2017-03-01 第193回国会 参議院 予算委員会 第4号
○藤末健三君 文部大臣にお聞きしたいんですけれど、十八の機関に法律を犯した人が受け入れられ、そして三百億円以上のお金が流れている。納税者は許すと思いますか、その状態を。お答えください。
○藤末健三君 文部大臣にお聞きしたいんですけれど、十八の機関に法律を犯した人が受け入れられ、そして三百億円以上のお金が流れている。納税者は許すと思いますか、その状態を。お答えください。
○小川敏夫君 まあ文部大臣表彰は、教育の中身について表彰するということはないと思うんですよ、ですから別のことだと思うんですが。ただ、私が総理に質問したのは、総理が、総理御自身がこの森友学園あるいは籠池さんの教育理念と共鳴するというような趣旨の御発言を衆議院でなさっていたものですから、その点について確認を求めているわけです。
例えば、民主党政権の平成二十四年に、平成二十四年に、これは御党の大西委員が私に質問したことでございますが、文部大臣賞を出したと、しかも人数を相当絞って価値を上げて文部大臣賞を出したということは、政権ぐるみで応援しているんですねという質問をされたんですね。ところが、その文部大臣賞を出した年は平成二十四年ですから、これ民主党政権時代なんですね、民主党政権時代なんですよ。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) これ、文部大臣賞を教育内容とは関係なしに出すんですか。これはまさに、まさに文部省として責任を持って出した賞じゃなくて、民進党というのはいいかげんに文部大臣賞というのを出すんですかね、表彰するんですかね。私は、それは大変驚いているところでございます。 そして、先ほど申し上げましたとおりに、しつけ等をしっかりとしておられるというところに共鳴したというところでございます。
それと、我々が政権ぐるみというレッテル張りを張りましたが、その中で例えば文部大臣表彰もありましたけれども、一つは少なくとも民主党政権時代じゃないですか。民主党政権時代に文部大臣賞を出した。ですから、これは同じじゃないですか。
○麻生国務大臣 今の松野文部大臣の意見とほぼ同じ意見ですが、全然文脈がわかりませんし、いきなり、その方がどう言われていたと。それを本人が書いたかどうかもちょっとよくわかりませんから、何ともお答えのしようがありません。
あなたは村山富市内閣の文部大臣秘書官、私は通産大臣秘書官ということでお知り合いになった以来の関係でございます。 当時、思い起こせば、金融接待スキャンダル、大蔵接待疑惑、官僚への風当たりが非常に厳しい、私も官僚でしたね、秘書官として。あなたもそうでした。
○国務大臣(松野博一君) 公益財団法人文教協会は、昭和二十四年四月、文部大臣所管の財団法人として設立をされ、平成二十五年四月、公益法人制度改革により内閣府所管の公益財団法人に移行した団体であります。
その中で、先ほど来議論がありますように、不登校児童生徒の状況を十分把握した上で、実情に応じて、その事態に応じた定義が可能でありますようにということで、このことは文部大臣が定めるというふうにしたところであります。
文科省、文部大臣にお伺いしたいと思います。 私の卒業した小学校が間もなく統廃合になってしまうんですね。私が行っていたころで百何十人、今も百何十人なんですけれども、一学年一クラスしかないですからもともと小さいんですけれども、文科省からも一定のそういった指導もあったということで合併していくわけであります。
○松野国務大臣 残念ながら、文部大臣就任後にまだそうした授業を視察しておりません。 第四次産業革命が進み、人工知能やIoTが社会の生活を大きく変えていくと予測がなされている中において、ICTを活用したアクティブラーニングやプログラミング教育を進めていくことは重要なことと考えておりますので、機会があればぜひ行きたいと思います。
その後、大臣に対して、そのまま続けていってはよろしくないので調査をやめるべきではないかということで、大臣に決意を問う質問があり、当時の有馬文部大臣より、今後の調査の実施につきましては、「各地域における状況等も見きわめながら、この調査の扱いについて検討をさせていただきたい」という答弁があったと承知をしております。
公立学校の教員等としての資質の向上に関する指標を策定するに当たり、各任命権者は文部科学大臣が定めた指針を参酌することになりますが、この指針はあくまでも、先ほど申し上げましたとおり、大綱的な指針でございまして、各任命権者による指標の内容に関して個別具体的に文部大臣が定めていくものではございません。
後ほど詳しく触れたいと思いますが、ちょうど私の隣に座っておられる高木文部大臣のときに、給付型奨学金を創設しようということで、概算要求までいった経緯がございます。そのときはあえなく財務省に突っぱねられてしまったわけですけれども、その反省も込めて、これから質疑をさせていただきたいというふうに思います。
内閣においては、平成三年、宮沢内閣の文部大臣として最年少閣僚で初入閣を果たされました。教育者の家系でもある鳩山家の一員として、祖父一郎先生も御経験された文部大臣に若くして御就任のお喜びは、格別なものがあったであろうと想像されます。
○松田委員 それぞれ自由度が高まるということは私もいいことだ、こう思っていますけれども、金融商品なんかの運用、ちょっと早口で、僕、聞き取りにくくて、お答えをいただいたのかどうかわかりませんけれども、文部大臣の認定が前提なんですね、金融商品等々。
これは座長が元東大総長、文部大臣をやった有馬さんだとか、ノンフィクション作家の柳田邦男氏、政治評論家の屋山太郎氏、前の水俣市長なんかも加わっているところですが、そこが二〇〇六年に出した提言書の中に、もし国がチッソを始め産業界全体に対し、有機水銀汚染に対して徹底的な対策を取っておれば、昭和四十年、一九六五年五月に明らかになる第二水俣病の新潟水俣病の発生が防ぎ得たであろう、また、水俣地域の被害者数が増えるのを
これによってスポーツ界も、やはり国の責務ということを明確にしていただいたことによって、スポーツ界もやはり国からの助成をいただく、それにはしっかりとした説明責任、結果責任を果たしていかなければいけないという責任感の下で強化対策もさせていただいてまいりましたけれども、政府としては、この四年八か月の間でどのような施策を策定し、そして実施に向けてこられたのか、まず、文部大臣にお伺いしたいというふうに思います
しかし、昭和四十六年四月二十八日でありますけれども、時の坂田文部大臣、当時文部省ですから、坂田文部大臣は次のように答弁をされています。この法案が通ったからといって、それによって今まで以上にぎゅうぎゅうと先生方の労働を強いていくことにはつながっていかないと述べられました。つまり、当時、文部大臣は、教職員の健康と福祉を害するような残業は発生しないと明確に述べられているわけであります。
文部科学省には、森有礼初代文部大臣の自警の書が掛かっております。初代文部大臣は、文部行政の重要性とともに、最後に、「その職に死するの精神覚悟せるを要す」と結んでいるわけであります。 改めて、現代的な意味として文科省にその覚悟があるのか、意識をどう変えようとしているのか、文科省の御見解をお聞かせください。
これは、平成十年の八月、国体開催予定だった当時七つの県から日体協の会長と当時の文部大臣宛てに提出された、国体の簡素効率化に関する要望書に呼応するように策定されたものというふうに私は承知をしております。