1950-06-17 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第32号
それが起訴する上において——私は帝人事件なんかのときでも、あの当時ほんとうに日本国家を守るものは当時の純真な青年士官と検察官だというわけで、あの検事を青山会館で表彰したことがあるが、なかなかその奥には政党のボスとか、いわゆる底に手がまわるのです。
それが起訴する上において——私は帝人事件なんかのときでも、あの当時ほんとうに日本国家を守るものは当時の純真な青年士官と検察官だというわけで、あの検事を青山会館で表彰したことがあるが、なかなかその奥には政党のボスとか、いわゆる底に手がまわるのです。
曾て帝人事件に当つて三土忠造君等に対する検事の怒号的取調が問題となりましたが、現在警察、又検察当局において、被疑者の人格を尊重しない怒号的取調が行われていないでありましようか。
これを手柄話に私に話したのですけれども、私はとんでもない、そんなものをやれば、帝人事件だつてみんな贈賄だ收賄といつてひつかかつた、そんなことはおれにはできないと言つて断つた。そうすると大將は、四十万円だか五十万円の罰金を食つているのですから、じやその金は自分の罰金の内金にするからいいと言つて帰つて行つたのです。そうしているうちにそれで終つたのです。
何か帝人の寮か何かあるのではございませんか。そこへいらつしやるのに遅くなつたからと言つて、いらつしやつたことはあると思います。
○佐竹(新)委員 お尋いたしますが、あなたのところに帝人の社長の大屋普三さんは出入りされますか。
○國務大臣(鈴木義男君) 波瀾を起すということは、どんな事件でも、最初越訴するときに十分に取調べてやつたつもりでも……私は曾て辯護士をしておりまして、帝人事件の辯護もいたしました。或いは國際スパイ團の辯護もいたしました。又いろいろな事件を擔當いたしましたが、これは檢察當局は百%の確信を持つて起訴した事件でも、然るに波瀾萬丈遂に全部が無罪になつた、こういうようなことに相成つたのであります。
いわゆる四大疑獄はその適例でありますが、なかんずく帝人事件のごとき今更私から言うまでもないのであります。拘禁当初におきましては御承知のように拘禁性精神異常というものがあります。ただ拘禁されたということによつてすでに被告人は不眠症に陷つて、一種の強烈なる精神異常に陷る。
また帝人事件についても、私は大なる疑問をもつておるのでございます。無罪になりましたけれども、非常に疑問をもつておるのでございます。