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5件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1983-01-28 第98回国会 衆議院 本会議 第4号

そして、昭和二十一年四月、戦後初めての衆議院議員選挙が行われるや、先生は、同志友人に推されて立候補し、四十八名の候補者が六つの議席を競う大激戦の中で、みごと栄冠をかち取られました。時に弱冠二十九歳でありました。  終戦直後の選挙当選してきた若い議員たちは、戦前の亜流をなす政党に属することを好まず、新しい酒は新しい杯に、新しい政治は新しい政党にという理想に燃えている時代でありました。  

小林進

1981-10-02 第95回国会 参議院 本会議 第5号

昭和三十三年官界を去って鳥取県知事選挙に出馬し、みごと栄冠をかち取り、その後再選を重ねること三度、通算十五年余にわたって県政の指導者として力量を発揮されたのであります。  昭和四十九年参議院選挙鳥取県地方区から当選参議院外務委員長を経て、昭和五十五年に再選、同年七月鈴木内閣の国務大臣に就任、自治大臣国家公安委員会委員長に任命されました。  

上條勝久

1956-11-20 第25回国会 衆議院 本会議 第5号

その後しばらく本院から遠ざかり、ことに戦後はもっぱら在野法曹人として雌伏しておられたのでございますが、昭和二十五年には社会党に入党され、昭和二十七年の第二十五回衆議院議員選挙には、再び、東京都第三区より出馬いたし、みごと栄冠をとられ、それよりは、引き続いて現在に至るまで本院に議席を有しておられたのでございます。前後を通じて当選四回、在職九年三カ月に及んでおるのでございます。  

廣川弘禪

1956-11-12 第25回国会 衆議院 本会議 第1号

終戦後、不幸にして公職追放の指令を受け、弁護士を開業せられましたが、追放を解除されるや、二十七年の第二十五回総選挙に推されまして郷里福岡県第一区より立候補され、みごと栄冠をかち得られました。自後、引き続き本院に議席を占められ、重厚なる人格と該博なる識見をもって僚友の尊敬を集めておられたのでございます。  

福田昌子

1954-02-02 第19回国会 衆議院 本会議 第9号

一昨年衆議院の総選挙には初めて御出馬に相なつたのでありますが、この際は不幸落選いたされましたが、次いで行われました補欠選挙におきましては、みごと栄冠をになわれて御当選に相なつたのであります。御当選後間もなく本議場におきまして破壊活動防止法案外二件及び労働三法改正法案の討論を試みられました際の名演説は、いまなお印象深くわれわれの脳裏に刻まれておるのであります。

島村一郎

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