1947-09-25 第1回国会 衆議院 外務委員会 第9号
しかし他の島、沖繩島あるいは大東島への歸還は、現在許されております。また小笠原島の先住者の子孫である米英系の住民百三十餘名は許可せられまして、昭和二十一年十一月に小笠原島に無事歸つておるのであります。かような状態でありまして、私どもは今後も何とかして歸島の目的を達したい。そうして現在のわれわれの生活の苦境を脱したい。
しかし他の島、沖繩島あるいは大東島への歸還は、現在許されております。また小笠原島の先住者の子孫である米英系の住民百三十餘名は許可せられまして、昭和二十一年十一月に小笠原島に無事歸つておるのであります。かような状態でありまして、私どもは今後も何とかして歸島の目的を達したい。そうして現在のわれわれの生活の苦境を脱したい。
これは新聞にときどきペリリユウの救出、あるいは沖繩の救出等のことが出ておりますが、こういう状態でありまして、確報のないものにつきましては、おそらく今向う側の言うております通りに、もう殘つておらないのじやないか。
これらの實情はなかなかそう簡單ではないのでありまして、たとえば私の働いておる久保田鐵工所におきましては、仕事の關係もあつて、仕事が非當に高熱度のところで作業する關係から、寒いところに住んでおつた人は、なかなか勤めにくいという關係もありまして、案外暑い方面に育つた、從來であつたならば沖繩、あるいは大島方面からの勞務需給の方が多かつたのであります。
外地の郵便貯金は朝鮮、臺灣、關東州、樺太、南洋、それから沖繩で、これらについて申しますと、數字はちよつと古うございますが、この四月末の合計で二百十四萬八千口數あります。終戰當時にありました貯金の現在高は十三億五千七百萬圓であります。それから終戰後便宜日本内地の郵便局で、原則として毎月五百圓、特殊な事由のあるものは千圓という制限附で拂渡しを認めております。
第二には芦田外相は沖繩、千島、そういう領土の回復をして欲しいというようなことを述べられたと報道されておる。これがために御存じの通り、英米その他において我が國に対する輿論は非常に惡くなつて來ておる。のみならずこれをきつかけにして捕鯨問題についても、イギリス、オーストラリヤから強硬な反対が起きて來ておる。