2019-03-04 第198回国会 参議院 予算委員会 第3号
それから、過去、これまで日露戦争の借金に遡って日本はきちっと今まで払い切ってきたという歴史がありますんで、そういった意味での信頼は極めて高い。
それから、過去、これまで日露戦争の借金に遡って日本はきちっと今まで払い切ってきたという歴史がありますんで、そういった意味での信頼は極めて高い。
朝鮮の植民地化と世界へ進出する日本 日露戦争に勝利した日本は、一九一〇年に人々の抵抗を軍隊でおさえ、朝鮮を併合しました。 植民地となった朝鮮の学校では、日本語の教育を受けることになり、朝鮮の歴史は教えられず、朝鮮の人々のほこりが深く傷つけられました。
総理は施政方針演説で明治天皇が詠んだ歌を引用しましたが、引用された歌は、一九〇四年、日露戦争のさなかに詠まれ、国民と軍の戦意高揚に使われた歌です。日露戦争は日露双方が朝鮮半島などへの支配を争った侵略戦争であり、この歌を施政方針演説の中に位置づけることは、日本国憲法の平和主義に反するものであって、看過できません。強く抗議するものです。
ちょうど松山と聞きますと、日露戦争の後、ロシアの捕虜を松山にかなり収容したんですね。だが、その捕虜も、塀の中に入れているんじゃなくて、みんな普通に町歩いているんですね。
これは、当時の大英帝国が唯一他国と締結した軍事同盟であり、その二年後の一九〇四年に日露戦争が勃発をしています。 これに対して、日米同盟という条約は存在をしておりません。日米同盟の根幹は日米安全保障条約であり、しかし、それはしばしば片務性の課題、問題が指摘されて、かつては単に日米関係とか日米安保体制などと言われてきたわけであります。
いずれにせよ、社会環境というのが、明治の四十年といいますのは、日清戦争、日露戦争が終わったのが明治の三十八年でございます。その二年後にできて、不平等条約の是正、これがやっと成り立ったのもペリーが来て日米修好通商条約を結んでから五十七年後だったですか、その明治四十年になって初めて関税自主権あるいは治外法権、こういうのがやっと是正されるというようになった。
健康という観点だけじゃなくて、先ほどビタミンCの例を申し上げましたけれども、昔、森鴎外が日露戦争の反省として、ビタミンのたしかB1だったと思いますが、あれがなくてかなりの方が亡くなったと、だから鉄砲の弾でやられたよりも健康じゃなくて亡くなった人が多かったという話をしているわけですね。
日本とロシアは百年以上前に日露戦争を行いました。あのとき、バルチック艦隊を迎え撃つときに、どっちの海峡で来るかと。これは有名な話ですよね。まさにこの海峡を押さえられたら、日本を守れないんですよ。そこに対して王手をかけてきているんじゃありませんか。 先ほど、我が国の立場に相入れず遺憾であると申し入れたと外務大臣はおっしゃいました。申し入れただけですか。抗議をしていないんですか。
この開催地長門市には、日露戦争の日本海海戦で戦死したロシア兵の墓があります。それは、浜に漂着したロシア兵士の御遺体を地元の漁師が日本兵の御遺体とともに手厚く埋葬し、今日まで供養を続けてきたものであります。 一時的な対立や争いがあっても、相手への敬意を失わず、恨みを残さない。これは今年のオバマ大統領の広島訪問でも証明された日本人の世界に誇る美徳であります。
日露戦争に合わせて兵隊さんを動員するには東北からだったからです。これが理由ですよ。次に中央本線をやろうとしたんだ。なぜなら、東海道じゃ、艦砲射撃を食らうと東海道線は潰されるから。だから東北道だと、次は中央線だということになったんだけど、政治力で結果的に東海道線が先にできて、その後、中央線になったね。これ、歴史的事実です。
この繰上償還は、いわゆる、御存じのように、持っておられる保有者に対して不測の事態というのが起きますから、そういった意味では、国債保有に対する安定性というのを著しく損なうということはもう間違いないと思いますので、これは以前より原則としては実施しないということで、これをやりました過去の例は戦後にはありませんで、戦前に、日露戦争のときの一九一〇年と大東亜戦争のありました一九三六年に実施をされた例以外ほかに
