2020-01-17 第200回国会 衆議院 安全保障委員会 第9号
それから、私の原体験として、二〇〇三年のイラク攻撃のときに、要は、大量破壊兵器があるんだ、フセインが大量破壊兵器を開発しているんだ、明確な証拠があるんだということで開戦に踏み切って、そのときには、小泉総理は全面的に支援をするということを言ったわけです、それを前提に。国会でも何度も何度もそのことを答弁された。しかし、戦争が終わってみたら、実際問題、大量破壊兵器は発見されなかった。
それから、私の原体験として、二〇〇三年のイラク攻撃のときに、要は、大量破壊兵器があるんだ、フセインが大量破壊兵器を開発しているんだ、明確な証拠があるんだということで開戦に踏み切って、そのときには、小泉総理は全面的に支援をするということを言ったわけです、それを前提に。国会でも何度も何度もそのことを答弁された。しかし、戦争が終わってみたら、実際問題、大量破壊兵器は発見されなかった。
二〇一五年の安保法の審議の際、イラク戦争で起きた国際法違反である米軍による民間人の虐殺について、この先、米軍が民間人の殺りくを行った際にはそれを止めるように進言できますか、私がそう総理にお尋ねしたら、総理は、なぜ米国がイラク攻撃をしたかといえば、当時のフセイン政権が大量破壊兵器を保有していないという証明する機会を与えられたにもかかわらず、それを実施しなかったと、フセインが大量破壊兵器がないと証明責任果
○植松参考人 まず、例のイラク攻撃とかそういったものが同盟国からもたらされたときに、我が国として独自にどう検証するのか。非常に難しいというか微妙な問題だと思います。 一つは、独自の情報なり見方というものがあれば、それはどうなのかということができると思いますが、なかなかその手だてがないと、実際上はなかなか困難な現実的な問題であろうと思います。
先ほどのイラクの問題でいえば、結局、同盟国アメリカがイラク攻撃をする、日本としては、それに対して初めから反対することはできないという状況に置かれておりますので、そういった政治的な志向、方向性によって情報がゆがめられないように、ある程度情報と政治の間に距離感を設けておくというのが重要かというふうに思います。
北朝鮮の核・ミサイル開発の背景は、二〇〇三年の米国による一方的なイラク攻撃があるわけで、だから、核、ミサイル、これを放棄させる道筋というのは、一つは米朝の相互不可侵条約締結と国交の正常化、二つには関係五か国による経済援助と核、ミサイルの放棄、これを一体で実現することだろうと思うんです。
例えば、一番最近のイラク攻撃、二〇〇三年、これも何で攻撃が始まったかというと、まさしくプリエンプティブアタックです。つまり、先制攻撃で戦争が始まっているわけです。ベトナム戦争だってそうです。これも、トンキン湾事件というのがあって、いわゆるでっち上げで戦争が始まっている。こういうようなリスクが非常に高いと私は思っております。
今回、米国のイラク攻撃を支持する理由として、私は二つ挙げました。一つは、大量破壊兵器廃棄の結果を出さなければいけないということ。こんなものはなかったですが。もう一つは、日米の同盟関係の重要性を認識すべきだということです。事実、我々は、東アジアに北朝鮮という脅威を抱えているわけです。
二〇〇一年、九・一一テロの翌日、当時のラムズフェルド国防長官は、イラク攻撃を開始する絶好の機会だ、こう述べました。その後、アメリカのNSCを中心とした、開戦のための情報集めが始まったのであります。 当時、CIAでイラク問題を担当したジョン・ピラー氏は、次のように述べております。 当時、ホワイトハウスでの会議にも出ていましたが、そこでひたすら求められるのは、イラクと戦争するための口実づくりです。
大統領としてイラク攻撃を決定した責任は私にあると、みずからの責任にも言及しました。ブッシュ大統領自身が情報の誤りと責任を認めているのであります。 当事者が認め、日本政府の元高官も認めているわけですから、情報が誤っていた、このようにはっきり認めるべきだと思います。大量破壊兵器が確認できなかった事実は厳粛に受けとめるという事後的な言いわけをするのではなくて、開戦当時の情報の誤りをきちんと認める。
なぜならば、結果的に間違うわけですが、ブレアさんは一生懸命ブッシュのイラク攻撃を支持するよう欧州各国を説いて回ったと。しかるに、小泉総理は何をやったかと。アジアで何もやっていないではないかということをその当時のエコノミストは書いておりました。必ずしもそのとおりにする必要はないと思いますけれども、やはり個人の関係に頼ってしまうとなかなか底上げができないという実態があると思います。
次に、二〇〇五年十二月十四日、当時のアメリカ・ブッシュ大統領は、イラクでの大量破壊兵器についての機密情報の大半は結果的に間違っていたと認め、それを受けて、当時の麻生外務大臣は、イラク攻撃そのものが間違っていたとブッシュ大統領が認めたわけではなく、大量破壊兵器を持っていたという米政府が収集した情報が間違っていたと発言をされました。
フランス政府も、イラク攻撃をめぐる国連安保理事会でのアメリカとの論戦を教訓に、フランスの考え方を世界に伝える必要があるとして、二〇〇六年、二十四時間チャンネル、フランス24を設けまして、英語でも二十四時間放送を行っています。さらに、中国も英語での海外発信力の強化を図っております。
