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9件の議事録が該当しました。

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2017-12-21 第195回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

横田参考人 済みません。今のお話の中にありました私のコメントというのが、今までも、四十年間ずっと記者に追っかけられて、テレビにも出演して、ありとあらゆる形で自分たち気持ちを表現してまいりましたけれども、本当に何でこんなに長くかかるのかということがわからない。  一人の子供が誘拐されてどこかに連れていかれたということがあれば、もうその日のうちに警察が動いて、あのマンションに閉じ込められているんだということがわかれば

横田早紀江

2017-12-21 第195回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

横田参考人 先日トランプ大統領と面会をさせていただきまして、本当に思いがけないことだったのですけれども、たまたまその四日前に私は非常に、ひどい風邪ではなかったんですが、声が全く出なくなった状態で、本当に会話ができないような状態になってしまっておりまして、ああ困ったな、あと四日後に大統領がいらっしゃるときに何とか声が出るかなといつも思いながら何とか頑張っておりましたら、まあ、今よりはひどかったんですけれども

横田早紀江

2017-12-21 第195回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

横田参考人 皆様、おはようございます。横田でございます。  拉致問題に関しまして、本当に長い間、たくさんの皆様の御声援をいただきまして、救出のために、家族会、救う会、そして議員皆様総理、もうあらゆる方々が一生懸命に御尽力いただいておりますにかかわらず、子供たちの姿が全く見えない。どこにどうしているのかも見えない。本当に何にも見えない。煙のように消えたままの、あの新潟のあの角から何にも動いていないという

横田早紀江

2017-12-21 第195回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 閉会後第1号

参考人横田早紀江君) あの日はちょっと、先ほどもお話ししたんですけど、風邪を引きまして、四日前にもう全く声が出なくなりまして、もうその日に大統領お話ができるかなという非常に心配をしておりまして、出かけました。  それで、やっぱり国連でのお話をしてくださったこと、拉致問題について、日本にこのような少女が、拉致をされている人がいるんだということをお話ししてくださったことに対しての、本当に私は感動しましたので

横田早紀江

2017-12-21 第195回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 閉会後第1号

参考人横田早紀江君) ただいまいろいろなお話、ありがとうございました。  本当に、井上議員のおっしゃりますように、安倍総理外交の方で非常に活発に各国に拉致問題を提起をしてくださいまして、今までないぐらいたくさんのところに発信をしてくださっておりますし、いろんな形で私たち家族会はみんな信頼申し上げておりますし、必ず私の手でとおっしゃっている言葉を本当に信じなければ本当に駄目です。家族がみんな信じて

横田早紀江

2017-12-21 第195回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 閉会後第1号

参考人横田早紀江君) 皆様、こんにちは。今日は参考人として拉致被害者家族の中からお招きいただきまして、ありがとうございます。本当に四十年という年月がたっておりまして、私たちはこんなに長く掛かるとは思ったことがありませんでした。  石高さんがこのことを話しに来てくださったときに、本当に二十年間の年月がたっておりまして、もうどこに行ったか分からない、もうどうしたんだろうという気の狂うような毎日の中で

横田早紀江

2017-05-10 第193回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

参考人横田早紀江君) 非常に難しい問題で、私たちにはちょっとどういうふうにお答えしていいか分かりませんが、やっぱり、結局外交というのはみんな、最終的にはその人とその人との心の話合いというわけですから、そういう意味で、前から私は安倍総理にお願いしているんですけれども、金正日氏の頃からですね、早くトップ会談をしていただいてきちんとその話をしていただきたいということをお願いしておりますので、今の金正恩

横田早紀江

2017-05-10 第193回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

参考人横田早紀江君) ありがとうございます。  私たちは、自分子供たちですから、本当に普通の生活に戻してあげたいという気持ちだけが初めは立っておりましたが、このような大きな問題であったということを今しみじみと感じているところでございます。  私たちは、若かったので、四十年もたちましたので、本当に元気な間から、六十代の初めから活動が始まっておりましたので、こんなに長く掛かると思っておりませんでしたので

横田早紀江

2017-05-10 第193回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

参考人横田早紀江君) 皆さん、こんにちは。日頃は本当にたくさんの御尽力をいただきまして、本当に心から感謝しております。  この北朝鮮による拉致という問題は、本当に私たちが、めぐみがいなくなって二十年間というものは、全くどこに行ったか分からない、何で消えたのか分からない、何にもない、どんな持ち物も出てこない、誰からも連絡も来ないという不思議なことが一瞬にして起きて、そして、どうしてこの子がいなくなったんだろうといつも

