1947-07-05 第1回国会 衆議院 水産委員会 第2号
從來のように農林省の一局として、殆ど今までは行政上においてもあまり關心をもたれておらなかつたというような感じがいたすのでございますが、今日主食として生鮮魚もとり入れなければならないこういうような時代におきまして、なおこの戰爭のために生産力が非常に減退しておりまするが、これらの復興というような意味からいきましても、この際行政機構を擴充されまして、そうしてできるならば、水産廳といつたような程度の擴充をなさることが
從來のように農林省の一局として、殆ど今までは行政上においてもあまり關心をもたれておらなかつたというような感じがいたすのでございますが、今日主食として生鮮魚もとり入れなければならないこういうような時代におきまして、なおこの戰爭のために生産力が非常に減退しておりまするが、これらの復興というような意味からいきましても、この際行政機構を擴充されまして、そうしてできるならば、水産廳といつたような程度の擴充をなさることが
これは單に教育制度の関係のみではありませんけれども、新らしい時代の者が肉体上におきましても、精神上におきましても、多くの打撃を蒙つており、発達が遅れておる事情を考えまするときに、特にこの時代の教育が新らしい日本の建設に取つて極めて重要であることを痛感いたしておる次第であります。
細川君が今日の時代を憂慮すべき時代であるけれども、又正しい政策が必要であるけれども、九五%の働く者の民主主義が実現されなければならんと言われたことは誠に御同感であります。ただこれに到る政策については、私共いろいろと見解を異にいたすのであります。私に当てられた質問の一つは、日本の民主主義文化促進のための出版及び通信の自由に関してであります。
青少年の不良化といい、あるいは凶惡なる、血なまぐさい事件の頻発といい、國民生活のあらゆる面において、今日ほど社会惡の満ち満ちている時代はありません。しこうしてこれが原因は、あげて國民大衆が滿足に食えぬという現実に根ざすものであり、わが國における政府当局が、あらゆる政策に先んじて、鋭意これが解決をなさねばならぬことは、現下の食糧危機の克服であります。
第一、吉田内閣時代は、まさにやみとインフレとに重点を置き、金融資本、大産業資本、大やみ組織者、腐敗堕落せる高級官僚が、短時間において大衆の富を掠奪するのが、この政策であつたのである。しかるに、これはすでにもう不可能になつてきた。そこで片山内閣、ここにおいて重点を移し、國家資本と結合せる金融資本が、官僚統制という武器を持ち、このたびは、企業を通じ大搾取を行おうとしているのである。
そうして、その護憲運動のときは、もはや帝大におられた時代と思いますが、そのときにおいて、民衆がほんとうに命を賭けて憲法を擁護しようといたしたのであります。
これを順次順序を逐うて、時代に應じて出していかなければならない。こういう考えのもとに、四党政策協定にわれわれは應じたのであります。これは、社会党の掲げておる政策、公約せる政策に反対の方向に進んでおるものでは、決してないのであります。
併しながらそれ以外の商品につきましては、現在自由切符制が採用されておりまするが、私は日本の現状におけるがごとき過少物資の現状におきましては、曾て十年ばかり前に衣料の切符制度の行われたような時代と遠いまして、到底このままの切符制度では困難であると存じます。今や切符制度布かれて僅か一ケ月ばかりでありまするけれども、既に混乱の前兆顯著なるものがあります。
(拍手) その次は農村と同時に漁村、漁村という面においては、我々は常に四面海を環らすところのこの日本にとりましては、國内の農村と同じように沿岸におけるところの漁民は、次の時代の経済復興に重大なる役割をするところの人たちであります。これに対しまして農民におきましては、農地開放という新らしい画期的な局面が開かれたのでありまするけれども、漁民におきましてはまだ漁業権の解決がそのまま放置されている。
前内閣時代におきましても建設省を一應設置するというような意見があつたようでありまするが、現内閣といたしましては、内務省の解体に伴いまして、先程御意見もありました通り、一應建設院という案で進んで行こうと考えておるのであります。
農業の技術の改革を今日ほど私は必要とする時代はないと思う。(拍手)今日共立講堂に三千の農村技術員が集まつて、今後の日本の農村の技術のあり方について熱心なる討議をいたしておるのでありまするが、この多数の技術員の熱意をいかにして活かして戴くか。私はこの機会に農林大臣の御所見を伺つて置きたいと存ずるのであります。
私の唱えました民主主義の徹底、各方面に高度なる民主主義の徹底を図りたいということにつきまして、それは東條或いは近衛時代の新体制運動と同じではないかというような御意見がありましたが、これは非常に迷惑でありまして、根本的に違つておるのであります。
