1948-06-29 第2回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号
第九は、芸術文化の保存振興に必要な経費であります。芸術文化の保存振興をはかるために古典芸術、国宝史蹟等の保存、その他芸術文化の振興に必要な経費三千六百三十六万二千円を社会教育局に、四千二百五十四万五千円を、国立博物館に計上したのであります。 第十は、直轄学校の運営に必要な経費であります。
第九は、芸術文化の保存振興に必要な経費であります。芸術文化の保存振興をはかるために古典芸術、国宝史蹟等の保存、その他芸術文化の振興に必要な経費三千六百三十六万二千円を社会教育局に、四千二百五十四万五千円を、国立博物館に計上したのであります。 第十は、直轄学校の運営に必要な経費であります。
しかしそれにもかかわらず、若干の待遇の向上をおかげさまですることができるのでありまするから、さらに文化施設費のようなものを増額していただきまして、到るところの檢察廳等には、小さい專門の法律の、殊に古い六法のようなものは、どこの裁判所にもあるようでありますが、私の言うのは、そういうのでなくして、哲学、宗教、文学、芸術一切の社会事象の関する書物という意味でありまして、そういうものを備えておいて、欲するところに
松原委員の書道に関する御識見は、私どももまつたくそれに服するのでありまして、書道が單に実用ばかりでなく芸術的な表現をする意味において、人格と結びついて東洋においては特殊の教化を受けておるということは、私どもも十分に尊重すべきことだと存じておりますけれども、今日の過程において必須科目をできるだけ少くし、自由及び選択の範囲をできるだけ多くするという趣意に則りまして、その必須の中にたとえば國語とか数学とか
なお文部当局の御説明はよくわかりますが、アルファベットをタイプライターで打つ人々にはとうていこの東洋の主観芸術の文字というものはわからないのであります。將來これがかなになり、あるいはローマ字になつてしまうときが來ればいざ知らず、漢字を用いている以上は、どうしても漢字独特の書き方があるのでありまして、東洋を通じてのこの文字の教育は今さように簡單に捨て去るべきものじやない。
第三点は、書道は一つの芸術であつて、この芸術を通じて生れ出る見逃すことのできない重要な点があるからこれを看過してはいけない。それから現在の世論の実態が各方面で書道をぜひ復元させろという声が高まりつつある。こういうことを申し上げて理由としたいのであります。 なお実施の方法といたしましては、ぜひ小学校、中等学校において各二時間ずつ書道科を必須科目とせられたい。
幸いにして我が國は氣候温和にして風景に恵まれ、豊富な温泉があり、特異な文化や芸術を持つて、一面戰争を通じて諸外國の我が國に対する関心は非常に高まつておることも見られるのであります。この際我が國にして適当な外國の観光客受入れ態勢を整えまして、又観光宣傳その宣しきを得ましたならば、海外旅行熱の高い米國人を始めといたしまして、多くの観光外客を迎えることは期して俟つべきものがあると思うのであります。
現に文化勲章のごときは、今後永く持続すべきものであるし、芸術院賞とか、大臣賞などのごときも、これは今後続けられるべきものであると思います。
次の芸術行政に關する御質問でありまするが、これも先ほどからの諸君の御質問にありました通り、芸術を尊重するの國民とならなければならない。この意味において政府といたしましては、まず今日においては文部省を中心といたしまして、學校教育、社會教育、國民の知識水準の高揚のために、芸術を尊重し、勤労を尊重する國民とならなければならないという社會教育、芸術教育に力點を置いていきたいと思つております。
第三は、芸術行政に關することでありますけれども、首相はいろいろのお言葉の中で、國立劇場あるいは國立美術館を設置する、その他芸術に關していろいろ御抱負を述べられておるのでありますが、その點について、芸術行政に対するひとつの具體的なお考えを伺います。 第四番目は、先般いろいろ新聞紙上に宣傳されました。平野農相問題でありますが……。
いますと、戰時中の藝術行政は、統制指導という面に重點をおきまして、當時の日本の國が置かれておつた國家目標に副いながら、すべての藝術をその方向に向つて、場合によつては無理にでもひつぱつていくという傾向をもつておつたのでありますが、新しい日本におきましては、そういう傾向ではなくて、殊に平和のうちに、自由のうちに伸びる藝術が、國民の間に自發的に盛り上るものでなければならぬという意味から、統制ということよりは、芸術的
たとえば家業といいますか、蒔絵師の家あるいは西陳の織元のごとき代々傳わつた家のような家業、それから家の芸、芸術の方も広く眺めますといろいろの家芸というものがあります。それから學者とか、書描きさんの家だとかいうことにつきましても、このことが考えられる。代々家の名にかけて研鑚を積む。精進を重ねるということ。この努力は家というものがなくなつては、私は期待ができないのではないかと考えます。