私が質問することで正しいかどうかお答えをまずいただきたいんですが、第二次世界大戦で亡くなった方までの方、それ以前、つまり第一次世界大戦も、もっと言えば日露戦争であっても、そういった戦争で亡くなった方も含めて厚生労働省は援護をする、こういった理解でよろしいですか。
第二次世界大戦以前の、第一次世界大戦であれ日露戦争であれ、そこで援護が必要になった方についても当然引き継いでいる、それでいいんですね。
○岡本(充)委員 私が聞いているのは、厚生労働省設置法上は、第一次世界大戦であれ日露戦争であれ、今の厚生労働省において援護の対象ですね、これについて答えてもらいたいんです。
委員御指摘のように、ポーツマス講和条約あるいは関税自主権の回復などに取り組まれたわけですが、あわせて、日露戦争前の日英同盟の締結などにおいても大きな功績を上げられ、評価されたと承知をしております。 そして、こうした取り組みの中で日比谷の焼き討ち事件等を経験する中で、決して言いわけをされなかった、こういった御指摘もありました。
そういったことを考えますと、今これをやらねばならぬと言われるほど、一千兆円とかいろいろな言われる数字が、やはり借金は返さないかぬという思いというのは非常に強いのであって、私どもの国というのは、海外から借りた金、日露戦争のときの戦時公債を含めまして、借りた金を返さなかったことはゼロですから。
日露戦争のときの英雄の秋山好古閣下の名前をつけて、好古とつけたんです。好古閣下。その犬の子供が偶然にもプーチンさんのところに行ったんですね。そんな御縁もあって、僕も驚愕しましたけれども、何万頭とおる中でその好古の子供がプーチンさんのところに行ったといって、これは偶然。多分プーチンさんは知らないですよ。
それから、幾多の内乱、さらには日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、そして太平洋戦争に至るまで、この七十年の間に日本は幾多の戦争を経験をしてきました。この間、いっときだけ大正デモクラシーという時代もありましたが、しかし、基本的には軍国主義、そして国家主義の増長、ばっこを許したと言ってもいい。これは、まさに政治の敗北でありました。
今回の談話の一つの基礎になったと言われております有識者懇談会の報告書を見てみますと、日露戦争で日本が勝利したことは云々、多くの非西洋の植民地の人々を勇気付けたとあるんですが、それが下の方の総理談話に入っています。日露戦争は、植民地支配の下にあった多くのアジア、アフリカの人々を勇気付けた。ところが、有識者懇談会の上の方を御覧いただきたい。
○山下芳生君 朝鮮半島の植民地化と日露戦争との関係については、何遍聞いてもお答えがありません。 歴史の事実ははっきりしております。日露戦争直後の一九〇五年、保護条約はどのようにして締結されたのか、伊藤博文が憲兵を引き連れて宮廷に押し入って強引に調印させたものです。宮廷の外では、日本軍が演習と称して大規模な軍事的威嚇をやりました。
日露戦争が開始された一九〇四年、日本は首都漢城、現在のソウルを軍事占領し、日韓議定書を強要して日露戦争への協力を韓国に約束させます。そして、第一次日韓協約を強要し、韓国の財政と外交の事実上の実権を握ります。翌一九〇五年、日露戦争の勝利をてこに、第二次日韓協約、いわゆる韓国保護条約を押し付け、外交権を完全に取り上げるということもやりました。
安倍談話は、さらに、日露戦争と植民地支配の関係について触れております。 では、日露戦争が朝鮮半島の人々に何をもたらしたのか。日露戦争と朝鮮半島の植民地支配の関係について、総理の認識を伺いたいと思います。
冒頭、総理にお尋ねをいたしますが、百年ほど前、日露戦争、この日露戦争で国民を含めてもうわんわんと沸きました。そして、残念ながら、軍国主義の道を歩み始めました。
トルコなどでは、日露戦争のときのバルチック艦隊との戦いで日本が勝利したということを取り上げて、日本を称賛するような声もありましたけれども、それは別として、基本的に日本は平和的な国であるという認識でこれまでいたことは間違いないです。 ただ、この間、後藤さんが殺されたことについては、やはり非常にこれまでとは違うなという印象を抱いております。 以上です。