2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
私は、新党さきがけを立ち上げた武村正義さんが唱えた「小さくともキラリと光る国・日本」に大きな親近感を持ちました。遡れば、石橋湛山の「小日本国主義」であり、「決して軍事大国を目指さず、経済成長至上主義に陥らず、美しい地球を継承させるため、国内外で積極的な役割を果たす平和国家」です。 中学生の時に見たユージン・スミスさんの水俣の写真は衝撃でした。
私は、新党さきがけを立ち上げた武村正義さんが唱えた「小さくともキラリと光る国・日本」に大きな親近感を持ちました。遡れば、石橋湛山の「小日本国主義」であり、「決して軍事大国を目指さず、経済成長至上主義に陥らず、美しい地球を継承させるため、国内外で積極的な役割を果たす平和国家」です。 中学生の時に見たユージン・スミスさんの水俣の写真は衝撃でした。
御指摘のありました一つ例をということでございますので、先生の御指摘いただきましたJSTの戦略的創造研究推進事業、特にCRESTとかさきがけといったことについて御説明申し上げたいと思います。 先生既に御指摘ありましたけれども、この事業につきましては、出口を見据えて研究を発展させるとともに、新たな科学的シーズを創出する事業でございます。
このほか、二〇一九年度予算案では、戦略的創造研究推進事業のさきがけとACT—Xにおいて新規採択者数を拡大、あるいは海外特別研究員事業において新規採用者数を拡大、あるいは新規事業といたしまして国際競争力強化研究員事業を創設など、若手研究者支援に係る経費を計上しているところでございます。
文部科学省ではこれまでも、基礎研究の振興を図るために、継続的、安定的な研究活動のための基盤的経費の確保に加えまして、科学研究費助成事業、いわゆる科研費を通じた継続的な支援、あるいは、世界最高水準の成果を生み出すため、戦略的な基礎研究の推進、例えばCRESTですとかさきがけといったプログラムを含みます戦略的創造研究推進事業がこれに当たります。
前回の総選挙後に体調を崩され、都内の病院に入院されましたが、昨年の四月には一時復調され、さきがけ時代の仲間との食事会で旺盛な食欲も見せておられました。 その後、夏の初めから入退院を繰り返されておると聞き、一度お見舞いに行こうと三原先生と話をしていたところでした。そんなやさきの突然の訃報を、私はにわかには信じることはできませんでした。
このほか、CRESTですとかさきがけといった戦略的な基礎研究の推進等も行っておりまして、我々としては、引き続き多様な事業を通じまして、この基礎研究の振興に取り組んでまいりたいと思っております。
文科省としては、この基礎研究の振興のために、科研費等を通じて、独創的で質の高い、いろんな種類の多様な学術研究を重視した継続的な支援、それから戦略的な基礎研究の推進ということで、CRESTやさきがけ、世界最高水準の成果を生み出すためのこういうプログラム、そしてさらには、WPIと呼んでおりますが、高度に国際化した研究環境を整備して世界中から第一線の研究者が集まる、こういう研究拠点、こういうこと等々を行ってきたところでございます
また、イノベーション指向の戦略的な基礎研究を推進するという意味で、科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業においても、特に若手研究者を主に対象としておりますさきがけという研究プログラムについて現在約一〇%の採択率をこれを向上することですとか、さらに、若い研究者を支援対象とするようなさきがけにおける制度の拡充等を図っていきたいと考えております。
○伊佐委員 御答弁いただいたとおり、このさきがけ、こうした資金があることによってポストが得られるというような効果もあると思います。 そこで、ちょっとポストの話もしたいと思うんですが、資料三の、さっきの、何が障害になるかというのを見ていただくと、例えば3、雇用が不安定だというところがあります。 この雇用については、資料四を見ていただくと、いかに今若手の安定的なポストが減っているかです。
この科研費の、次のステップアップをしたとき、ある程度科研費で成果が出ましたとなったときに、じゃ、これをもうちょっと深めていきましょうとなったときの次のステップになるのが、JST、科学技術振興機構の持っている、さきがけと言われるものです。 これは若手の登竜門と言われていまして、ノーベル賞受賞者も大体これをとっている。倍率がそこそこ高くて、狭き門だと言われております。
それから、平成九年度に三パーが五パーになるんですが、実際これを引き上げるのを決めたのは平成七年の自民党と社会党か、社会民主党と言ったか、社会党とさきがけの三党連立政権のときなんですよ。その三パーを五パーにするときに地方消費税というのを初めてつくるので、一パー。なかなかつくりにくいんですよね、消費税を地方税化するというのは。
