2004-03-18 第159回国会 衆議院 憲法調査会 第3号
しかし日本は、教育基本法をつくるときに、教育基本法自体は日本で考え、つくったものでありますが、これが憲法とは違いますけれども、それに対して、その中で伝統や文化の尊重であるとか宗教心の涵養であるとかいうことについては厳しく制限されて、その条項は消されております。それはやはり、日本をどのように統治するかということが一番にあったわけであります。
しかし日本は、教育基本法をつくるときに、教育基本法自体は日本で考え、つくったものでありますが、これが憲法とは違いますけれども、それに対して、その中で伝統や文化の尊重であるとか宗教心の涵養であるとかいうことについては厳しく制限されて、その条項は消されております。それはやはり、日本をどのように統治するかということが一番にあったわけであります。
政府といたしましては、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社参拝の公私の区別に関する政府統一見解といたしまして、昭和五十三年十月十七日の参議院内閣委員会におきまして、神社、仏閣等への参拝は、宗教心の表れとして、すぐれて私的な性格を有するものであり、特に、政府の行事として参拝を実施することが決定されるとか、玉ぐし料等の経費を公費で支出するなどの事情がない限り、それは私人の立場での行動と見るべきものと考
日本は宗教心に乏しいから宗教教育がないと一部で言われていますけれども、その前に道徳の問題とか倫理観とか、昔でいえば武士道とか、いろいろあったわけですね、朱子学とか。そういう、何というんでしょうか、道徳に対する問題、倫理に対する問題、これを社会がどう培っていくか。これは学校も大事であります。それよりまず第一なのは家庭ですね。最初に子供が接するのは親です。
哲学の背景には宗教心があるんです。その二つの後ろに伝統文化というのが生まれてくるんです。 私の宗教である曹洞宗、教義の般若心経というのは、「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄」とずっと続いていきますが、一切の苦しみや災難から救われるよという意味なんです。 どぎゃんすりゃよかとね、無念無想、無我夢中になって取り組みなさい、林業に。
○佐藤(錬)分科員 確かに、今大臣がおっしゃったような精神を持つためには、宗教心というか、宗教的情緒の涵養といいますか、特定の宗教を教えるんじゃなくて、客観的な、神仏を敬い親に感謝するといういわゆる宗教心を子供たちにしかと教え込んでいく、そういった教育が必要なのではないかというふうに私は思います。
それからもう一つは、これはなかなか言いづらいことなんでございますけれども、宗教心の問題であります。 これをどう書くかというのは実は非常に問題がありまして、まず、おまえの宗教はと外国で聞かれると、多くの日本人は無宗教とパスポートに書いてしまうんですが、私はそれは間違いだと思っています。
特定の宗教教育をしてはいけないし、特定の宗派的な活動というのは公立の学校ではしてはいけないと思っておりますし、また、特定の信仰を強要することがあってはならないというふうに思いますけれども、一般的な広い意味での宗教的な教養教育、あるいは宗教心を育てるような教育というものについて、遠山大臣は、この教育基本法の九条二項の絡みもございますし、どのようにお考えになっていらっしゃいますでしょうか。
本を読むことによって、先ほどもございましたように自己犠牲だとかあるいは宗教心、宗教的な精神を醸成したり、正義感とか公平さとかいうことを学んでいくと思います。ですから、子供たちを有害から守るとともに、そういうことへの規制と、それからいい方向に結びつけていく、そういうことの連携がやはり必要なのではないかと私は思っております。
は、発表されたのは一九〇五年の日露戦争の後でありますが、やはり「代表的日本人」というものを書いて、日本のこれはほとんど宗教感情の問題でありますが、宗教と接触するような日本人の道徳感情というものの最も典型的な例が実は武士道なのだということを言って、しかも両名ともクリスチャンであり、しかも両名とも英語でもってそれを発表するという形で、日本人のモラルマインド、道徳心が実はそうした形でレリジアスマインド、宗教心
また、西部参考人の試案でも宗教教育に関してはかなり厳しい態度なのかなと思うんですけれども、そういう特定の宗教に偏らない、いわゆる宗教心の醸成ということについてどのようにお考えでしょうか。
アメリカは、日本と同様に、家庭の崩壊あるいは家族道徳の崩壊、社会秩序の崩壊というものが極めて深刻であり、人々の物的利欲の肥大と伝統的宗教心の喪失というものは、アメリカにおいては日本以上に深刻なように思うのであります。アメリカの監獄に収容せられている人の数は二百数十万人、国民の一%であります。このような国は恐らく世界の先進国の中にはない。