横田早紀江

2014-06-13 第186回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

参考人横田早紀江君) 私は、めぐみを育ててきました。二人の弟も、三人の子供たちを育てましたけれども、本当に元気な明るい子で、私、二人の親の子供としては、とても明るく元気で、そして思いやりがある良い子に育ってくれたと思っております。  そのような大切な子供がこのような恐ろしいことに巻き込まれて、そして三十七年間もまだあちらで、姿も見えない、声も見えない、本当に生きているか死んでいるか、本当のことすら

横田早紀江

2014-06-13 第186回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

参考人横田早紀江君) 写真展は、私のマンションの住人の方々が積極的に展開をしてくださったことで、今までから、何度もあちこちで展覧をしていただいております。  私たちはもう普通の庶民でありまして、本当にどこのおうちにでもある、どのお父様、お母様が撮っていらっしゃるのと同じような写真なんですが、たまたま拉致をされたということで、こんなに普通の家族が全くこのような地獄のような人生を送らなきゃならない。

横田早紀江

2014-06-13 第186回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

参考人横田早紀江君) ようやく今回の日朝協議において今までと違った北朝鮮の交渉の仕方が初めて分かりまして、今度こそ何とか子供たちが全部が助け出されるのではないかという希望を持って、また反面、どういうふうな形で、以前のようなことが起きてくるのかもしれない、みんながそういう思いで、不安な中で日朝会議のこれからを見守っております。  国民方々も本当にたくさんの方が御支援くださいまして、我が事のように

横田早紀江

2013-07-26 第183回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第5号

横田(早)参考人 これまでの活動をしてきまして、拉致問題ということが本当に大変な問題で、日本国家にとっては、本当に何という情けないことをされ続けていたのか、たくさんの人が犠牲になっているのか。そういうことが、ここまで来ていても、また、外国に行っていろいろな方にお願いをし、そしてブッシュさんにもお会いできて、そして、北朝鮮の一国の指導者が指令を出して、拉致をしてこいといって工作員をそれぞれの国に派遣

横田早紀江

2013-07-26 第183回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第5号

横田(早)参考人 これはもう筆舌に尽くしがたい苦しみであります。  本当に、今まで、その日の朝まで、いつもと同じように、元気で明るい、歌を歌ったり、子供たちとにぎやかに遊んだり、お友達とたくさん遊んだり、一生懸命に勉強もしたし、本も読んだし、普通に育っていた子供が、突然煙のように消えてしまって帰ってこない。何が起きたのかがわからない。  親はみんな一〇〇%の親ではありませんから、私たちももちろんそうですから

横田早紀江

2013-07-26 第183回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第5号

横田(早)参考人 皆様、おはようございます。  私たちめぐみが行方不明になってから、もう三十六年目に入りました。二十年間という、全く行方がわからない期間というものが私たちに与えられました。  本当に長い苦しみの中で、皆さんに助けられて何とか生き抜いてまいりましたけれども、まさか、北朝鮮による拉致、そのようなことがあるなんて考えたこともありませんでした。そのことが二十年後に発覚し、そして、北朝鮮

横田早紀江

2006-05-29 第164回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第6号

横田(早)参考人 本当に思いがけないことが次々と、ショックが起きてまいりますものですから、本当にいつも真っすぐの姿勢になるのが大変な状況なんですけれども、このたび、本当に思いがけず、めぐみの夫である方が金英男さんという高校生であったということがはっきりといたしまして、また一つの大きなショックを受けております。  そして、このことがわかって、そして私よりもまだもっとお年を召していらっしゃるお母様のお

横田早紀江

2006-05-29 第164回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第6号

横田(早)参考人 スミスさんの場合は、やはり今おっしゃったように、国際的な面でしっかりとこれを取り組まなければならないというお話はありました。そして、ブッシュ大統領の場合は、かなり心理的な、私たち人間人間としての思いというか、大切な命の問題としてしっかりと受けとめていただいたということが大きな成果だったと思っております。  そして、このような罪のない人を、何の罪もない人を、国家犯罪として、指導者

