2020-03-31 第201回国会 衆議院 法務委員会 第6号
そして、その質疑の中には、ロッキード事件、これは本当に厳正に、検察官は本当にすごいな、時の権力者を刑事被告人にしてしまうんですからすごいなという中で、これは、やはり検察官に対して公正な判断をしてもらいたいということで、国会でも、圧力を加えるということはないでしょうねということでさんざん国会の質疑がなされた。だからこの回数になっていったんですけれども。
そして、その質疑の中には、ロッキード事件、これは本当に厳正に、検察官は本当にすごいな、時の権力者を刑事被告人にしてしまうんですからすごいなという中で、これは、やはり検察官に対して公正な判断をしてもらいたいということで、国会でも、圧力を加えるということはないでしょうねということでさんざん国会の質疑がなされた。だからこの回数になっていったんですけれども。
○高良鉄美君 ルール・オブ・ローというのを、ある新聞では法の原則とかあるいは法の規則というふうに訳して社説に載っていましたけれども、そういうことではなくて、法の支配、そして今大臣答弁されたように、人の支配はルール・オブ・マンということで、その時々の権力者の考え方次第でこういうふうに制度を変えていきますとか、あるいは法解釈を恣意的に変更することを指すわけですね。
そのときにNHKに言ったのは、当時は前々会長の時代でありましたから、政権にそんたくをしているのではないか、報道の中立性はどうなのか、本当に自律した報道ができているのか、こうした指摘が各方面から行われて、その中で、NHKとして果たす役割というのはどちらなんだ、自分たちが調べて真実だと思った、その事実をきちんと国民に伝えて国民の知る権利に奉仕するのか、それとも、政権の意向、権力者の意向、力の強い者に対する
きょうは、権力者による犯罪について議論をさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。 お手元に資料を配らせていただいておりますが、こちらは、平成三十年九月七日付と三十一年一月二十八日に告発のあった案件で、安倍総理に対する告発なんですけれども、罪名は内乱首謀、内乱予備陰謀ということで挙げられておりまして、これは不起訴処分というふうになっております。
○日吉委員 お答えを差し控えるということなんですけれども、この内乱罪、七十七条、七十八条なんですけれども、これは、趣旨としては、権力者が行う内乱というのは、やはり私物化をするということに尽きるのではないかなというふうに思います。
時の権力者も起訴できます。何よりも、職務執行の公正さ、政治的中立さが求められ、その職責の特殊性から、検察官は検察庁法で、任免について一般の公務員とは異なる取扱いとされてきました。政権の思惑で定年延長されたりされなかったり、こうしたことはできない法解釈をしてきたのであります。 ところが、安倍政権は、この立法以来の法解釈を無視して、黒川氏の定年延長の閣議決定を行いました。
、そういう世の中にさまざまな報道があるということを踏まえて、今後も、多分、私の同僚議員が、実際に大変な被害を受けた皆さんがいらっしゃるというのは事実ですから、そういう方たちと、総理や総理周辺と、奥様を含めてですね、どういうかかわりがあったのか、なかったのかということについては、これは大変重要な予算委員会の場ではありますけれども、政治や行政がやや私をされてしまっていたのではないか、長い、総理は大変な権力者
○斎藤嘉隆君 まあここまでにしたいと思いますけれども、時の権力者が自分の権勢を示すためにこうやって桜をめでる会というのは、古くでいえば、慶長三年に醍醐の花見というのがありまして、豊臣秀吉公が、あれはたしか千人ちょっとを招いて行った有名な花見がありますけれども、残念ながら秀吉公はあの数か月後に全ての権勢を失った状況にあるわけでありまして、安倍政権にとってもこれが終わりの始まりにならないように、是非私はきちんとした
この問題、桜を見る会の問題は、私はこう捉えているんですけれども、古今東西、今まで権力者が、特定の枠があり、その枠を、その周辺の近しい人が便宜を図ってもらって特別なところに入れる、そこに公金が使われて、最初は恐らく節度があったんですよ、それがだんだんだんだん肥大化していって、当然のようにやり過ぎが起こってくる。
