2019-05-23 第198回国会 参議院 財政金融委員会 第11号
○渡辺喜美君 地図情報システムというのはもう別のシステムでおありになるんでしょうが、私の聞いておりますのが、公図と称しているものは相当不正確であると、明治時代に作られたようなものがいまだに残っているんですね。正確なものが半分ぐらいしかないというわけでありますから、これはもう令和の大検地が必要だなとつくづく思いますよ。
○渡辺喜美君 地図情報システムというのはもう別のシステムでおありになるんでしょうが、私の聞いておりますのが、公図と称しているものは相当不正確であると、明治時代に作られたようなものがいまだに残っているんですね。正確なものが半分ぐらいしかないというわけでありますから、これはもう令和の大検地が必要だなとつくづく思いますよ。
こうした表題部所有者土地につきましては、明治時代から昭和二十五年までの間に課税台帳として用いられていた旧土地台帳における所有者欄の氏名、住所の変則的な記載が、昭和三十五年以降の不動産登記簿への一元化の際に不動産登記簿の表題部所有者欄にそのまま引き継がれたことにより発生したものであると考えられているところでございます。
我が国の不動産登記制度は明治時代から構築されてきた制度でありますが、深刻化する所有者不明土地問題に対応するためには、諸外国の例も参考に、不動産登記制度の在り方そのものについての議論も必要ではないかと思いますが、法務大臣の見解を伺います。
その経緯でございますが、まず、表題部の起源は、明治時代に土地や建物の課税のために作成されました土地台帳、それから家屋台帳に遡るものでございます。その後、この土地台帳と家屋台帳がいわゆるシャウプ勧告に基づきます税制改正によりまして、昭和二十五年に税務署から登記所の方に移管されております。その上で、昭和三十五年でございますが、不動産登記法の改正により、登記簿との一元化が行われたものでございます。
あるいはまた、例えばむかわ町のように、明治時代にできた施設、郵便の駅逓というのがあるんですけれども、そういうものを文化財的な、町では考えておるんですけれども、なかなか国の指定はないというようなものについてもやっぱり復旧復興していかなければならないと。
○平山佐知子君 このアイヌの民族の歴史を振り返りますと、特に明治時代以降、多くのアイヌの人たちが非常に貧しく、独自の文化を制限した形で生活せざるを得なかったというふうに伺っております。
例えば、集団戦から、銃が生まれて、銃が四百年たったら、次は、明治時代のときには散兵戦術という技術に変わって集団戦がなくなってしまう。こういうことも踏まえて、科学の技術というのは、本当によく見定めなければ大変なことになるわけでございます。
○内田参考人 日本銀行の金の保有でございますが、古くは明治時代の兌換銀行券制度のもとで買入れを始めまして、その後も、金準備の充実等を目的に買入れをしてきたというものでございます。
ところが、明治時代に公立小学校を機械的にというか全国一律につくっていく中で、そういう村や町の社会とは切り離されたところで、先生と生徒だけ、児童だけの空間をつくっていって、何でもかんでも先生が担わなきゃいけない、相談相手も、教えるのも、また教える内容も含めて先生にどんと負担が行く中で、どうしてもこぼれてくる子供たちがいる、また、社会の大人たちの考えていること、あるいは村の伝統なんというのも伝わっていかないというようなことが
したがいまして、先ほど冒頭に見ていただいた明治時代の写真にあるように、今も小布施は、街路樹じゃなくて、個人がやはり木を管理して植えていこう、こういうことであります。 実は、今後、私らが取り組み始めたのはこの道路の左側であります。ごらんのとおり、白っぽい四角い建物があります。こういうものをちょっと改めていこうというようなことであります。 次のページをめくってください。
これは、明治時代から昭和二十五年まで課税台帳として用いられておりました旧土地台帳におきます所有者の変則的な氏名、住所の記載がそのまま不動産登記簿に引き継がれたということによりまして生じたものでございます。全国の土地のうち五十万筆を抽出調査した結果では、そのうち約一%が変則型登記でございました。
決してお上から押し付けられた規則ではなかったことは、明治時代に制定された漁業法ですら認めてきたことでございます。 そこで、私の漁業に対する考えは別途申し上げますが、我が国の国民に対する食料供給システムとして漁協、農協は絶対必要であるというのが私の考えです。
