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225件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1973-06-15 第71回国会 衆議院 文教委員会 第22号

そうでないと幾ら言ってもがんとして荒木文部大臣意思を通してきたので、そこから言うと、坂田文部大臣はだいぶ幅を狭くした。奥野文部大臣は大体ゼロというふうなことになってきた。また文部大臣がかわると幅広く出てくる。それで今度学長に集中し、学外の者を文部大臣が任命する筑波大学法案が出たのですから、閣議で速急にきめて回答してもらわなければ私は信用してこの法案を吟味できない。

山中吾郎

1973-06-15 第71回国会 衆議院 文教委員会 第22号

文部大臣拒否権があるかどうか、ここにおる坂田文部大臣の在職中なんです。文部大臣は、拒否権は狭いけれども、あるという答弁をしておる。あなたは拒否権はないとずばっと言った。筑波大学という構想の場合には、これは文部大臣拒否権を持つなんということになれば、副学長五名その他含んでたいへんなことになる。

山中吾郎

1973-06-15 第71回国会 衆議院 文教委員会 第22号

坂田文部大臣と当時の村山局長が一緒に答弁しているのですがね。最近判決で問題になった井上正治九大法学部長学長代行の例を出しながらこれは問題にしたものなんです。井上氏が警察は敵だと発言したということから問題になって、これを学長代行に対して拒否するかどうかというようなことが閣議で問題になった。

山中吾郎

1973-05-31 第71回国会 衆議院 決算委員会 第13号

そして現場にも足を突っ込んでひとつ調査して、両方突き合わしてみて、やはり職員の意に沿うような方向をぜひ出してもらいたい、こう思うのですが、この点で長官の所信と、それから最後に、いわゆる大学の定数削限の問題、これはもう坂田文部大臣高見文部大臣も公約されているわけですが、大学の定数削限はやらない、大学については、医学部の常設その他もかかえておりますし、そうでなくとも人が足りないわけですから、この点での

庄司幸助

1973-05-11 第71回国会 衆議院 文教委員会 第17号

その過程の中において、佐藤総理やあるいは坂田文部大臣自民党文教制度調査会には、すでにもうこうした新しい構想大学発表になって準備に取りかかり、まあ発表というか、そういう形で着々と作業が進められておるということになりますと、私は、東京教育大学がビジョンを自主的に打ち出したということは、どうも納得できない点があるわけであります。

高橋繁

1973-05-11 第71回国会 衆議院 文教委員会 第17号

その発表されていない前に、佐藤総理が、あるいは坂田文部大臣自民党の方々が、そういうモデル大学をつくるべく懇談会を発足したり、参議院文教委員会筑波に新しい国立大建設検討中であると答弁をしたり、佐藤総理が新しいモデル大学をつくるほうがよいというような発言をするということは、根底に、文部省自体政府自体にそうした考えがもともとあったのを、そうした教育大学評議会の決定にしたのである、私はこう判断

高橋繁

1973-04-24 第71回国会 参議院 文教委員会 第6号

安永英雄君 それじゃ、いまのおっしゃった点は研究してもらいたいと思うんですけれども、これは坂田文部大臣のときに出た。このときに、私ははっきり念を押して、議事録に残っておりますけれども、そういったいま研究期間中、いわゆる水俣公害裁判を受けて、全国的には非常に生徒・児童も関心を持っておる。これについてはどうしても教えなければならぬ。

安永英雄

1973-04-04 第71回国会 衆議院 文教委員会 第9号

そこで次官、私は、前の坂田文部大臣のときにも、あるいはその後の大臣のときにも申し上げたのですけれども、沖繩教育というもの——教育というのは単に学校教育だけではなくて、教育環境というものがよくならなければ教育の成果をあげることはできない。そのあらゆる教育環境というものが、いろいろな意味におきまして本土と違った悪い環境の中にある。

安里積千代

1973-03-02 第71回国会 衆議院 文教委員会 第4号

その前に、坂田文部大臣あと高見文部大臣稲葉文部大臣、今度は奥野文部大臣ですが、通常国会を一回経験するとみな交代をする。教育は百年の大計といって、未来に連続性を持った責任のある一番大事な行政だと思うのですが、これではどうにもならないてすね。かつて——かつてとは言わないが、何か幾つかの放言をして、あと始末はないままに、まず国会文教委員を惑わしめて去るというのが私の実感です。

山中吾郎

1973-02-23 第71回国会 衆議院 文教委員会 第3号

これは前に坂田文部大臣が、その点を議論して肯定されておりますけれども、それを除いた政党、しかし、いま議院内閣制であります。議院内閣制でいうならば、大臣はやはり自民党の党籍を持つ大臣であります。そうして、議院内閣制であるから、自民党意思というものを尊重せねばならない。そうして教育行政をする。

