1997-06-11 第140回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会 第7号
なぜならば、そういう一つの護送船団方式の中で野村証券にせよ第一勧銀にせよ巨額の利益を上げることができ、そのゆえにこのような放漫な経営といいますか不法な支出ができたのではないかという点、あるいはそういう護送船団の中で経営陣が甘くなってしまったのではないか、社会に対する責任、個人投資家に対する責任というのを十分感じなくなってしまつたのではないかと私は思うわけです。
なぜならば、そういう一つの護送船団方式の中で野村証券にせよ第一勧銀にせよ巨額の利益を上げることができ、そのゆえにこのような放漫な経営といいますか不法な支出ができたのではないかという点、あるいはそういう護送船団の中で経営陣が甘くなってしまったのではないか、社会に対する責任、個人投資家に対する責任というのを十分感じなくなってしまつたのではないかと私は思うわけです。
けれども、それらの科目は、青少年の社会的経験そのものを発展させることに重点をおかないで、ともすれば倫理学・法律学・経済学・地理学・歴史学等の知識を青少年にのみこませることにきゆうきゆうとしてしまつたのである。したがつてこれらの科目によつて、生徒は社会生活に関する各種の知識を得たけれども、それがひとつに統一されて、実際生活に働くことがなかつたのである。
そのことがかえって爆発を誘発して、中元寺川のあの川底を落っことしてしまつたのじゃないか。だからあなたの方で保安措置としてやったことが、今度の事故を誘発さしたのじゃないか、そういうことはどうですか。
文部省の方では厚生省の国立でやつているのだから予算をつけるわけにはいかぬというので、結局捨てられてしまつたのは気の毒な子供だけなんです。ですから、これについてはどっちか責任を持ってもらわなければいかぬ。
(拍手) 日ソ交渉において、政府は、日本が平和条約によってすでにその権利権原及び請求権を放棄した南千島の返還を強硬に主張することによって、ついに事実上両国の国交回復を不可能にしてしまつたのであります。もし南千島の領土問題を取り上げるならば、政府はなぜ小笠原、沖縄の領土問題を取り上げないのであるか。
しかるに、たまたま昭和二十九年に市町村職員共済組合法が制定されましたとき、その附則で所得税法の改正が行われ、この非課税規定が削除されてしまつたのであります。
アメリカの提案によるところの、来年は日本を加盟せしむべしとする決議案に対し、またまたソ連一国のみが反対し、さらにこれをしも否決してしまつたのであります。ソ連は日本と外蒙の二カ国を同時加盟せしむることを提案いたしておるのでありまするが、日本と外蒙とを同列に置き、抱き合せするがごときは、今日世界の良識をもってしてはとうてい理解できないところであります。
信連の方も信用を断ち切つておつた、しかるにかかわらず、公庫といたしまして、その点に気がつかず、貸し付けてしまつたのは審査がはなはだ不十分であったということでございまして、顧みまして、まことにこれは私どもも審査が不十分であったことを遺憾に存じておるのでございます。このような事案につきましては、今後一そう審査を慎重にいたしまして、またこういうことがないようにいたしたいとうふうに考えております。
それに先だって一歩前進して生産費の引き下げをはかつていきたい、そして価格の安定を得ましたならば……(「現在が低いのですよ」と呼ぶ者あり)今私が申しましたのは、農家経済の安定、確立を主にいたしますから、生産費を引き下げて、そして農産物の価格を引き下げてしまつたのでは何にもなりませんから、そういうことではないのでございまして、農家の経済を安定するということに重点を置きましてそれに協力するために価格の引き
(拍手)ここで通産大臣にお伺いしたいのでありますが、石橋通産大臣は、就任早早、輸出入銀行債の発行その他の抱負をかなり勇ましく述べられたはずでありますが、政府の施政方針の中からはいつの間にか姿を消してしまつたのはどういういきさつでありますか、伺いたいと存じます。