したがって、この発言は、特定の宗教ではなく、会見での総理の言葉にあるように、我が国には昔からその土地の山や川や海などの自然の中に人間を超えるものを見るという考えがあったという広義の宗教心の大切さから宗教的情操教育の必要性を強調したものであります。
○下村委員 いわゆるカルト集団と言われる宗教の動向を見ていますと、そういう意味では子供のころから宗教心の教育をしていない問題点としてああいう現象が出ているのではないかと思える点もたくさんございます。
私は、広い意味での思いやり、他を思いやる心とか感謝の心という意味では、広い意味での宗教心をはぐくむ教育、涵養する教育というのがもっと必要ではないかというふうに思っております。特に、今の日本というのは、バブルが崩壊した以降であっても、やはり拝金主義、そして唯物史観、また偏った合理主義、これが戦後の我が国の状況としてあるのではないかというふうに思います。
そして、その公共心、道徳心、これはイスラム教やあるいはキリスト教から来るものであるかもしれませんけれども、それらの宗教心が相互扶助の働きをして、お年寄りの皆さんや身体障害者の皆さん方に、自由にいろいろな行動ができるような協力を自然にしている、私はこういうふうに思っております。
もちろん、人が人に優しくするためには宗教心というようなものも不可欠であるかもしれません。 私は、きょう六人の参考人の皆さん方の御意見をお聞きしていて、まず、民主党案をよろしくないと思われているんだなというふうな印象を持たせていただきました。
そうすると、最終的にはやっぱり宗教心とか、そういう部分まで延ばしていかないと解決できない問題がありはしないか、生きることは何か、死とは何かということになってくると。その辺についての先生のお考えをちょっとお伺いしたいということです。 それから第三点は、初めて伺った話ですが、確かに全体的に高学歴化で学卒がふえてきていると。
ある意味では広い意味での宗教心ですけれども、特定の宗教とか宗派ということではありませんが、それをもっともっと学校の中で学ばせるということによって心の豊かさをはぐくませるという意味では、もっと宗教的な学びといいますか、繰り返すようですけれども、特定ということではありませんけれども、それをもっともっと思い切って学校教育の中で取り入れることによって、先ほどのような情操的な人間性なり観念というのをはぐくむということにつながるのではないかというふうに
諸外国では、宗教心というのが人格形成の素地になっておりますので、相手の痛みや悲しみや苦しみを分から合う、共感する、共生するという気持ちが比較的浸透しているのではないかと思いますが、日本人の場合には、多くの人は汎神論者でございますので、そのような能力に乏しいのではないかと思っております。
くどいようですが、だから宗教心を持つことは、政治家たりとも国民たりとも、宗教をベースに持ちながら政治に大きな関心を持つというのは人間の当然の行為だと、そのように思っております。
つまり、宗教心で集まってきている人たちのその宗教心を大事にするのではなくて、その上に選挙がある、宗教の上に政治がある、こういう実態というのは果たして宗教法人本来の姿なのだろうか。つまり、こういう実態の中に宗教法人本来の公益性というのものがあるんだろうかという大きな疑問なんです。
だから、宗教心を持つ持たないという以前の問題として、私がきょうお配りした後に書いておきましたけれども、ビリーフシステム、私は宗教とあえて書かずに、レリジョンと書かずにビリーフシステムと言ったんですが、それぞれの人間というのはやはり信念体系というものが正常に機能しておらなきゃならない。そういうベースにあるものとして宗教というのはあるだろうと思うんです。
これが問がつながりますと、自分の布施した心がどう使われたかというところに、法的に定められたがために要らざる興味が出てきたところから布施心というものが非常に低下するということは、宗教心の根幹にかかわるところに、現場としてはそういうふうに受けとめられなければいいがなというような危惧があるわけであります。
○白浜一良君 もう少し厳密に言いますと、信教の自由といわゆる宗教団体みたいな関係で今ちょっとおっしゃったような気がするんですが、例えば自然崇拝みたいに一人で宗教心を持つ、こういう場合もございます。ところが、多くの方はあるいろんな教えの中で信者として存在されている、いわゆる教団の中で信仰を保たれているわけです。
私、個人的には空海の教えとかいうものに引かれる面があるわけですが、いずれにしましても、私は特定の宗派で活躍をしてはおりませんけれども、個人的には宗教心あるいは信仰というものを大変熱心に考えているつもりでございますが、ここでちょっと、それぞれ大臣に、信仰をお持ちかどうか、伺わせていただきます。 総理大臣、いかがでしょう。