1956-05-17 第24回国会 参議院 文教委員会 第28号
○参考人(平野忠一君) 私が知りましたのは、新聞で見ましたのが最初で、内容等も、ちょうどいなかへ帰っておりましたので、十二日の日の朝刊でしたか、私は間淵君が出るものとのみ思っていましたので、知りましたのは十二日の朝、新聞で見ましたのが最初でございます。
○参考人(平野忠一君) 私が知りましたのは、新聞で見ましたのが最初で、内容等も、ちょうどいなかへ帰っておりましたので、十二日の日の朝刊でしたか、私は間淵君が出るものとのみ思っていましたので、知りましたのは十二日の朝、新聞で見ましたのが最初でございます。
○参考人(平野忠一君) 昭和二十五年に私のところに委員会ができましてからこの方大体こちらの理事をやっております。静岡県の磐田市の教育委員会に所属しております。従って、昭和二十五年以来理事か常任理事という形でやっておりまして、常駐というのは私の方にはございませんが、近県の関係上大体二十五年以来ほとんど必要なときに出て参っております。
○参考人(平野忠一君) 理事は各県に一名ずつ、それから常任理事が八ブロックに分けまして一人ずつ、それに都市、五大市、二十三区、大体常任理事は十二名と、こういうふうに記憶いたしております。
○参考人(平野忠一君) 全然私たちその条項はわかつておりません。又報告も、私たち理事会を開きますが、承わつたこともございません。
○参考人(平野忠一君) お答えいたします。その前に地方教育委員会の連絡協議会の性格を申上げておきますが、これは御承知のように市町村単位の教育委員会でありまして、その上に郡の連絡協議会があり、それから県の連絡協議会、中央の連絡協議会、いわゆる単委員会を除きましては連絡協議会でありまして、何らの拘束力もない任意の協議体でありますので、そういうような思想調査とか、そういうことは全然連絡協議会としては議題に