当選してしばらくたって、自民党、社会党、そしてさきがけの政権となったわけでありますが、そこで三党が合同してこの政策を、言わば自民党の部会だけでは決められないものでありますから、調整の部会に、私、一年生議員でありましたが、そこの中に入り、様々な調整をしたところでございますが、そのときから少子化というのは大きな課題になっていたわけであります。
その後、十年たちまして、債務処理の方式を、このとき、自社さきがけ政権のときでありまして、私、さきがけの政調副会長として携わっていましたけれども、この債務を清算事業団が処理することが不可能になって、一般会計に切りかえるという作業をした覚えがあります。 こういう形で債務というものの処理をしていったのが、実は民営化という意味だったんです。 この過程の中で、低金利によってどこが一番利益を得たのか。
自民党と社民党とさきがけの連立政権つくった、平成六年のときにね。三党から出ていって、わっしょいわっしょいやりまして、私なんかも入って、それでつくって、制度になるのは九年ですよ、平成九年からですけどね。その地方消費税が果たして地方税になるのかという議論があったんですよ。しかし、それは最終消費地で清算すると、こういうことで、大議論の末決まったんですけどね。
そして、帰国をして、自社さ政権でしたから、社会党の辻元清美先生、さらには自民党ですと野田聖子先生、保岡先生、谷垣先生、さきがけですと堂本先生、ここら辺が中心になりまして、児童買春・ポルノ法、国内法を整備しようというチームができました。当時、私は警察庁少年課の担当官として事務的にお手伝いをしておりました。 そして、一九九八年になりまして、私のところに招待状が来ました。
民主党菅直人、共産党不破哲三、社民党土井たか子、さきがけ武村正義、二院クラブ佐藤道夫、国民会議中村敦夫という代表が、それぞれ壇上で決意を表明しておりました。
私、自社さ政権のさきがけの担当で、その千五十九項目の要望を見ましたよ。やるという前提で、要は日本に何ができるのか、そういった協力要請が来ましたよね。覚えておられますか。
○中谷国務大臣 当時のガイドラインをつくるときには、私もこの委員会の筆頭理事で、前原さんもさきがけの理事だったと思います。真剣に周辺事態の法案を議論して成立をさせたわけでございますが、その前の、法案作成の時期とか検討の時期においては政府の一員ではなかったわけでございますので、こういった機密の情報に私は接触をした記憶はございません。
それから、さきがけからは、今、民主党に行っておられる荒井聰先生なんですね。ここが母体になっていわゆるアジア平和基金をつくったんです。
○伊佐委員 御紹介いただいたとおりで、このさきがけの成果というのは、実は、具体的な、このプロジェクト、三年間でこういう成果が出たというものじゃないんです。これは、あくまで若手の育成。若手がこれまでずっと、先ほどあったように、任期つきであったものが、やっと安定した職を得た、六割いる、こういうような制度。目的は若手の育成なんです。
○山脇政府参考人 さきがけの研究につきまして、研究面の成果といたしましては、世界に先駆けた光合成のたんぱくの構造解析の成功など、我が国発のイノベーションにつながる成果を上げているところでございます。 また、このさきがけにつきましては、若手研究者の育成の観点からも成果を上げております。
○伊佐委員 テニュアトラック制度であるとか、さきがけについて触れていただきました。 まさしく若手研究者のための研究資金の提供という例で今さきがけを挙げていただいたと思いますが、このさきがけも、非常に、これは若手研究者にとって物すごく評価が高かった、あれは本当にいい制度だという声をたくさん聞いていました。
その後、安全保障環境の変化に対応いたしまして、平和貢献、国際協力や国際共同開発、共同生産等の必要性に応じて、累次にわたりまして官房長官談話を発表するなどして例外化措置が講じられてきており、既に例外化は二十一例に及んでいるわけでございまして、これは自民党政権時代だけではなくて、自民、社会、さきがけ連立政権時代、あるいは民主、社民、国民新党の連立時代等にも行われていることでございますが、昨年の十二月に策定
あるいは、WTOで日本が米を受け入れざるを得ないというときに、病気を押して、当時、自社さきがけ政権でしたけれども、そこの議論の場に乗り込んでこられて、鬼気迫る大演説をぶって、そこにいた加藤紘一先生とか、あるいは当時さきがけだった菅直人とか、そういう人たちがその気迫に押されてWTOの方向性を決めた思い出がございます。きょうは、その御子息が大臣に就任したということで、本当におめでとうございます。
そして、その後、自社さきがけのよくわからない連立政権ができました。そのときに自民党の中は大騒動ですよ。大騒動になりました。大変でした。 そのときに安倍総裁は一年生議員だったそうです。鉢巻きを締めて大反対したそうですよ。それでももう、党内がぐちゃぐちゃになるような議論をして、それで六兆円の対策費を組んだわけですね、六兆百億ですけれども。これに御批判があるのはわかっています。