横田早紀江

2006-05-29 第164回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第6号

横田(早)参考人 いつもお世話になっております。  本当に長い長い年月、私たちは、大切な子供を奪われて苦しみ続けてまいりました。その間、長い年月の間に思いがけないショック事件が次々と起きましたけれども、北朝鮮による拉致というような恐ろしいことを考えたことはありませんでした。  けれども、国家犯罪として、めぐみたちが、たくさんの人たち北朝鮮に連れていかれたまま、うち子供はもう三十年になります。

横田早紀江

2005-06-10 第162回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第2号

参考人横田早紀江君) そうですね、小泉総理の考えていらっしゃることが私たちには分からないわけです。理解ができません。  そして、対話、圧力と、北朝鮮に対しては対話が必要ですとおっしゃるのなら、日本の中でのこういった私たちの者にも対話をしていただきたいし、そして、どうしてこうなのか、どうして発動をしないのか、いろんなことが、お考えがあると思うんで、そういう細かいところをきちっと教えていただければ納得

横田早紀江

2005-06-10 第162回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第2号

参考人横田早紀江君) 今、主人が申しましたように、本当にこのことを表に公表するかどうかというところから私たちはもう覚悟をしておりました。もしものことがあっても、こんなに長い期間めぐみの姿が何も分からない、だれにも分からないで、消えたままでこの世を終わってしまうということは許せないことでありましたので、どんなことがあるか分からないけれども、非常に悩みながらも公表するような状況になったわけです。

横田早紀江

2005-06-10 第162回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第2号

参考人横田早紀江君) 私は横田めぐみの母でございます。  めぐみが行方不明になって二十年という長い間、本当にめぐみの姿が消えたままで、どうしてめぐみがいなくなったのかということが分からない長い長い苦悩の日々を過ごしてまいりました。そして、考えたこともない北朝鮮工作員によって拉致をされて、平壌にめぐみさんがいますという情報が入ったのが二十年たってからのことでした。  どうしてこんなに長い間このような

横田早紀江

2004-02-24 第159回国会 衆議院 外務委員会北朝鮮による拉致及び核開発問題等に関する小委員会 第2号

横田(早)参考人 私は、拉致ということは本当に物すごい残虐な事件でありまして、人命ということに対して、全く核の問題と同じだと思っております。  それで、六カ国協議というようやくやってきた六カ国の話し合いの中で、本当に、拉致をして、そして一応五人の人は帰りましたけれども、あと私たちの八名プラス二名の不明の方を含めて十名の方のことは、もう全く骨もありません、亡くなっておりますというただその一言で、私たち

横田早紀江

2004-02-24 第159回国会 衆議院 外務委員会北朝鮮による拉致及び核開発問題等に関する小委員会 第2号

横田(早)参考人 九月十七日までの活動におきましては、家族が一体となっておりまして、帰ってきた人もいませんし、本当にみんな同じ思いでやっておりました。九月十七日以降は、やはり十月十五日の家族の帰国ということもありましたものですから、その中で、少し心の面でいろいろとニュアンスが変わってきたかもしれませんけれども、これが北朝鮮拉致であるという中においての運動であるという意味では、何一つ変わっておりません

横田早紀江

2004-02-24 第159回国会 衆議院 外務委員会北朝鮮による拉致及び核開発問題等に関する小委員会 第2号

横田(早)参考人 おはようございます。横田めぐみの母でございます。  私は、二点、これまでの道のりと、それから待つ家族にはもう時間がありませんという二点でお話をさせていただきます。  一昨年の小泉首相ピョンヤン訪問によりまして、ようやく北朝鮮日本人の拉致についてみずからの非を認めました。それまで私たちは、二十年近い間、また三十年近い間、本当にもう生殺しのような苦しみの中で子供たちを探し求めて生

横田早紀江

2002-04-18 第154回国会 参議院 外交防衛委員会 第9号

参考人横田早紀江君) 私は、横田めぐみの母でございます。  今日はこのように外交防衛委員会にお招きいただきましてありがとうございます。  本当に長い二十五年間でありました。最初の二十年間はどこに行ったかも分からないままで、私たちはあらゆることを反省し、あらゆることを懸念し、あらゆることを捜し、本当に気の狂うような毎日を過ごしてまいりました。  私たちは、国民が選んだ皆様方の善意を信じて、この方ならやってくださるだろうと

横田早紀江

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