ですから、知事の権限の強化、ましてや今度、海区委員は明治時代に戻って官選、官が選ぶ、これは時代逆行だなと。また、知事が権限を強くする、これもやっぱり時代錯誤じゃないかなと。やっぱりその点を私は一番危惧しているんですよ。 ですから、やっぱりこの点の、漁業者が主役である、いや、これは漁業者のエゴを守るというんじゃないですよ。
明治時代に漁業法ができたときは地先専用漁業権と言われたようです。なぜ江戸時代の慣行を認めたかというと、農業の場合は土地に所有権があるから、ここで農業をやるというふうに言えばもう見えるわけですけれども、漁業の場合は自分の所有地はありません。ここで定置をやる、ここで養殖をやる、ここで魚を捕ると言えば、これ争いになると。
○政府参考人(長谷成人君) 明治時代に制定された漁業法におきましては、漁業権の更新が容易に認められ、しかも定置漁業権や区画漁業権の貸付け、譲渡等も自由であったことから、羽織漁師とも言われた自ら漁業を営まない者による漁場利用の固定化が進み、漁村の民主化が妨げられるとともに、水面の総合利用が図れなくなるなどの弊害が進んだというふうに考えております。
生誕して二百年になられるんですけれども、この方はいわゆる一八一八年生まれですから、活躍されたのは明治時代でありますけれども、この方が冒険家として北海道に行かれたときも、和人という、日本の本州の皆さんを中心にですけれども、幕府のもとで商人たちが非常にアイヌ民族の方にひどい仕打ちをしているということを報告された記録も残っています。
しかしながら、明治時代に制定されました漁業法におきましては、漁業権の更新、当初二十年であったと聞いておりますが、これが容易に認められまして、しかも、定置漁業権や区画漁業権の貸付けやまた譲渡も自由であったことから、いわゆる羽織漁師と言われた、みずから漁業を営まない者による漁場利用の固定化が進みまして、漁村の民主化が妨げられ、また水面の総合利用が図れなくなるなどの弊害が進んだわけであります。
明治時代に漁業法ができたように、やはりこの沿岸漁業の漁場は、先祖代々の浜であります。江戸時代で言われていたところのいそにこれは当たります。いそは、地面の真ん前にある海ということで、地先のことであります。ここに住んでいる人たちが専ら利用するやはり専用の漁場、漁業権の地域であり、この地先専用漁業権が一九〇一年に漁業法で定められております。
明治時代から開拓に入って、息子さんで四代目と。二十五年前に建築した牛舎や機械が更新時期に差しかかっていて、搾乳ロボットなどを更新するには億単位の投資が必要となると。それで、莫大な借金をして酪農を続けるのか、それとも離農するのかといって悩んでいたところに今回の停電で生乳廃棄を余儀なくされたということが引き金となってしまったと。
ただ、気になったのは、昔の明治時代ならまだしも、今この電子化の時代に、電話も、連絡もとれる方法がある中で、まだそういうやりとりがないというのは、非常に、聞いている方としては、大丈夫かなというところもありました。 しっかり、担当大臣ですから、北方領土担当という名前がついているのは大臣だけなんですよ。
なお、明治時代ということで申しますと、日本よりも技術に先んじる列強がアジアに押し寄せてきた中で、国力に後れを取っていた我が国が西洋よりも極めて短い期間で近代化を成し遂げた時代ということも念頭に置かせていただいております。
明治時代、新しい風を吹き込み、次世代のための新しい日本をつくり上げる基盤となったのは、福沢諭吉先生の言う多事争論でした。参議院自由民主党は、多事争論の気風があります。様々な意見を交わした上で、決めるときは決め、その上で一致団結して政策を進めてまいりました。 総理には、是非、日本の新しい時代を切り開いていく政策の推進に強力なリーダーシップを発揮していただきたい。
また、多くの国民は、明治時代の旧刑法から禁止され続けられてきた賭博を合法化し、民間事業者に開放することに対し、大きな不安、不信感を持っています。カジノを解禁するために必要とされる法務省が挙げた八項目の賭博罪の違法性阻却についても十分な議論も説明もないわけですから、立法府としてこんな無責任なことが許されるはずはありません。
ギャンブル依存症、この法案がもし成立されるとなれば、明治時代の旧刑法以来、民間の賭博をこの市場に開放するということを意味するものであります。今、日本はギャンブル大国とやゆされ、今ですら三百二十万人を超える人たちがギャンブル依存症のおそれがあると言われている中にあって、この法律が成立することで、増えることはあっても減ることはないわけであります。