そこでせつかくの政府の要望でもあり、また政府与党からの真情を吐露されてのお話がありました以上、やはり各党代表だけには、御不自由でも登壇をしてもらうということは当然だろうということも、この点は衆参両院一致してしまつたのであります。そういたしますと、次の二日なり三日なりの問題に対して、時間的にも——大体この間はかつてみますと七分かかるのであります。
そうしますと、自由党の末期になつて、自由党の財政政策、金融政策なりと、あなたの見解というものが相当相違ができてしまつたのではないか、こう私どもは想像をされる。また私は大蔵省の高級官僚の方が、ああいう日銀総裁では困るからということを大臣に相当進言されたからそうなつたのではないか、こう思われる。そこであなたの予算を編成しようとするその考え方を、その骨組みだけでもここでお聞かせ願いたい。
敵国外人としていろいろの苦しい中に追いやられ、或いは誘惑を以て迫られ、亡命政府を作れとか、それから日本に無条件降伏の放送をしろとかいつて、殆んど私をアメリカの独占資本の道具にしたようなことがありましたが、それと私は戦つたので、日本に帰つてもその戦いを続けて行こうとして、軍事裁判にかけられようとするところまで来たのでありましたが、そういうことから自由世界なんというような、こういう幻想はすつかり破れてしまつたのでありますが
戦争によつて与えた損害に対しては、幾ら精神的にも物質的にも賠償しても足らないでありましようけれども、それは気持の上ではそうでありますけれども、日本の国は貧乏になつてしまつたのでありますから、その中でこの金額もなお苦しいのだということを了承していただいて――このとりきめの中に、将来他の国との賠償に従つて、その額によつては、状況によつては再検討するというような義務を負わされておりますけれども、願わくはそういう
たとえばきようのこの問題でも、わずかに七十五億円ぐらいのもので、しかもいわゆる苦しい大衆に喜ばれることができないということになり、財源がないというのでいつもおざなりの文句で逃げられてしまつたのでは、ほれ見ろ、新しい内閣の一萬田大蔵大臣といえども、いざその座にすわつてみれば何にもできるものじやないという攻撃を受けるわけだ。
○説明員(稲田清助君) 十校くらいに関連いたしまして、これは二年課程がなくなつてしまつたのじやございません。四年課程を多少殖やして二年課程を減らした箇所がある。十校もないかと思います。たかだか十校かと思います。多少、しよつちゆう定員をいぢつておりますから、傾向として四年が殖えて二年が減るのでありまして、決して二年がなくなつてしまうことをいたしたところは一つもないのでございます。
○山下(春)委員 大村主計宮も、よく御存じだけに、いろいろ御返事しにくいかと存じますので、いつも結論が出ないのでございますが、私、この夏私だけではございません、受田委員、自由党の長谷川委員、三人で参りましたが、私ども終戦後十年間実にぼやぼや暮してしまつたのでありますが、引揚げられて、ほんとうにからだ一貫で、家族二、三人を持つて、あの山奥に七町六反という、しかもそれは全部人間の力で耕しておるという、あの
ところが当時占領軍司令部が何を誤つたか存じませんが、この労働者の福利施設の機関に解散を命じてしまつたのでございます。そこで当時司令部にも抗議を申込んだのでございますが、これは全くの誤りであつたということを申しておりましたけれども、解散をいたしてしまつたものですから、何ともできなくなりました。
しかしまだやめてしまつたのではありませんから、さきに指摘いたしましたような、積極的意義を内容とする価値こそ失つてはおりますけれども、まだ今日でも多少の存在価値がある。しかしここに私は問題があると思う。しからばその存在価値の内容は何か、これが私は問題となると思います。少し自由党の諸君に対して遠慮のないことを申させていただきたいと思います。
大分話が進んでおつたのでありますが、それを否決されましたので、平たい言葉で申しますと、私ども顔がなくなつてしまつたのであります。従つて今私どもが大蔵省に申しましても、一体自治庁はどういう案を基礎にしてそういう資金を要求するのだと言われたときに、われわれは返す言葉がないのであります。年末資金を含めた大きな資金繰りの要求を現在しております。