木島喜兵衞

1972-11-01 第70回国会 参議院 本会議 第4号

ただし、一昨年、公害国会において、わが党の衆参両院の議員から公害に関する記述の指摘がありましたところ、当時の坂田文部大臣は直ちにその教科書の訂正を命じたのであります。それぐらいの決断を総理が下してもいいのではないだろうか。その点、教科書まであなたに読めとは申しません。検討していただきたいと思います。  農業問題です。国会閉会中、すばらしい秋晴れの午後、隣部落農業倉庫に立ち寄りました。

杉原一雄

1972-05-12 第68回国会 衆議院 文教委員会 第13号

そのときに前坂田文部大臣は、もうこういう状態は一日も早く解決をしなければならないし、そのために最善の努力をするということを言っておられるわけで、この仮設校舎プレハブ校舎の問題は、前々から問題になっているわけですね。ところが、年を経るごとにその数がふえておるという状態、安嶋管理局長の十日の答弁におきましても、来年度もふえるという状態ですね。

山原健二郎

1972-04-22 第68回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第1号

坂田文部大臣が非常に熱心にこの問題に取り組んでおられたことは、私もよく承知をいたしております。私も、文教委員の一人として、一人でも学びたいというものがある限りは、やめるべきじゃないという考え方を持っておりますし、現に私もそのつもりでやっておるわけであります。世の中が変わってまいります関係上、生徒数は減っていきます。学校数もあるいは減るかもしれません。

高見三郎

1972-04-22 第68回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第1号

安永英雄君 これは私どもが提唱をし、坂田文部大臣も非常に力を入れて、あの当時、いわゆる国連大学本部というものを日本に持ってきてそうして世界の平和に寄与する中心になるんだという、こういうような意気込みだったわけですが、いま聞きますというと、総長になる者が外国人になっちゃうから、ぐあいが悪いとか、あるいは国際情勢の云々ということですけれども、どうも私はそこのところがわからないんですが、自然に来ればいいけれども

安永英雄

1972-04-22 第68回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第1号

塩出啓典君 それで、この問題は終わりまして、一つだけ最後にお聞きしておきたいと思うんですが、昨年の予算委員会分科会夜間中学の問題について私はこの委員会質問をいたしまして、それについて、文部当局は、その当時はまだ坂田文部大臣でございましたけれども、検討すると、そういうことでございますが、この問題について、どなたか、どういう現状になっているのか、そのことを御報告願いたいと思います。

塩出啓典

1972-04-21 第68回国会 衆議院 文教委員会 第10号

私も坂田文部大臣のころからこの問題は取り上げてきておるわけでございますが、あのように金のかかる、一人の医師を養成するのに相当金がかかるわけです。医科大学を一つつくれば六十億とか百億かかるといわれておるわけでございますから、このような金のかかる教育は、原則としてできるならば国が全責任をもってやるべきである、私は常日ごろこういうふうに思っておるわけでございます。

鈴木一

1972-04-05 第68回国会 衆議院 文教委員会 第6号

そこで、鎌田財政局長が長らくお待ちでございますので、次は、やはり去年の三月二十六日に坂田文部大臣が残されました八つ問題点のうちの第二の医学部の設置と地方財政の問題でお尋ねしたいのです。  地方財政法の十二条は、もう御承知のとおり国の機関に対して地方団体は経費を負担してはいかぬ、ただし法律または政令で定める場合は別だと書いてあります。

塩崎潤

1972-04-05 第68回国会 衆議院 文教委員会 第6号

きょうの新聞あたり機密漏洩事件がたいへんでございますが、この間までは浪速医科大学事件、あるいは愛知医科大学事件、それにまた斎藤病院をはじめとして出てまいりましたにせ医者の事件、それから去年の二月には阪大入試不正事件、このような事件が起こってたいへんなことになり、文部省は、去年の三月二十六日に、坂田文部大臣は三つの施策と八つ問題点という形でいろいろとここで御約束を賜わったわけです。

塩崎潤

1972-03-15 第68回国会 衆議院 文教委員会 第3号

山原委員 けさほど来こういう事件が発生をしまして、大学当局あるいは大学長あるいは教授に対する批判もかなり出てきたわけでありますけれども、私はこういう問題は、いままでの自民党並びに政府考え方に大きな問題があるんではないかという意味で、私は自由民主党の幹部の方たちのいままで語ってきたことば、あるいは坂田文部大臣の就任する直前の発言というものをちょっと披瀝してみたいのです。

山原健二郎

1972-03-10 第68回国会 衆議院 文教委員会 第2号

山原委員 大臣、北海道のことは知らなかったと言いますけれども、これは坂田文部大臣のときに私は取り上げたんです。終始一貫、彼は知らないと言って逃げ切ったんですね。だから私は、きょうは皆さんのほうでは研究もされておると思って質問をしているわけですけれども、これは私が握造できるようなものじゃないですね、こういう文書というものは。だからこれは明らかにあるのです。

山原健二郎