冒頭、桜を見る会のことが話題になっているので、私も、はやりに乗りまして一言申し上げたいんですけれども、この問題は、古今東西ある問題で、権力者の周辺の方が貴重な場に便宜を図って行かせてもらったかのようなことを言われている話ですけれども、これをこの委員会で、他党の先生、質問時間のほとんどを使われてやられたことに関しては、私は余り賛同できないなというふうに思います。
あるいは、権力者の思いでこういうものをつくりたいとか、これをこう変えたいということを避けるためにこの法の支配というのがあるわけで、そうすると、その中心的なのは憲法でございます。憲法の中でもいろいろな原理がもちろんありますけれども、先ほどの九十五条のような、その地方の民意をきちんと取るのが民主主義であろうと、そういったような問題も含まれているということで私認識しております。
この件も、もちろん、これは郵政とNHKの問題だと思って、ちょっとこう高みから聞かれているんでしょうけれども、一連、この間の報道機関の萎縮とか、政権あるいは権力者に対する配慮、これは色濃く背景には反映しているんじゃないですか。私はそういうふうに受けとめています。
権力者にそんたくして予算委員会の開会を拒否するのではなく、主権者である国民をそんたくしてはどうですか。 いわゆる百年安心の年金改革法案審議のときに、私は参議院厚生労働委員会の理事でした。締め総のため委員会に出席した小泉総理が法案の根幹であるマクロ経済スライドの意味を全く理解していないことに、委員会出席者が全員真っ青になったことを今でも鮮明に覚えています。
例えば、いわゆる、もう戦争は二度と起こしてはいけない、ゆえに、一部の権力者がまさに過去の例のように戦争に突進してしまった、これは、やはりそのきっかけなり、今歴史家も検証されているように、いろいろな形での意見があります。まさにこれが公文書のあり方であり、国民共有の知的資源、そして、それは、二度と間違いを起こさない、こういう原則だと思います。
自分たちが持つ肩書という権力についての認識はしっかりできているのに、その権力は誰のため、何のために使うべきかを忘れている、残念な権力者たちの情けない辞任劇でした。 総理の任命責任は余りにも重い。参議院規則第三十八条二項による予算委員会の開会を強く求めます。
法の支配とは、権力者の専断によって人間の尊厳が侵されてはならないという、人の支配の否定から生まれた普遍原理であります。改憲を唱える総理が近代憲法の立憲原理の趣旨さえ理解していないという驚愕の事実は、同時に、我々立法府に集う者たちに対して、改めて安倍総理とは一体何者であるのかという根本命題を突き付けているのであります。
権力者の専断的行為によってルールをねじ曲げて国民の権利や自由を侵害する、そういう時代がかつて人類にあったから、近代立憲主義に基づく憲法を作る、その近代主義の憲法が基づく理念が法の支配の原理なんですよ。(発言する者あり)全然興奮していない。
やはり統計が、戦前、戦中、いいかげんだった、権力者の意のままに使われて、それが正確であればあんなむちゃな戦争はしなかった、こういう、吉田茂、私も尊敬している元総理大臣ですけれども、おっしゃったということは、非常に示唆に富む話だと思います。
時の権力者によって、この国民の権利というものが、これを奪われないということで憲法へと上げていく。 ですから、子供たちが教育を受けるという普通教育もまた憲法で日本は認めているんだ。一九四六年、中学校までが普通教育だという、そういう時代はもう今や違うんだということを、憲法解釈論上からも展開をしていく必要があると思います。
史上最大の権力者ですよ、戦後最大の。総理が二番目じゃないかと思うぐらい。(発言する者あり)いや、その自覚がないと、つまり、この間、霞が関で起きている不祥事の数々について、官房長官にその自覚がない限り、根本的には治癒しないんですよ。あなたの表情一つ、目線一つ、言葉尻一つがどれほど影響があるか、霞が関にとって、ということを私は申し上げているわけです。 もう一点、指摘します。