2003-03-06 第156回国会 参議院 予算委員会 第7号
○谷川秀善君 これはどう考えても、この人たちは日本の贖罪意識を売り物にしている人ばっかりじゃないですか。そう思いますよ、私は。売り物にしている人ばっかりですよ。だから、日本の立場だとか、日本の立場を代表している人じゃないんですよ。それで、賠償は済んだとする日本の当事者の立場、そしてそういう人がだれも出ていない、だれも出ていない。これは非常に私はおかしいと思いますよ。
○谷川秀善君 これはどう考えても、この人たちは日本の贖罪意識を売り物にしている人ばっかりじゃないですか。そう思いますよ、私は。売り物にしている人ばっかりですよ。だから、日本の立場だとか、日本の立場を代表している人じゃないんですよ。それで、賠償は済んだとする日本の当事者の立場、そしてそういう人がだれも出ていない、だれも出ていない。これは非常に私はおかしいと思いますよ。
申しわけないことをしたから贖罪意識でやるとか、あるいはお役人によっては時々そんなことを言うけしからぬのがおりますが、余りうるさいから少しは何かやらなきやというようなことじゃないんです。
こういう観点から、やはり自分の犯した罪について贖罪意識が十分になり、そして自分が自分の死というものを冷静に受けとめることができるような状態、そういったものを私どもは考えております。
そういう意味での期待感も持っておりますので、この日中国交にあたっての贖罪意識というものがこの機会に明快に公にされることはたいへんいいことではないか。私の質問はこれで終わりますから、ぜひ明快な御答弁をいただきたいと思います。
○石原慎太郎君 いまのおことばが、最近日本にしょうけつ(猖獗)しているやや根拠を欠いた過剰な中国に対する贖罪意識とかかわりないことを期待いたしますけれども、そこで、もう一つお尋ねしたいんですが、端的に言って、日本の財界の考えている中国問題における国益と、政府が、経済を含めて総括的に政治という視点でとらえている中国問題における国益とは、ある場合には当然違い得る、そこに差があり得ると考えてよろしいですか
もしもこの加害者を刑務所に収容する期間が長くなり、あるいは刑罰を重くすることによって、贖罪意識がそちらのほうに働いてしまう、ないしは照罪能力、賠償能力をなくしてしまう、そのためにますますから判決をふやしてしまうという可能性を、現実問題として私は心配するわけでありますが、どうお考えでございましょうか。
自分が悪かった、だから朝な夕なお参りをして、自分は刑期をつとめるということによって、贖罪意識というものが強い。つまり、罪を重くすることによって、もうそれで自分のなすべき責任は果たした、いわんや刑務所に入っているために、加害者としての賠償なり何なりの能力が低下したという考えが強いように思うのであります。
この人道的立場の底辺にあります問題が、いま笛吹さんが言いましたように終戦処理の一項で、これは日本人の、日本帝国主義の贖罪意識というものがなければ私はうそだと思う。これは朝鮮人の諸君に、私どもが、どうのこうのといって弁明するつもりはありません。日本人として、日本国政府として贖罪意識というものがなければ、ほんとうの気持ちがあらわれぬ、私はそう考えておる。
その罪に対する贖罪意識というもの、あるいは過去四年間に、われわれが世界の信頼にこたえるために、どれだけのことをやつたかということに対する反省、そういう気持で、粛然として涙をもつてその日を迎えるようなところまで行かなければならないと思うのです。しかし日本人の現在の感情はそこまで行つておりません。このような感情のままに放擲しておいてよろしいと思われるか。