、万国赤十字社発行の往復はがきの返信紙に「お元気にてソ同盟強化のため遇進され、りつぱな斗士として帰国され、反動に対して共に斗う日の来ることをお待ちいたしております」旨の片仮名の通信が寄せられたことは亀沢富男君の証言によつて明かとなつたところであります。」これを削除する。この削除の理由を説明いたします。
第二枚目の最初の三行目「一、昭和廿三年五月ウオロシロフ地区の收容所に宛て、徳田書記長の名て、万国赤十字社発行の往復はがきの返信紙に「お元気にてソ同盟強化のため遇進され、りつぱな斗士として帰国され、反動に対して共に斗う日の来ることをお待ちいたしております」旨の片仮名の通信が寄せられたことは亀沢富男君の証言によつて明かとなつたところであります。」これを削除する。この削除の理由を説明いたします。
昭和二十三年五月、ウオロシロフ地区の収容者にあて、徳田書記長の名で、万国赤十字社発行の往復はがきの返信紙に、お元気にてソ同盟の強化のため邁進され、りつばな闘士として帰国され、反動に対してともに闘う日の来ることをお待ちいたしております旨の、かたかなの通信が寄せられたことは、亀沢冨男君の証言によつてほぼ明らかとなつたところであります。
○鍛冶委員長 この点に関しては参議院でもあなたはお認めになつていたようですが、たとえばあそこでやられた証言の中で、昭和二十三年五月ごろウオロシロフ地区などで、ソ同盟強化のため邁進し、りつぱな同志として帰国し、反動に対してともに闘う日の来るのを待つている。
出席者 証 人 (カラカンダ地 区引揚者) 峯田 重吉君 証 人 (カラカンダ地 区引揚者) 宇野 喬夫君 証 人 (カラカンダ地 区引揚者) 小島 清君 証 人 (ウオロシロフ 地区
本村 公平君 篠田 弘作君 島田 末信君 田渕 光一君 塚原 俊郎君 永田 節君 西村 直己君 松本 善壽君 加藤 鐐造君 坂本 泰良君 稻葉 修君 小野 孝君 横田甚太郎君 小平 忠君 委員外の出席者 証 人 (ウオロシロフ 地区
末信君 田渕 光一君 塚原 俊郎君 西村 直己君 福井 勇君 福田 一君 加藤 鐐造君 坂本 泰良君 横田甚太郎君 岡田 春夫君 委員外の出席者 証 人 (ハバロフスク 地区引揚者) 吉田 幸平君 証 人 (ウオロシロフ 地区
次に、このいわゆる徳田要請に直接関連して明らかにされました点を申上げますれば、一九四八年五月一日頃、万国赤十字社スタンプ附往復葉書をウオロシロフ地区第五百六十三労働大隊附エルセノフ下士官が亀澤富男君の許へ持つて来て、その葉書を掲示板に貼つて呉れと依頼し、約一週間に亘つて掲示され、その内容は民主グループ宛日本共産党徳田書記長よりの返信で、「お手紙有難う。
四項「去る三月十八日龜澤富男証人が証言したソ連ウオロシロフ地区内各收容所に回覧されたる徳田書記長よりの收容所宛書信は、徳田球一証人もこれを認めたのであるが、その内容は共産主義信奉者にならないものの帰国を欲しない意味と解され、且又」こう続けておるのですか。
要するにここに書いてあります意味は、ソ連ウオロシロフ地区内各收容所を回覧されたる徳島書記長よりの宛名の書いてあつた書信を示したのであつて、單なる書信というのと、これが全然ないところの書信とは非常に違います。
○北條秀一君 「四、去る三月十八日龜澤富男証人が証言したソ連ウオロシロフ地区内各收容所に回覧されたる徳田書記よりの收容所宛書信は、徳田球一証人もこれを認めたのであるが、」そこで「その内容は」先程私が言いましたところに続くわけです。(「進行」と呼ぶ者あり)
○委員長(岡元義人君) 尚重ねて亀澤証人にお尋ねいたしますが、一九四八年の五月四日、ウオロシロフ地区レエチホフカにおいてキイシイローフ大尉官舎において、あなたが徳田書記長より言われて来ているということを聞かされ、尚それをばあなたが見られたその件に関しまして、詳細に証言を求めたいと思います。
○穗積眞六郎君 只今の、先程菅証人が述べられたと同じようなことをウオロシロフ地区でも聞いたという言葉がありましたが、その内容を簡單に伺いたいと思います。
○委員長(岡元義人君) 尚続いて証人にお尋ねいたしますが、ウオロシロフ地区レエチホフカ收容所内において徳田書記長より参りました往復葉書について、知つておられる範囲において詳細に述べて頂きます。
それは「ウオロシロフ地区五百七十労働大隊から二十三年九月突然スーチヤン十三地区第十五分所に送られ、毎日のように嚴重な取調べが行われたが、前からいた人々がわれわれに「共産党の野坂參三氏が日本は革命が目前に迫つており、この大切な時期に反動分子が帰ることは好ましくないから帰還を許さいようにソ連へ申し入れた」」と語られておるのでありますが、会田正雄さんが残された事情に、何かこうした問題が関連いたしておりますかどうか
先ずウオロシロフ地区におけるところの状態についてお伺いしますが、先ず第一点は、五百七十一労働大隊の移動径路と赤軍労働大隊の性格、一般ラーゲるとの差違について分りますか。
それで最後にはいわゆる中央から、いわゆるモスクワから担当官が参りまして、そうしてその担当官が更に訊問いたしまして、その結果帰還人員というものが本部の方、いわゆる中央本部の方で決定されるものでありまして、一カラカンダ、一アルマアタ、一ウオロシロフ地区の收容所の長官には、私ども中央から決定された抑留者の帰還人員をとやかくすることはできないようになつているということを、私はソ連の將校から聞いております。