2015-04-07 第189回国会 参議院 総務委員会 第6号
会長のことばとして、私に対して「私用だということを、秘書室に対して、きちんと当初から言った」と会長がおっしゃっています。その辺がどういう会話をしたかわかりませんが、」というふうに上田委員御自身、おっしゃっているわけです。 ということは、この報告書を作るに当たって、非常に言い方は悪いですけど、籾井会長がおっしゃることをうのみにされているように私には見えるんですけれども、この点はいかがでしょうか。
会長のことばとして、私に対して「私用だということを、秘書室に対して、きちんと当初から言った」と会長がおっしゃっています。その辺がどういう会話をしたかわかりませんが、」というふうに上田委員御自身、おっしゃっているわけです。 ということは、この報告書を作るに当たって、非常に言い方は悪いですけど、籾井会長がおっしゃることをうのみにされているように私には見えるんですけれども、この点はいかがでしょうか。
「都市について考える場合には、ことばは正確に使い分けた方が良いだろう。」。いかがでしょうか。
私の地元にも、聴こえとことばの教室という難聴児の子供たちの保育園、施設があるんですが、本当に、ゼロ歳、一歳で話せない子が卒園の式典のときなんか見事な歌を歌ったり、あるいはお芝居をしたり、いろいろとやることを見ると、やはりいかに乳幼児の療育というものが大事かということを改めて感じております。
実は、発刊に当たって、毛沢東というのは恐らく共産党思想、共産主義思想を持っておられる方だと思うんですが、この本の表紙をあけますと、「すいせんのことば」というので、衆議院議員松村先生、自由民主党顧問と。それで、ここを読むと何と書いてあるかというと、「毛沢東等中国指導者は日本の明治維新の志士達と共通した所がある。毛沢東は西郷隆盛とも云うべきか。」と書いてあるんですね。
いわゆる皇室に対する敬語についてNHKも御自分のルールを持っておられまして、ニュースでは敬語は使わないが皇室については例外とするというようなことがあって、玉体というような言葉は使わないということも記述してありますし、「ことばのハンドブック」では、二重敬語にならないようにと、こういうように注意書きがあるようでございます。
最後に、苦労をかけた家族、事務所スタッフの皆さんに感謝し、お礼のことばとさせていただきます。 ………………………………… 川崎 二郎君のあいさつ 本日、院議をもちまして永年在職議員の表彰をしていただきましたこと誠にありがとうございます。
そして、「監修のことば」としては、当時、建設省指導課長の言葉として、資料5に「監修のことば」を載せておりますが、「建築確認及び検査を行うにあたり、構造耐力上の安全性を審査する際の参照すべき標準的な取扱いを示したもの」である、こう述べられております。
北側国土交通大臣からは、鉄道事業者への監視監督の強化を、また、JR西日本の山崎社長からは、全社員挙げての安全確保についてそれぞれ誓詞が述べられましたが、御遺族による「慰霊のことば」につづられた安全への切なる願いを再認識し、悲惨な事故の再発防止に向けて、当委員会において今後とも真摯な取組を行ってまいりたいとの決意を新たにしたところであります。
これは結構取り上げられまして応募者数が三千六百余集まりまして、そこから百選を選びまして、「世界でいちばんしあわせな愛のことば」という本となって、これは市販しております。ほとんど売り切れました。二万部ほぼ完売でございます。実は、これは冊子にしてお配りしようという予算を組んであったんですが、出版社の方からこれを本にしたいという申出がありまして、印税を少しいただきました。
あなた方も質問取りに来るときに、じゃ、あなたがどこのだれか確認するために我々国会議員も印鑑証明書と運転免許証を提出してもらいましょうかと、そんなこと言ったら、あなた方、僕のことばかにするでしょうと。でも、今サラ金は同じことやっているんですよと。 それについて金融庁がどう認識して、それに対してどういう行政処分を科しているのか、科していないとしてはこれからどうしていくのか、具体的に答えてください。
それから、夏の甲子園大会で「「やれば出来る」は魔法の合いことば」という校歌があったということも所信表明で言われましたが、あれがまさに自分の教育改革にかける夢なんだ、こういうことも私との話の中で言われました。