吉田内閣時代にも社会党諸君は、食糧問題については、在野であつても眞劍な態度をもつて、いろいろ各種委員会において御協力賜わつたことは、当時の当局者としても、感謝しておる次第でありまするが、昨日平野農相の、これを政爭の具に供するごときことは――あとでその御意見を承りたいと思うが、かかる言葉がつい出るということは、はなはだ遺憾千万と思うのであります。
求職の方は、反対に二百二十万人、ここに八十万人求人の方が多いという、今日の時代から見て、少しおかしい現象が起つておるのでございます。これはもちろんノーマルな状態ではないのでございまして、これは、やみその他の方面に使われている人が多いと思うのでございまするが、ともかく全國の職業安定所によつて取扱われた数が、こういう数でございまして、それによつて就職の成立した者が、百二十八万人あるのでございます。
○星島二郎君 水谷さんの平素の御議論は、國有國営の議論を、野党時代にもなさつたことがあります。また片山君の著書を見ましても、石炭國有のことを論ぜられておりますので、水谷君が当局になられまして、そうしてこの強度の國営をなさるならば、われわれは常識的に、國有國営をイデオロギーとされるだらうと、かように考えました。
そういう態度では私は民主主義時代の國会議員の態度において、いささか欠けているのではないか。我々は当然法律の要求するその最高官吏よりも高いところの支給を受けるという権利と同時に、又國民に対して、その政治の中心である最高の國民の政治を預かるだけの義務があると思います。
そうしてこの第十條に出ております日額四十円なるものは旧帝國議会時代からかような方法で、歳費の不足を補う方法でこれが考案されて事実上支給されておりまして、これも法律に基礎が当時からなくて、予算的措置によりましてかようにいたしておつたのであります。それでこの際これも法律の基礎がございませんので、増額規程だけでするということは適当でなかろう。
この時代に入りましてからは、最早國際関係は殆ど顧慮せられることなく、外國がどう考えようか、又外國の輿論が我をどう見ようが、一切お構いなしで、日本は日本の立場からのみ判断して独善的に行動して來のでありまして、かくして我が日本は遂に取り返しのつかぬ誤謬を犯すことになつてしまつたのであります。
これを要するに、現在の食糧事情をこのままに放任をいたしまするならば、ここに十六日間の遅配を予想せられ、前内閣時代からの遅配八日間、六月中におきまするところの遅配四日間、合計十二日と、この十六日の遅配を合計いたしますると、ここに二十八日間の食糧不足という問題が、この米穀年度において現われてくるのであります。
この準備過程の一番大事な問題は、次の時代の國民を、ほんとうに民主的な平和的な國民に育て上げるということでございまして、この任務が、私は教育であり、教育改革というものが、今日、日本の文化國家へ進んでおりまする最も重大な方途であると確信したのであります。
(拍手) 元來、思想は時代とともに動きますが、また時代を動かすものである。今日のごとき危機感の迫る場合、政治の先頭に立つ者は、時代を動かす思想、時代に先行する思想、時代を超える思想を指し示さなければならぬと思います。
政府は現下諸般の情勢を考慮いたしまして、この際我らの理想といたしておりまする民主主義を拡充発展せしめました高度民主主義体制を確立いたしまして、新時代に副うべき政治理念を、あらゆる方面に浸透せしめて、その徹底を図ることが必要であると考えているのであります。
政府は、現下諸般の情勢を考慮いたしまして、この際われらの理想でありまする民主主義を拡充発展せしめたる高度民主主義体制を確立いたしまして、新時代に副うべき政治理念をあらゆる方面に浸透せしめ、その徹底をはかることが必要を考えておるのであります。すなわち現内閣の至高指導精神は、高度民主主義を各方面に徹底せしめることであります。
若しこの國会が旧來の古い貴族院時代の非民主的なもの、或いはボス政治、一部の幹部だけが話合うというボス政治がここに持來たされるというような、そういう形がこの各派交渉会の形において持來たされというようなことに対しては、私は断乎として反対するのが我々國民の代表たるべき者の義務だと考えます。 從つて私は民主的なものでなければいけないという内容として二つの内容を要求したいと思います。
その当時は、実情を十分御承知と考えておりますが、この開拓の問題を農林省方面の事業の一つとして取扱うがいいか、内務省方面の仕事の一つとして取扱うがいいかということにつきましては、私がほのかに聞き及ぶところによりますると、前内閣時代から、いろいろ内閣においても御檢討があつたようでございまして、最初の案を私どもがつくつて出しましたあの当時におきましては、当時の内閣の大体の方針といたしましては、開拓の問題はむしろ
時代は変りました。國体は変革されておるのであります。時は民主主義の時代であります。去る四月行われました選挙は民主選挙であります。民主選挙は民主政治に通ずるのでありまして、その民主政治の運行は民主議会において行われるのであります。この民主政治の運行をこの議会において、うまくやるかやらないかということが、民主主義体制の確立のできるかできないかということになるのであります。