2020-02-12 第201回国会 参議院 資源エネルギーに関する調査会 第1号
この方はイラク人ですので、当然イラクの側にとってみれば、あるいはイラクの民兵組織にとってみればアメリカに対しての報復は終わっていないわけですし、手打ちもできていないわけですので、彼らが新たな抗議行動や報復措置をとるということも、これは止めようがないのかもしれません。
この方はイラク人ですので、当然イラクの側にとってみれば、あるいはイラクの民兵組織にとってみればアメリカに対しての報復は終わっていないわけですし、手打ちもできていないわけですので、彼らが新たな抗議行動や報復措置をとるということも、これは止めようがないのかもしれません。
結局、地元のイラク人に逃げ道をつくってもらい、窮地を脱することができたとあります。 このように、非戦闘地域への派遣ですら、いつ銃撃戦になるか分からない状況になります。それ以外の地域への自衛隊の派遣を認めてよいのか、また、政府と維新、どのようにそれぞれの政党がお考えなのか、是非この点を確認とお伺いをしたいと思います。 まず、防衛大臣の方から御答弁をお願いできますか。
完全に遮断された状況にしびれを切らせた四十名を超えるイラク人、医療関係者が医薬品を持ってバグダッドから駆け付け、ファルージャ総合病院を目指しましたけれども、十七名の医療関係者は米軍に射殺されました。 二〇〇四年十一月、完全包囲されたファルージャの町に、激しい空爆、砲撃、始まります。ファルージャ総合病院は米軍に占拠されました。市内にあった二つの診療所は米軍が空爆しました。
それで、私が言っているのは、やはりイラク人を殺傷する寸前までいっていたのと違うのかというところを聞いているわけですやんか。もし、銃を保持していたイラク人が少しでも部隊に銃口を向けるそぶりがあれば、実際に殺傷する事態に至っていたのではないかということを私は危惧しているんですよ。
ただ、これを言うと非常に日本のメディアでも学会でも評判は悪いんですけれど、私はイラク人のマジョリティーはアメリカに感謝していると思います。
構成員は約一万人程度というふうに見積もられておりまして、その主体はイラク人というふうに言われておりますけれども、サウジアラビア、またチュニス等の中東・北アフリカ諸国、さらには欧米諸国等からの外国人戦闘員も数多く参加している模様でございます。
二月、イラク国内でイラク人に囲まれていたし、緊急支援で忙しかったからか、自分を保てた。三月、ヨルダンで一人になって、強烈な喪失感に襲われたり、恐ろしい現状報告の詳細を調べたりして、号泣、数回。買い物中でも、お一人様外食の時でも、突然わっと涙が溢れてきて、困った。 一度に抱えるには多すぎる感情にもがき苦しんだ。ファルージャとラマディは、私にとって一番身近なイラク。
石油ガス関連企業のみならず、様々な通信インフラ、ゼネコン、自動車販売産業等々、数多くの日本人がイラクでビジネスマンとして活躍をし、またバグダッドとの直行便もデーリーであった状況がございまして、当時のことを知るイラク人の方からすると、日本とのやってきた仕事についての大変感慨深い思いを持っているものもございまして、イラクの復興に当たっても自衛隊を派遣し、また、その後のイラクの復興にも経済面からも後押しをしているという
しかし、その後明らかになったのは、これが、ある亡命イラク人によってもたらされ、全く根拠のない情報であることを知りながら示していたということであります。 情報が誤っていたのではなく、戦争のためにうその情報がつくられた、それがイラク戦争であったのではありませんか。
すごいのは金の使い方で、一人、物すごい優秀な研究者なり、これはもう絶対将来ノーベル賞に行くんじゃないかというのを見つけたら、それがドイツ人であろうが、イラク人であろうが、インドネシア人であろうが、引っ張ってきてトップに据えて、建物自体から、全部おまえの好きなようにやれといって、金をぼんと上げるんですね。人材も、もちろん好きなようにやりなさいと。
当時は北部は安全ゾーンだと言われていたところでありますけれども、クルド人の自治区に当たるところだと思うんですけれども、そちらの方で、ほかの職員の方、それからイラク人の運転手の方とともに銃撃をされました。
イラク戦争は、開戦の根拠であった大量破壊兵器は見つからず、また、十万人を超えるイラク人の死者が出ました。アルカイダとの関係も見つかりませんでした。米国のオバマ大統領がみずから、誤った戦争であったと言っております。
イラク戦争は、開戦の根拠であった大量破壊兵器は見つからず、また、十万人を超えるイラク人の死者が出ました。さらに、アルカイダとの関係も見つからなかった。オバマ大統領がみずから、間違った戦争であった、このように言っております。
そういうものは、第三国でイラク人に類似のプラントを見せて、そこでトレーニングをして、そして現場に行ってもらう、日本人はイラクには入らない、そういうやり方もしているというふうに聞いております。 そういったことも含めて、あるいは警察官の訓練について、午前中、日本における訓練は生ぬるいというようなお話もありましたが、第三国で警察官を訓練するということもあるいは考えられるかもしれません。
米国は、イラク人の帰国などを支援するため、二〇〇九年の会計年度で支援費を大幅に増額して、合計一億五千万ドル、約百四十四億円だと思いますけれども、する、こういう発表をしております。 日本としては、こうしたイラクの国外への難民、また国内の避難民への支援を行うつもりはあられるのか、もしあるとしたら、どのように行うつもりでいらっしゃるのかお聞かせをいただきたいと思います。
さらに、技術協力につきましては、これまで三千名以上のイラク人に対する研修を実施済みでございますけれども、今後とも積極的に実施をしていこうと、そういうふうに考えております。
そのときには、イラク側から、もううちの国の治安は大丈夫です、中国、韓国から確かにたくさんの企業の進出をいただいておりますけれども、我々イラク人は日本人が好きです、そして、日本人のすぐれた能力、また高い技術、そういったものをぜひ私たちイラクにおかしいただきたい、こういうお話もいただいたところであります。
特に、イスラム世界に対しましても、相互の利益と尊重に基づいて前進するという新たな道を希求するとして、対話の努力を約束し、特にイラクとアフガニスタンという二つの国名を言及されまして、イラクをイラク人にゆだね、アフガニスタンでは平和を揺るぎなきものにしなくてはならないというふうに述べられております。
ブッシュさん、イラク人から靴を投げられる。まあ、そうですね、そういうのがありました。下の方。麻生さん、日本人からさじを投げられる。まあ、そういうことかなということで、そういうことで、それなりにということで、こういう意見があったということで御紹介したいと思います。
私の今までの経験からいっても、イラクといってもなかなかイラク人というふうに一くくりにするのは非常に難しくて、実際にそれぞれ場所によってやはり宗派が違う、あるいは民族が違う、いろいろそれぞれ場所場所で違うというふうな感じがいたします。