明倫館の学風や吉田松陰の教育精神を受け継いだ明倫教育を実践し、各学級の朝の会においては吉田松陰の「ことば」の朗唱が行われております。そのような歴史と伝統を引き継ぎながらも、現在の教育ニーズを満たすため、学力向上フロンティアスクールとして算数科での少人数指導に取り組んでおります。習熟度別や課題別にコースを設定し、その内容について事前に児童と保護者に説明した上で、希望するコースで指導を行っております。
この点で、自民党改憲草案たたき台が、天皇が国政に関する権能を一切有しないとしながらも、天皇の地位は日本国の元首とし、現行憲法の国事行為のほかに、新たに公的行為として国会での開会式でのおことばなどを象徴としての行為とし、また宮中祭祀の主宰などを公的行為とするなどしていますが、二十一世紀にもなって復古主義的な企てをどうして行うのか、私は理解に苦しみます。 女性天皇について一言します。
例えば、国会開会式でのおことば、認証官の任命式への御臨席、国民体育大会や全国植樹祭など国民的行事への御臨席、また、外国訪問、さらには災害お見舞いなどがその例であると思っております。このことで、先ほども申し上げましたような天皇の象徴の役割をさらに強化することができると思っております。 もう一つが、皇室行為とも言えるものであります。
今、現実に内閣が最も慎重な配意を必要としているのは、外国訪問時あるいは国賓接遇時のおことばです。私は、天皇が国民統合の象徴であることはもちろん、対外的に我が国と国民を代表する存在であることを明記する上からも、天皇の行為について具体的な内閣のコントロールを行う上からも、例えば、外交儀礼として国賓を接遇することぐらいは憲法上国事行為として明定すべきものではないか、そのように思っております。
先ほど、植樹祭ですとか被災地の見舞いですとか、あるいは国会の開会式のおことば等がありましたが、このようなものについて、やはり私は、公的行為として、しっかりと内閣の助言と承認を得た上で認めていくべきではないかと思っております。ただ、これを儀礼的行為として正面から憲法上認めていくということについては、さらに検討が必要かと思います。 以上です。
さて、先ほどの、今日はダイエーのこともお伺いしようと思っていたんですが、もうあと残り時間も少なくなってまいりましたので、少しぐらい私もしゃべりたいのでお話をさせていただきますが、総理は所信表明演説で、「「やれば出来る」は魔法の合いことば」という、高校野球のあるチームの校歌の一節を引用されましたが、この特殊法人を含む郵政改革に絡んだ出口改革、そしてこの年金制度の青い帯のところの実務の改革、やればできるが
「「やれば出来る」は魔法の合いことば」、この夏の全国高校野球選手権大会で活躍した高校の校歌の一節です。自らを信じて努力すれば、明るい未来を切り開くことができる。幾多の試練を乗り越え、甲子園で奮闘した球児たちの姿は、正にこの言葉そのものでした。 アテネ・オリンピックでもパラリンピックでも、日本人選手が多くの種目ですばらしい活躍を見せ、我々に熱い感動と勇気を与えてくれました。
「「やれば出来る」は魔法の合いことば」、この夏の全国高校野球選手権大会で活躍した高校の校歌の一節です。みずからを信じて努力すれば、明るい未来を切り開くことができる。幾多の試練を乗り越え、甲子園で奮闘した球児たちの姿は、まさにこの言葉そのものでした。 アテネ・オリンピックでもパラリンピックでも、日本人選手が多くの種目ですばらしい活躍を見せ、我々に熱い感動と勇気を与えてくれました。
ぼくが光と音を失ったとき そこにはことばがなかった そして世界がなかった ぼくは闇と静寂の中でただ一人 ことばをなくして座っていた ぼくの指にきみの指が触れたとき そこにことばが生まれた ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき そこに新たな宇宙が生まれ ぼくは再び世界を発見した コミュニケーションはぼくの命 ぼくの命はいつもことばとともにある
例えば、国会開会式へ出席しおことばを読むとか、国内巡幸とか、国民体育大会、植樹祭、全国戦没者追悼式などへの出席、外国元首との親電交換、外国公式訪問、園遊会などでございます。 これらの行為をどのように見るべきかについて、憲法学界では合憲説と違憲説がございます。
紛争の時代と言われる今日の時代においては、ある種のことばは、その価値を失ったようである。「祖国」ということばも、その一つである。 今日は旅行の時代でもあり、それぞれの国に特有の美しい景色が見出されている。わが国は美しいが、そうは言っても、その山々や湖に基づく祖国愛を説いただけでは、もはやその説得力はなくなった。 人間というものは、自分たちの幼い時代のことを深く心に刻みつけているものである。