2002-07-25 第154回国会 衆議院 安全保障委員会 第9号
○杉嶋参考人 よど号事件の当事者たちと私は一九八七年の二度目の訪朝のときからのおつき合いがありまして、彼らの物の考え方とか祖国に対する思いとか、どういうビジョンを持っているかというようなことについてジャーナリストとしての興味がありましたので接触してまいりまして、三回目の訪朝のとき、一九九一年のときに、田宮高麿という彼らのリーダーに、私は、早く、正直言って日本の法律に従ってやれば出直しもまだ若いうちだからきくんじゃないか
○杉嶋参考人 よど号事件の当事者たちと私は一九八七年の二度目の訪朝のときからのおつき合いがありまして、彼らの物の考え方とか祖国に対する思いとか、どういうビジョンを持っているかというようなことについてジャーナリストとしての興味がありましたので接触してまいりまして、三回目の訪朝のとき、一九九一年のときに、田宮高麿という彼らのリーダーに、私は、早く、正直言って日本の法律に従ってやれば出直しもまだ若いうちだからきくんじゃないか
○杉嶋参考人 私も、そのことをいろいろと考えていました。どういうことかといいますと、本当に帰るということが決まったのは、私は二月十二日に釈放されたわけですけれども、その前日になって、突然、きょうのあした帰れと、帰してあげると。それは、向こうの説明によりますと、家族からの嘆願と外務省からの嘆願、それを考慮して、おまえは我が国の主権を侵害したという大罪を犯したにもかかわらず、とにかく寛大な措置を施すことにした
○杉嶋参考人 このたび、参考人として意見陳述する機会をお与えくださいまして、まことにありがとうございました。 私がなぜ北朝鮮に拘留されたか、また、その経緯につきましては、月刊文芸春秋の五月号に私の手記として明らかにしましたので、それをごらんくださいまして、この席では割愛させていただきます。 私は、拘留生活を送る二年二カ月の間、日本人としての誇り、人間としての誇り、自分自身としての誇りを精神的な核