少なくとも日本は、イラク戦争当時は、アメリカのイラク攻撃を支持しなければ北朝鮮の脅威は解決しないんだ、北朝鮮の問題があるからイラクの攻撃を支持しなきゃいけないんだという雰囲気が政府・与党に充満していたというふうに私は思っておりますが、結局アメリカは、イラク戦争の大義であった大量破壊兵器は結局ないし、その対テロという意味での戦費はもう九十六兆円を超えているわけですよね。
この中で、いわゆるイラク攻撃の作戦に関しての項目を弊党の中で調べておりますところ、この油の調達先が、今防衛省からは、商社を通じ個別の企業から買っているという話でありましたが、一体だれが決裁したかという欄について言えば、少し精査が必要なような気がいたしております。 公開されているDESCのレポートによれば、DESCがお譲りをしたというふうに読めるんです。
国際社会は、同国を再びテロの温床としないという強い意志のもと、OEF、不朽の自由作戦と名づけられたテロとの闘いを開始、対イラク攻撃に参加しなかったフランス、ドイツ、カナダを含め約四十カ国がこの作戦に参加しています。陸上での掃討作戦に加え、海上阻止活動により、テロリストや武器、資金源となる麻薬等が海上を通じて移動し、世界に拡散することを防止しています。
このポール・ハミルトンはイラク攻撃をしたんです。トマホークミサイルを発射したんです。それは内部の資料だけじゃ信用できないとおっしゃるんだったら、ここにCNNの当時のレポートもありますよ。もう逃げられないんですよ。 私は、委員長、なぜ六十年前にああいう戦争をやめられなかったのか、三年八カ月もやめられなかったか。
六十七万ガロンを三日間で消費をしたから、作戦がその後イラク攻撃に切りかわっているんですよ。だから、イラク攻撃には関係ないというこの議論は、どう考えてみても、さっきの意気込みはわかりますけれども、これはチェックしたことになっていないということを指摘しておきたいというふうに思います。 それから、ちょっとこれまでの整理をしていきたいというふうに思います。
発言通告の後、新聞を見ていると、これもちょっと事前には通告していないんですけれども、補給が六十七万ガロン、これを三日間で消費、これは、例のキティーホークとイラク攻撃との関係で石破大臣もここで説明されたことが改めてアメリカの国防総省から発表があった、このタイミングで声明があった、こういうことなんですね。
つまり、なぜ我が国はアメリカのイラク攻撃を支持したかについて調べてみたんですが、どうもそこには日米関係の中でのもしかしたら北朝鮮の影というのもあったんじゃないんだろうか。 久間大臣にちょっとお聞きしたいんですけれども、当時のイラク特措法の制定のときと北朝鮮との関係についてはどうお考えでしょうか。
安保理が機能しなかったと、これだけ大変な事態で我が国がこれだけ危機に瀕しているのに集団安全保障が機能してないと、そういうときは我が国はこれを自分でやるんだという文脈でこのイラク攻撃は始まったわけですよね。 これに対して、説明としては、やっぱり国連安保理決議の六七八、六八七、一四四一ですか、あれを一応理由として持ってきているわけですね。
が成立した直後でございましたけれども、当時私が自分の目で見ましたイラクの状況というのは、五十度近い本当に物すごい暑さの中で、飲む水がない、あるいは電力が途絶えてしまっているということで、病院に行っても十分な医療品もなく、ただおなかを壊したり高熱を出してベッドの上で横たわっている赤ちゃんをお母さんが扇子であおいであげるしかすべがない、何とか本当に助けてほしいという声を実際に聞いたときに、米英によるイラク攻撃
それは、米軍の対イラク攻撃に対する大義がないということを含めて、そしてその攻撃に対して私ども反対の立場をとっておりますが、それがそのまま今、先ほど申し上げましたように、イラクにおいて米軍の存在そのものがテロを助長している面、これを見落とすべきではないということでございます。 二点目は、先ほど私の方で、主権を離れてということで、国連における集団安全保障の話をいたしました。
ただ、そもそも、米国によるイラク攻撃のとき私たちが指摘したことも、当時、防衛庁長官として大変活躍をされていた中谷委員には想起していただきたいんです。中東、イラクの複雑な情勢を考えてみても、武力攻撃によってイラクがテロリストの巣窟になってしまうんじゃないか、かえって混乱を広げてしまうんじゃないかと私たち民主党は強く指摘していたことを想起していただきたい。
九・一一発生の夜、一晩眠れない経験をした私にとって、有志連合によるイラク攻撃のニュースは衝撃的でした。あれから四年、現在のイラクの情勢は、そのとき全く想像もしていなかった状況を呈しています。
(拍手) 二〇〇三年三月二十日、米英によるイラク攻撃の開始から四年以上を経た今日、イラクの人々にとっては治安、経済、生活のすべてが危機的状況となり、子供らも住む家を失い、親を失い、ユーフラテス川に泳ぐこいのぼりを見るかわりに、ただただ張りめぐらされる鉄条網を茫然と眺めるのみになりました。平和のうちに生存する権利は、今この瞬間にも脅かされております。